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ゴチャまぜの中に、映画の進化を見た [「動画」の自分史]

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●ディズニー長編アニメ「ファンタジア」(1940) 日本初公開1955

ゴチャまぜの中に、映画の進化を見た


 映画「ALWAYS三丁目の夕日」とその続編の大成功によって、巷では昭和30年代がますます脚光を浴びているようですが、映画をメディアとして考えると、昭和30年代(1955~1965)というくくりよりも1950年代(1950~1960)というくくりの方が分かりやすくなります。

 1950年代は、それまでほとんどの作品がモノクロ(白黒)、スタンダード画面(画面の縦横比3:4)、モノラル音響で上映されていたものが、技術革新の成果によって、まず「総天然色映画」(分かりやすくて絶妙な表現ですね)に変わりました。それだけでも画期的でしたが、その数年後にはシネマスコープに代表されるワイドスクリーンが登場し、映画の迫力が大幅にスケールアップしました。

画面が横に大きく広がれば、当然音響の広がりも求められます。業界はそれを当然のこととして、ワイドスクリーンの上映館はその導入と同時に場内をステレオ音響空間に改造しました。こうした大きな変化が1950年代の10年間に進んだのでした。映画史上いろいろな上映形式が混在した激動と混迷の10年間。それが1950年代と言えるでしょう。

当時、小学生高学年から中学生を経て高校生に至る10年間、奇しくも私はその真っ只中で、劇的に変化し続けるスクリーンを見つめ続けたことになります。それはまた、映画そのものを楽しむという興味の他に、映像という文化を支える技術革新のすばらしさを気づかせてくれました。そしてそれが、フィルムに定着された連続写真がなぜ動くのかという疑問に始まった私のもうひとつの興味になったのでした。

 それはともかく、戦後の子供たちのヒーローは断然ターザンでした。ターザン映画は1918年、エルモ・リンカーン主演の無声映画に始まって、どこまでがエドガー・ライス・バローズの原作ものか分からないくらい続々と製作されました。6代目の的を射止めたオリンピック水泳選手ジョニー・ワイズミュラーが歴代で最高との評価が高いのですが、それらはすべて1940年代の話。私たちが観たのは1951(S28)年の「ターザンと密林の王女」ともう1本くらい。主演はレックス・パーカーでした。そんな訳でターザン映画は東映子供向け時代劇からの卒業と同時に卒業しました。その先に待っていたものが、現在の図書館の資料区分で言うところのヤングアダルトを対象とした放射能や宇宙をテーマにしたSFものです。

朝鮮戦争で開けた1950年代は、米国とソ連の核開発競争が熾烈を極めた時代です。一方で、米ソは宇宙開発においても激しく競り合っていました。日本では、ビキニ環礁で核実験の被害を直接受けた第五福竜丸の悲劇が引き金となって「ゴジラ(1954 S29)」が生まれました。また、アメリカではネバダ砂漠の水爆実験による放射能で巨大化したアリが、ロサンゼルスを恐怖のどん底に落としいれる「放射能X」が同年公開。更に1956(S31)年にはアメリカで「ゴジラ」にそっくりの「原始怪獣現わる」という巨大恐竜映画が製作されました。このように、怪獣映画の発生源として「核」が存在していた訳ですが、その他にもワクワクドキドキして見たB級映画に「大アマゾンの半魚人」「猿人ジョー・ヤング」(共に1954 S29)があります。

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●「放射能X(エックス)」1954       ●「原子怪獣現わる」1956
たまたま発見! 絶対お勧め。
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「半魚人」の原題は「Creature from the Black Lagoon
」で、アマゾンとはまったく関係が無いのですが、英語が分からない私たちは完全にごまかされていたことになります。「猿人ジョー・ヤング」は「キング・コング」(1933 S8)の亜流と評されることもありますが、当時「キング・コング」を知らなかった私には、ジョーのマペットアニメがすばらしく(「キング・コング」を動かした練達のレイ・ハリーハウゼンによる)、自分を育ててくれた少女を身を挺して大火災から救出するシーンでは本当に感動しながら観ていました。

この頃の映画はモノクロ、スタンダード画面で、音響は広い館内にくまなく音声を響かせるための複数のスピーカーシステムはとられていても、音声そのものはステレオではありませんでした。

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●「大アマゾンの半魚人」1954       ●「猿人ジョー・ヤング」1954


