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「故郷は緑なりき」よ、もう一度 [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG  あんなこと、こんなこと―27
「故郷は緑なりき」よ、もう一度
   母校が舞台になった東映青春映画

故郷は緑なりき.jpg

 故郷長岡を離れ、
社会人になって3年目の1961(S36)年9月6日。この日、待ちに待った映画が封切られました。タイトルは「故郷は緑なりき」。第二東映の作品で監督は村山新治。主演は当時売り出して間もない佐久間良子と水木襄。高校を舞台にした青春映画です。
 第二東映は、それまで「時代劇の東映」として業界をリードしてきた同社が、更なる飛躍のために若手俳優を揃え、現代劇分野への進出を目指して前年発足したばかりでした。それだけならさほどのインパクトはないのですが、なんと、この映画は我が母校・長岡商業高校でロケが行われたのでした。その年の夏、帰省した折に高校時代の恩師からその話を聞き、長岡駅周辺や学校近くの信濃川土手でもロケが行われたと伺っていたので、ずっと楽しみにして、封切を待ち構えて映画館へ出かけていきました。

IMGP5300.JPG●原作本「雪の記憶」集英社 1971(S46)

 「故郷は緑なりき」の原作は富島健夫の「雪の記憶」です。この作家は当初純愛物語専門で若年層にアピールしていたのですが、後になって官能小説家に大転身。そのギャップに驚いたものです。けれどもこの物語は高校生の純粋な恋愛を描いたものです。おそらく作者が小説を書き始めた頃に手がけた自伝小説ではないかと思われます。
 
原作は九州の炭鉱のある町を舞台にした旧制高校の青春ドラマですが、それが長岡に置き換えられて映画化されました。脚本は新進気鋭の楠田芳子。音楽は叙情派の木下忠司、舞台は北陸の小都市と日本海に面した寒村。その間は広々とした稲田。冬は降りしきる小雪とくれば、もう情緒たっぷりの世界です。

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●下の写真はTV録画からの駒ヌキですが、本来はこのようなシネマスコープです。


  列車の中。今は大学生の海彦(水木襄)の手に握られた「アイタシ スグカエラレヨ ユキコ」のウナ電(至急電報)。傍らでは親しそうに語り合う高校生の男女。<たった4年前。あの頃は高校生の男女が親しく話をするなど考えられない時代だった>というところから映画は回想に入っていきます。

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●当時の列車の込み合い方と改札口。海彦は唐傘と足駄の典型的な高校生スタイル


 朝鮮からの引揚げで母を亡くした海彦は、病弱な父と、魚の行商をしている兄夫婦といっしょに小さな港町(柏崎か?)のひなびたあばら家に移り住むことになり、長岡の男子高校に転校したのですが、その通学列車の中で初めて顔を合わせた少女が、女学校に通う志野雪子(佐久間良子)でした。お互いにひと目で心が通じ合い、親しくなります。
 ところがかねてから雪子に目をつけていた3年生の不良
(番長)
・和田は何かと海彦たち二人に絡んできます。和田の後釜を狙う硬派の藤田は、和田の脅しに動じない海彦を仲間にしようと接触してきます。そんな中で海彦は雪子の家に誘われたりして、純粋な愛情を育んで行きます。
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●上2枚/長岡駅前から大手通りアーケード ●下2枚/信濃川 背後は長生橋 

 
夏休みが終わる頃、海彦の兄夫婦は長岡のマーケットの中に住み込みで出店するために移っていきます。それから程なく父が亡くなります。一人で暮らすことになった海彦のところに時折雪子が訪ねてきて、二人は将来のことなどを語り合います。ところが誰かの投書でそれが学校に知れてしまい、二人は両校の担任に呼ばれます。海彦は結婚を考えた交際であることを告げますが、「まだ先は長いよ」と諭されます。

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●夏休み中、校内外にわたり学校側の全面的協力でロケが行われたということです。

 
一方、和田との対決を画策していた藤田は、ついに神社の境内で和田と対決。死者が出るほどの大事件になります。翌日、新聞で事件を知った雪子は居ても立ってもいられず、海彦の学校まで駆けつけますが、海彦は関与していなかったと知って胸をなで下ろすのでした。

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●事件後、海彦を心配するあまり、グランドを横断して雪子が駆けつけるシーン。

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そして元旦。雪の中を、事件以後永い間逢わないでいた雪子が訪ねてきました。「私たち、早く大人になりたい」という雪子に、それまでの思いが一気にあふれ出る海彦でした。

 
 原題の「雪の記憶」は、まさにこの日の二人をクライマックスにして描かれたものです。映画は原作に忠実に、プラトニックな恋愛から危うく踏み外しそうになる二人を、あくまでも優しさのこもった視線で描き切ります。それは降りしきる雪の冷たさとは正反対の暖かさを感じるものでした。 

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●長岡駅                         ●駅(右手奥)から続く大手通り

  
長岡が映画の舞台になるなど極めてまれな出来事でした。また、この映画は特別な話題作でもありません。けれどもそこには、蒸気機関車に牽引される列車内部の様子、長岡駅ホームや改札口の状況、長岡市のメインストリートである大手通りの情景、花火で有名な長生橋近くの信濃川の土手、そして我が母校の校舎全体、正門、廊下、教室、職員室、グランド、自転車置き場と渡り廊下からプール脇の草むらまで何から何まで、まさに自分が学んでいた時代の高校生の学校生活がそのまま、長岡の街と母校の様子とともにフィルムに定着されているのです。

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●長岡商業高校のこの校舎は1979(S54)年に他地区へ移転のため取り壊されました。
 故郷と母校の情景が映画の随所に記録されていることはとてもうれしいことです。


 
この映画はモノクロ/シネマスコープの作品ですが、確か20年以上前にテレビ放映されただけだと思います。ベータテープからVHSテープに移し変えたために画質の不確かなこの映画を、思い出しては取り出して見るたびに、まさにその高校で学んでいた自分が重なり合い、懐かしさがいっぱいにこみ上げてきます。映画が記録したその時代の空気のようなもの。それが時を経るごとに増幅され、ますます忘れがたい作品になっているのです。

 
掲載の画面はその時録画したテープから、長岡市街と母校が写っている場面のみコマ抜きさせて頂きました。ご覧の通り横長のシネスコではなく、テレビ画面に合わせたトリミング版です。その後DVDになっている様子もなく、ファンにとっては幻の作品となっているようです。
  この作品には私のような隠れファンがたくさんいらっしゃるようです。私には生まれ育った街と母校の記念碑として忘れられない作品なのですが、この当時青春を過ごした同世代の方々には、まだプラトニック・ラブが主流だった時代の甘酸っぱい思い出を甦らせてくれる作品ではないかと思います。
 そこで東映さんには、ぜひともオリジナル版のテレビ放映かDVD、BDの販売をお考えくださることを切に期待してやまない次第なのです。

 

 

 

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