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守護神は、島倉千代子……かな? [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG あんなことこんなこと―14
高校時代 1956~1958(S31-33)-②
守護神は、島倉千代子……かな? 

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●国鉄長岡駅前 1958年の卒業記念アルバムより 噴水のあたりが長岡城本丸跡

 
昭和31年から33年にわたる高校生時代。それは前年芥川賞を受賞した「太陽の季節」の映画化で颯爽と銀幕に躍り出た石原裕次郎がイメージリーダーとなった「太陽族」の登場と、「ハートブレーク・ホテル」の大ヒットに始まるエルヴィス・プレスリーのロックン・ロールによって強烈に記憶されています。戦争終結から10年が経過し、戦後という認識は薄れ、みんなの気持ちに活力がみなぎり始めていました。
 
私は学生服の裾を極端に細くすぼめたマンボズボン(今ならパンツですが、当時パンツは下着の意味でした)のヤクザな格好と、それをはやらせた裕次郎はあまり好きになれなかったのですが、陽気なマンボのリズムは好きでした。(映画「嵐を呼ぶ男(1957)」は大好きです)裕次郎と比べるとプレスリーだって決して褒められた格好で歌っていた訳ではないのですが、「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」と矢継ぎ早やにヒットを飛ばす彼の歌声には魅せられました。

●1963 長岡駅前、大手通りの情景 8月帰省の際の8ミリ映画より(無音)

島倉千代子-2.JPG●1955 デビュー当時の島倉千代子(文化出版局)

歌謡ヒット・パレード 3 からたち日記

歌謡ヒット・パレード 3 からたち日記

  • アーティスト:
    出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2005/05/18
  • メディア: CD
 
このころ歌謡曲では、「哀愁列車」「愛ちゃんはお嫁に」「哀愁の街に霧が降る」「好きだった」「有楽町で逢いましょう」「星は何でも知っている」「おーい、中村君」などがヒットしていましたが、私にとってうれしかったのは、前年、中学3年の時(1955)、「この世の花」で爆発的なデビューを飾った島倉千代子の活躍でした。実は彼女の姓が私と同じなのです。それだけのことでしたが高校入学と同時に早速クラスメートたちが付けた私のニックネームが「お千代」「千代坊」「千代之介」。<千代とは女のように聞こえるが、東映の看板スター東千代介はすてきな若衆だ。そう思えば早く名前を覚えてもらえるメリットの方が大きくて、とんでもないあだ名を付けられるよりはよっぽどありがたい>。こちらもそう呼ばれて悪い気はせず、大ヒットを飛ばし続ける彼女に感謝し、密かに応援もしていたのでした。こうして私が高校在学中に、島倉千代子は「東京の人よさようなら(1956)」「東京だよ、おっかさん(1957)」「逢いたいなァあの人に(1957)」「からたち日記(1958)」と連戦連勝。私は彼女の歌声に守られるようにして高校生活を満喫することができたのでした。 

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●県立長岡商業高校 上/正門前から校舎の全貌 校舎の向こう側がグラウンド
 下/1957年にできたプールの向こうに水道タンク。その先は信濃川  
     

●学校の徽章は長岡城(兜城・かぶとじょう)のマーク
 
新潟県立長岡商業高校、略して長商(ちょうしょう)は、現在は移転して別の場所にありますが、当時は長岡市の中心街から徒歩で15分ほど離れた信濃川のほとりにありました。学校から信濃川の土手まで100メートルくらい。昼休みに土手でくつろげる絶好の教育環境でした。
 隣りは水道局で、遠方からも望める高い水道タンクが目印です。当時の水道は、先ずタンクに水を揚げ、落下する重力による水圧で市内に水を送り出す仕組みだったようです。
 
学校は明治43年(1910)創設。私が入学した昭和31年(1956)で46年も経っており、かなり古い校舎でした。学生帽の徽章は、「商業」の商の字を、長岡城の別名「兜(かぶと)城」の兜の形にデザインしたものです。校歌や応援歌には「上杉謙信」「蒼龍(長岡藩家老・河井継之介の雅号)」「蒼紫の森(藩主の墓所)」「浮島(長岡城の別名)」など、幕末戊辰の思いを込めた言葉があちこちに織り込まれていました。 

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●左/長岡商業高校は長岡駅から徒歩15分程度
 右/カードの右上に徽章 「商」の字で兜
城のかぶとをデザイン 