  ところが1956(S31)年だけを見ても、「居酒屋」「ヘッドライト」「黄金の腕」「必死の逃亡者」はモノクロ/スタンダード(画面縦横比3:4)。

「赤い風船」「白鯨」「禁断の惑星」「空中ブランコ」はカラー/スタンダード。

「王様と私」「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」「戦争と平和」はカラー/ワイド/ステレオ音響です。

これだけメニューが多いと、今日は総天然色で行こうか、大スクリーンで楽しもうか、あるいはモノトーンでシックに行こうかと、いろいろチョイスして楽しむことができます。もちろんスクリーンサイズによって映画館も異なるので、映画そのものの他に、少しリッチに楽しみたい場合はワイドスクリーンのロードショーを、というように選択できたのでした。

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●上「白鯨」1956             ●「エデンの東」1956


  この頃、ディズニー映画もたくさん上映されました。1955(S30)年にはドキュメンタリー映画第1作で、サボテンの花がスローモーションで開く美しさにうっとりさせられた「砂漠は生きている」。世界の名曲をアニメ化し、「目で見る音楽。耳で聞く映像」と銘打って驚異的な展開を見せた「ファンタジア」。いつまでも年を取らないという、うらやましい少年が活躍する「ピーターパン」。こ
の3作品です。これらの作品はカラーでしたが画面はスタンダードでした。
 
ところが翌1956(S31)に公開された「海底二万哩」と「わんわん物語」 はガラリとスタイルが変わりました。シネマスコープが本格導入され、「海底二万哩」では人が操る大ダコとの死闘シーンが大画面いっぱいに繰り広げられ、ジュール・ベルヌのSF世界を見事に視覚化してくれました。また「わんわん物語」はディズニーのシネマスコープ長編アニメ第1作として公開されたのでした。このように毎年押し寄せるディズニー映画、それも押し寄せるたびに進化しているディズニー映画の魅力に、私のディズニー熱が加速度的に昂じて行ったことは言うまでもありません。

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いぬ

カラーになり ワイドスクリーンになりステレオになり
劇的に変化していた時代だったんですね
これからの映画 劇的に変化するのは何か?楽しみになります
by いぬ (2008-06-06 05:01) 

sig

いぬさん、おはようございます。
映画の歴史上、私たちはとても貴重な体験をしていると思うのです。
これからの映画は、すでに見られるようにコンピュータによるCGを更に発展させたバーチャルリアリティによる立体化が進み、ますます現実に近い「体験」ができるようになって行くのではないでしょうか。本当に楽しみです。
by sig (2008-06-06 09:47) 

puripuri

私もこの時代を通って来たんだ、、と思いながら読んでいました。
私の小・中・高校生の時は、学校で先生が引率して映画館に連れて行ってくれました。
テレビが今ほど普及していない事もあるのでしょうが、当時の方が「ゆとり」が
あったように思われます。
by puripuri (2008-06-06 10:49) 

sig

カメキチさんから、このブログにコメントを書き込めないということで、メールを頂きましたので、下記に転載させて頂きます。

もう懐かしい映画の羅列と言いましょうか、涙が出そうです。洋画の名前が多いのは私同様、多分sigさんが洋画ファンだったからでしょうか。日本映画はあまり見ていませんが、1951年木下恵介監督制作になる戦後日本映画初の長編カラー映画「カルメン故郷に帰る」が発表されました。このとき使用されたフィルムは確か富士フィルムのネガカラーフィルムが使われたと思います。この映画を見た時は日本映画もいよいよカラーの時代に入ったのだ・・・と思ったものでした。それまでに見たカラー映画はソ連の「石ノ花」だけで、この頃まだアメリカのカラー映画「風とともに去りぬ」はまだ見ていませんでした。毎回ブログ楽しみです。              カメキチ
by sig (2008-06-06 12:33) 

sig

カメキチさん、ありがとうございました。
日本産カラーフィルムを使った初の作品「カルメン故郷に帰る」は、カラー撮影と並行してモノクロでも撮影されたという話は有名ですね。フィルムは富士ですが、これはネガではなくポジで撮られたようですよ。だから上映館向けにプリントするのに手がかかったと聞いています。
カメキチさんの世代では、カラー映画の思い出にソ連の「石の花(1946)」を上げる方が断然多く、イギリスの「赤い靴(1948)」を挙げる方も多いですね。
ちなみにアメリカで1939年に製作された「風と共に去りぬ」の日本初公開は「カルメン」公開の翌年、1952.9.4でした。
そのあとは「腰抜け二挺拳銃」とか「黄色いリボン」とか、カラーが続々ですね。
by sig (2008-06-06 13:12) 

