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死の淵から蘇った、飼い猫チコのものがたり [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG  あんなことこんなこと―18
高校時代 1956~1958(S31-33)-⑥
死の淵から蘇った、飼い猫チコのものがたり
 
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●51年前のことでも、日記は昨日のことのように記憶を呼び覚ましてくれます。

●名前は代々、どの子もチコ
 我が家は代々猫好きで、小さい時から家にはいつも猫がいました。シロクロが多かったのですが、カラスネコと呼ぶ黒猫を飼ったこともあります。名前はどの子も代々きまって「チコ」。そしてなぜかみんなメスなのです。その子がおとなになって子供を産むと、その子も「チコ」。要はこちらを振り向かせる単なるアテンションみたいなものです。大人たちは仕事で忙しいので、猫の世話は私の仕事でしたし、猫をいちばん可愛がっていたのも私でした。
 
 
当時はどの家もそうでしたが、猫はショーウィンドウで選んで買うものではなく、どこからかやってきた猫がそのまま居つくか、知り合いで生まれた子猫をもらって育てたものでした。飼い方も特別手を掛けることはなく、どのチコも自由気ままに家の中と庭や畑を行き来していました。餌はすべて食事の残りもの。といっても、わざわざ猫のために残すのですから、人と同じものを食べていたわけです。ただ、サンマ程度の魚の背骨はそのまま与えていましたから、時々喉に刺さって苦しそうにしていることがありましたが、手で喉を強くこすったり、与えたご飯を飲み下すなどしていつの間にかとれたようでした。猫もかなりタフだったと思います。当時の猫はまだ野生の本能を忘れず、時々ネズミやヘビなどをくわえて、得意そうに戦果報告に現れたものでした。 

●チコの出産に立ち会う
 
私が高校2年生のときに飼っていたチコも黒ブチ(いなかではそう呼んだ)でした。まだ子猫のときに知り合いからもらって飼い始めたと記憶しています。おっとりとした物腰で、素直でやさしい子でした。秋に庭でギャーギャーと大騒ぎがあったかと思うと、春の終わり頃におなかが大きくなっていました。おなかを触るとコロコロと凹凸があり、母は「4匹かな、いや、五匹かもしれないよ」と予想しました。そのうち、大儀そうにニャーニャー泣きながらいったりきたりするようになり、母が「あしたあたりかな」と出産が近いことを教えてくれました。

 
翌日急いで学校から帰ってみると、呼んでもチコの姿が見えません。前々からチコがうろついていた作業場と呼ぶ板の間の二階へはしごを掛けて登ると、はたして高く積まれたワラ束の隙間にチコが横たわっていて、私を認めると声にならない声でなきました。「よしよし、いいこいいこ」としばらくおなかをさすって上げているうちに出産が始まりました。透明な羊膜のカプセルに包まれた子猫を一匹ずつ口でほどき、濡れている全身を舐めています。そのうちにも次から次へと5匹生まれてきました。

 
翌朝はチコのおなかがぺッチャンコになっていて、食事をおいしそうに食べました。「さあ、行ってみようか」と立ち上がると、チコは案内するようにさっさと先にはしごを登り、上で待っています。積まれたワラ束の奥からミューミューと子猫の鳴き声が聞こえ、まだ目の開かない子猫がよろよろとうごめいています。それからの日曜日、あるいは早く帰れた日はいつも、チコといっしょに納屋の二階です。やっと目が開いた子猫は私が差し出す手に大げさにフーッと息を吹き、背を丸めて威嚇しますが、かまわずに背中に軽く触ってそっとなでてやります。数日で差し出すワラにじゃれるようになり、それから間もなくフーッも言わなくなって私の前で安心してチコのおっぱいを吸うようになりました。あとはワラやヒモにじゃれ放題。すっかりなついています。

 
乳離れしたあとは、私が用意する汁掛けご飯を食べて成長しましたが、ある程度まで育つと父から「もう手放す時期だよ」と宣言され、覚悟を促されました。その後、学校から帰ると、可愛がって育てた子猫が一匹ずついなくなっています。それは本当に悲しいことでしたが、道端や川に捨てられることなく、親戚や近所でもらい手が現れたということがせめてもの慰めでした。 

●「あきらめない」ことを教えてくれたチコの生命力
 5月26日の朝、まだ子育て中だったそのチコに突然災難が降りかかりました。学校から帰ると、待ち兼ねたように母が「チコが毒だんごを食べたらしい」と私に告げました。当時の農家は家ネズミの隠れ家でもあり、昼夜を問わずネズミが動き回っていた時代です。農家はネズミを退治するために、「猫いらず」と呼ぶネズミ獲り用の薬をだんごの中に包み込んで、ネズミの通りそうな場所に置いておくのでした。主成分は黄燐。水に溶けず体温で発火。薬が体内に入ると内臓が焼け爛れて死んでしまうのだと聞いていました。それを間違ってチコが食べたのだとしたら大変です。

 私はすぐさまチコが子猫といっしょにいる作業場の2階に上がってみました。
チコの下半身は完全に動かせず、文字通り上半身をよじらせてもがき苦しんでいました。こういう場合の猫はうなり声すら立てず、無言で苦しみに耐え続けるのです。私はすがりつこうとする子猫をチコから離して、何とかしなければ、と考え、「富山の薬」に思い当たりました。当時は富山から来た薬屋さんが各家庭に薬箱を預ける置き薬が重宝されていました。何もしないよりはいいかもしれないと考え、私は胃腸薬と仁丹を持って戻りました。