●新学期。まずは応援歌練習の洗礼から
 
入学後すぐに待ち受けているのが、放課後の応援歌練習です。高校ともなると県域はもとより国レベルの試合への出場もある訳で、体育部の選手や部員が汗だくで訓練を行うグランドの傍らで、新入生は全員整列させられ、応援団員から気合を入れられます。
 応援団員はいわゆる硬派の筆頭として、鉢巻、はかま姿にたすき掛け、手には日の丸扇子がとてもさまになっていました。
応援歌は敗戦歌、祝勝歌も入れると14曲もありました。ですから全部が頭に叩き込まれるまで、練習は4月の新学期から夏休み頃まで続いたでしょうか。猛烈な暑さの中で大声を張り上げていた覚えがあります。
 
応援歌の多くは明治、大正期に作られた古色蒼然とした歌詞で、あとで知ったことですが、そのうちのいくつかは旧制高校や早稲田、慶応など有名私学の応援歌などと同じ節回しでした。 

●詰襟の制服、帽子には白線3本、足元は高足駄
 高校生になると学生帽の白線が3本に増えます。学生服は白いセルロイド?のカラー付き詰襟となり、中学生時代には平らな下駄履きだった足元が足駄(あしだ、高下駄)に変わります。これがとても誇らしく感じたものでした。
一時代前までは「弊衣破帽」の言葉通り、学生帽をわざと破り、制服のボタンを外し、腰には地に届くほど長く垂らした手ぬぐい、という格好がはやったようですが、私たちの時代にはその気風はかなり薄れ、「破帽」と腰の手ぬぐいが一部に辛うじて残る程度でした。ただなぜか高足駄だけは普通の高校生の履物として、ほぼ全員に受け継がれていたのでした。

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●足元三態 上は通常の高足駄履き。左下は記念撮影なのでズックを着用
      右下はちょっと気取った場合の平下駄履き 当時からTPOがありました。 


 高足駄は、彫刻で使うようなおよそハガキ大のホウノキの板を横に2枚、下駄にはめ込んだもので、これを履くと10センチ近く身長も伸び、長岡市街特有の雁木(がんぎ)のコンクリート上を闊歩する、とカラカラと見事に響き渡ってそれはいい気分でした。
 
ただ、男子がこの高下駄で通学したのは私たちまでで、翌年あたりから革靴の学生が急速に増え始めました。嫉妬心もあって「何だ、気取ってやがら」と感じていましたが、そうしたところからみても、昔の跡を引きずっていたのは昭和16年生まれまででおしまい。我々は戦争を知る最後の世代だったのだという思いがしきりにします。いろいろな点で昭和17年からの世代は、それまでの私たちとは価値観がはっきり異なるように思います。

●今回の写真はいずれも「昭和33年度 卒業記念アルバム」によります。 1958発行


8月2日、3日の夜は「長岡まつり」の花火です!


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●左/三尺玉とナイヤガラ   右/信濃川と長生橋

●8月2日・3日の夜は「長岡まつり」の花火大会です。
 三尺玉を揚げる場所は、学校から土手伝いにちょうどいい散歩コースでした。
 今年の「長岡まつり」のご案内は下記の長岡市HPをどうぞご覧ください。
 
http://nagaokamatsuri.com/index2.html



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コメント 20

sig

xml_xslさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-11 20:49) 

puripuri

八ミリで撮られた長岡は、高い建物がたくさん建っていますね。私の故郷より長岡は大きいように思えます。
うちは自営業でして、働いている人達が一日中ラジオをかけています。
それで耳に入ってくる音は、歌謡曲・演歌・童謡・民謡・浪曲・ドラマ等など、、
父は、「口は動かしても手は休めるな」・・・と皆に良く言ってましたよ。
そんな訳で、こちらの曲はほとんどと言っていいくらい知っています。
兄姉私が通った高校も旧制中学男子校で、応援歌は当時のを歌っていました。
by puripuri (2008-07-11 23:18) 

sig

チョコシナモンさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-11 23:28) 

sig

pripriさん、こんばんは。
8ミリは高卒後1963年(S38)のものです。最後に出てくるデパートは「大和」で、確か1959年春頃に開業しました。前年に開業していれば、そこに就職を考えたかもしれませんでした。駅前の大手通はかなり活気がありました。
pripriさんがこのブログでいろいろなことを思い出されて、教えてくださるのが楽しみです。
昔はテレビでなくてラジオですから、歌を口ずさみながらちゃんと手仕事は出来ましたからね。
by sig (2008-07-11 23:40) 

sig

furukabaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-12 07:44) 