sig

puripuriさん、ご来館ありがとうございます。
似たような体験がおありだと聞き、うれしいです。このブログはそうした思い出のよすがに、と思って書いております。
小中学校の頃、学校で観に行った映画の思い出については「笛吹童子から蟹工船、潮騒まで」に書いてあります。お暇な折にまたお立ち寄りいただけたらうれしいです。
ありがとうございました。
by sig (2008-06-06 13:21) 

kontenten

ファンタジア
大分前になりますが・・・東京ディズニーランドの近所にある
NKホール(現在は閉館されたようですが)にて
ファンタジアの公演を見に行った事があります。
その時のホストが市川吉右衛門さん
そして、音楽は生のオーケストラ(楽団は残念失念してしまいました)
すごく素晴らしい映画を拝見した事がありました。
その時、お客さんに故・石ノ森正太郎さんがみえていたのには
驚きました・・・それも間近でお目にかかれました。
by kontenten (2008-06-06 16:49) 

furukaba

授業も疎かにして映画に夢中になっていた時代がありました。
主に洋画ばかりを見ていましたが ジェームス・ディーンの事故死には
可也のショックを受けた記憶がありす。

by furukaba (2008-06-06 17:21) 

路渡カッパ

私は1953生まれですが、「わんわん物語」はよく覚えてますね。
きっと父親に連れていってもらったんだろうな・・・
by 路渡カッパ (2008-06-06 22:57) 

sig

kontentenさん、コメントありがとうございます。
「ファンタジア」にオケのライブを付けた話は知りませんが、よい体験をなさいましたね。
NKホールでは'81年頃にアベル・ガンス監督の長編サイレント映画「ナポレオン」(1927)をフランシス・フォード・コッポラ監督(「ゴッドファーザー」の監督)が再発掘し、カーマイン・コッポラ(上記監督の父)作曲・指揮によるオーケストラを付けて上映したことがあります。
by sig (2008-06-07 11:39) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
「エデンの東」はジェームス・ディーン主演映画の初公開作品でした。そのあとに「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」が続くのですが、実はこの2作品の公開前にポルシェ・スパイダーを駆って事故死した(1955.9.30)のでした。「エデンの東」の大ヒットですでに彼の名は知れ渡っていましたので、翌1956年に公開されこの2作品は爆発的な人気を呼んだのだということです。日本ではゆはり人気上昇中に急逝した日活の赤木圭一郎がよくディーンに例えられますね。

by sig (2008-06-07 12:32) 

sig

路渡カッパさん、コメントありがとうございます。
カッパさんの時代は、もうみんなカラー/ワイドの時代ですね。
ディズニーはお好きですか。長編アニメを最近見ることがありますか。
ディズニー長編アニメについては、おいおい、このブログで始めたいと思いますので、また覗きに来て下さい。
by sig (2008-06-07 12:39) 

sig

八犬伝さん、ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-06-07 13:52) 

sig

銀猫さん、ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-07 21:43) 

sig

tarouさん、ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-08 09:19) 

sig

kemmさん、早朝からご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-08 09:21) 

sig

猫屋福助さん、ご来館ありがとうございました。

by sig (2008-06-08 19:47) 

sig

Qooさん、こんばんは。
今日の午後6時、銀座からの帰り道で号外をもらい、またすごい事件が発生したことを知りました。日本は今、どうなっているのでしょうね。
by sig (2008-06-08 19:49) 

sig

Noraさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-08 23:10) 

TAKA

こんばんは
常に、変化していかないとだめなのかもしれませんね。
sig さんの、いぬ さんへのコメントにもあるように、家庭では
味わえない特殊なもの(3D映像や、アトラクション等で座席が
動く等の仕掛けのバーチャルリアリティ)に変化していくと
思います。

by TAKA (2008-06-09 00:55) 

sig

TAKAさん、こんばんは。
映画に限らず科学技術は、これまで、限りのない人間の欲求を叶えるために進化してきたと考えます(その結果、大きな弊害も生まれているのですが)。
映画・映像に限っても、TAKAさんのおっしゃるように、視聴覚に触感性、体感性がプラスされた究極のリアリティを目指して開発が進められると考えます。
by sig (2008-06-09 02:19) 

sig

茶々猫缶さん、ご来館ありがとうございました。

by sig (2008-06-09 18:43) 

sig

Chinchiko Papaさん、いつもご来館ありがとうございます。
片や高尚、片や世俗で、はなはだ気が引けているところです。
by sig (2008-06-09 18:44) 

sig

バズー☆ さん、ごんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-17 17:39) 

sig

corradoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-18 15:12) 

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