ねこじゃらん

八ミリの映像、すごいですね!!
戦後…大変な時代だったと思うのですが、
憧れの時代でもあります。
新しいものがどっと花開いたというか。。
当時の風景やデザインも好きです。
勝手な思い込みですみません。(^^;
ところで、私は笠置シヅ子が好きだったりします。
あまり色気づいていないものが好きなようで。(^^ゞ
by ねこじゃらん (2008-07-12 16:25) 

sig

Qooさん、こんにちは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-12 16:58) 

sig

ねこじゃらんさん、こんにちは。
8ミリ映画はまだカメラを手にして間もなく、長岡に帰省した際に撮ったものです。ビデオと違って音声はありません。けれどもこの画面を見ると、長岡は今より活気があったような気がします。
おっしゃる通り、この時代は社会がどんどん成長していく段階でしたから、
そういう明るさがありましたね。
笠置シズ子をご存知なんですか、島倉千代子は美空ひばりの衣鉢を継ぎ、ひばりは笠置シズ子の衣鉢を継いだ感じがします。笠置シズ子の「東京ブギウギ」は、戦争直後の国民をどれだけ元気付けたか知れないと言われていますね。
by sig (2008-07-12 17:07) 

銀猫

わたしの生まれる前ですね(笑) ←本当です(爆)
わたしが高校一年生のとき、
三年の先輩でこんな下駄をはいて登校している人がいました。
二十年前に流行った姿だったんですねー(笑)
45年前の八ミリ凄いですね! 
とても貴重な映像を見せていただきありがとうございました♪
そういえば、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』がなかなか借りられません…

by 銀猫 (2008-07-13 04:58) 

sig

銀猫さん、おはようございます。
高下駄は流行ったというよりも、制服の一部という感じでした。
このブログの内容は銀猫さんにはかなり遠い過去に映ると思いますが、
この時代を経て今があるということを知って頂きたくて恥を晒しています。
「三丁目の夕日」は個人的には「続」の方が好きです。
近々、東京タワー完成直前に始めて上京した時の手記を載せたいと思いますので、ぜひまた遊びに来てください。
by sig (2008-07-13 08:49) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-13 19:44) 

ChinchikoPapa

拝読していて、つくづくわたしの出た高校とちがって「硬派だな~」と感心してしまいました。^^; わたしの学校は、部員のなり手がそもそもなく、団部の存続さえ危うい状況の「軟派」でしたので、どこか「硬派」にあこがれていた側面があります。
まあ、女子の方が人数が多かったので、仕方がないのかもしれませんが、それにしても「太陽の季節」の時代(あの映画さえ硬派っぽく見えたりしますが)は遠く、まさに『八月の濡れた砂』(1971年作品)の世界に近いものがありました。そのあと、ボーッとした夢見がちな『稲村ジェーン』(1990年作品)の世界へと、海辺の町の記憶はつづいていきました。
by ChinchikoPapa (2008-07-13 20:39) 

sig

chinchikoPapaさん、ご来館ありがとうございます。
次回に書きますが、男女共学は始まったばかりで、女子は金の卵でした。
軟派はいたと思いますが、自校では男子ばかりで身の置き場がなかったのではないでしょうか。ですから演劇部は他の部から見れば軟派に見えたかもしれません。
「太陽の季節」は世界が違い、「八月の濡れた砂」ほど深刻ではなく、「稲村ジェーン」ほど軽くはなかったという気がしますが・・・
by sig (2008-07-13 23:26) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-13 23:27) 

TAKA

こんばんは
家の高校は、旧制四中だったので、制帽は四本線でした。
でも、制服自由化により、学生服は着て行ったことはありませんでした。
私の周りで、一六年生まれの人は、三人いますが皆さんとても
頑張ってこられた人たちばかりで、非常にバイタリティを感じます。
by TAKA (2008-07-14 01:25) 

sig

TAkAさん、こんにちは。
4本線の制帽があったとは知りませんでした。
制服自由化とはひらけていましたね。私たちは女子は自由でしたが、男子は詰襟学生服になんの疑問も感じていませんでした。
教育でも、家族関係でも、子育てでも、戦前・戦中の跡を引いていたのはS16年生まれまでだと思います。その意味で16年生まれは、はっきりとした世代の節目を作っていると思います。TAKAさんの周りの16年生まれの方々のご感想はいかがでしょうか。

by sig (2008-07-14 06:37) 

sig

花火師さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-15 06:27) 

sig

yannさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-21 13:50) 

sig

みかっちさん、今晩は。ご来館ありがとうございます。

by sig (2008-07-21 19:24) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-05 10:46) 

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