 
チコはしっかりと口を結んだまま、水すら受け付けません。粉の胃腸薬を飲ませることは不可能でしたので、かわいそうだと思いながらも、もがくチコの口をこじ開けて、何回にも分けて出来るだけたくさんの仁丹を押し込みました。都合の悪いことに私は2日後に3日間の中間考査を控え、家も2日後から田植えが始まるのでした。多忙な家人はもちろん、私もそれ以上チコに関わっている時間はないのでした。試験勉強をしながらも、私はチコが死んでしまわないように祈るだけでした。

 考査の3日間は少し早く帰れるので、私は飛んで帰りました。チコはそばに置いた水すら飲んでいません。それほど内臓が侵されてしまっているのだろうか。私は目を覆いたくなるほどのた打ち回って苦しむチコを見つめるしかありませんでしたが、その時、恐ろしい考えが頭をよぎりました。何ということを。でも、そんなことは到底出来るものではありません。では見殺しにしてしまうのか。どっちにしても残酷なことでした。私は少しでもチコの面倒を見るために徹夜で試験勉強に向かい、何度か仁丹を飲ませ続けました。

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●チコのことを記した1957年(高校2年生)の頃の日記 (誤字もそのまま)

 中間考査が終わった翌日の5月31日。クラブ活動を済ませて帰ると、チコが風呂場の脱衣場の板の間に横たわっていました。母によると水を飲みに来たのだそうです。下半身はまだ立つことができません。そっとなでてやると、目ヤニでふさがった見えない目で私を見上げ、苦しそうでしたがけなげにゴロゴロと喉を鳴らしました。ごはんはやはり食べようとしませんでした。

 9日目、クラブ活動を終えて帰るとチコの姿が見えません。夕方どこかに出て行った、ということでした。これまで9日間何も食べていないのです。その夜は雨になりましたが、チコは帰りませんでした。私は最悪の場合を覚悟しました。

 
翌日の6月4日は学校のバス旅行だったので、私は4時に目が覚めました。雨は晴れていました。私が出かける準備をしていると、なんとチコが帰ってきたのです。まだよろよろとぎごちない足取りでしたが、目ヤニはきれいに取れています。何か食べたそうなそぶりをしたので、急いで味噌汁の中から煮干の頭を拾って与えると、なんとガツガツと食べ始めたではありませんか。こうしてあれから10日後、チコの回復が確実であることを見届けて、私は安心してバス旅行に出かけることが出来たのでした。

 飲まず食わずで10日間。あの瀕死の状態からの立ち直りは、仁丹のせいだけとは思えません。やっとの思いで動けるようになったときに一晩いなくなったこと。そこに何かがあったと思われます。それはきっと、猫の野生あるいは本能だけが知るあることを外に求めたのでしょう。その結果、信じられないほどの急変振りで元気を取り戻したのです。まさに奇跡でした。それは生命の神秘とともに、生きようとする力のすごさというものを見せつけてくれました。その生きようともがく最後の力を、あの時自分の手で奪っていたとしたら、私は今でも後悔の念にさいなまれることでしょう。
 動物はどんなに苦しくても、自分で死を選ぶことはありません。それが子供を持つ親の本能だとしても、私はチコのすさまじいばかりの死との格闘を見て、生きることの重さを教えられた気がしました。チコは高校生の私に、人から教わる以上の尊いことを身をもって教えてくれたのでした。

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●高校卒業まで住んでいたマイタウン


■裏ブログ/写真絵本「ミケちゃんのなみだ」のご案内
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 我が家で10年ほど前に飼っていたミケの写真ものがたりです。
  1回完結で、全部通してご覧いただけます。
  よろしかったらどうぞ下記へお立ち寄りください。

  http://fcm2.blog.so-net.ne.jp/


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sig

Qooさん、こんにちは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-25 12:51) 

ねこじゃらん

固唾をのんで、読んでしまいました。
(表現あってますでしょうか(汗))
チコ母さん、回復してよかったです!
by ねこじゃらん (2008-07-25 13:34) 

sig

ねこじゃらんさん、暑い中ご来館ありがとうございます。
これは「写真絵本・ミケちゃんのなみだ」のお話よりも更に40年も前のことですが、このブログは今、高校時代のことを書いていますので、その思い出のひとつとして書きました。
犬、猫に限らずペットの寿命が人間よりもはるかに短いのは、人に生とか死とかを考えさせてくれるためじゃないかと思ったりします。
特に社会に出るまでに何らかの形でペットと接する体験を持つことは、人の成長にとって欠かせないことではないかと思います。
(表現、合ってますよ)

by sig (2008-07-25 14:56) 

いぬ

sigさん 毎日暑い日が続きますね お身体大切にしてくださいね
動物は強いですね 諦めたり 自らを捨てたりしません
本当 動物と生活すると たくさんの事を教えてくれます
優しさ など いろいろ
同じ言葉を話せないのは
僕の気持ちを察してごらん と言っているよう
動物と同じように人とも向き合えれば
僕は もっと優しい人なのでしょう
by いぬ (2008-07-25 17:33) 

ChinchikoPapa

こんにちは。
ヘビを見ては逃げ出し、魚も選り好みして青魚を中心に気に入ったもの(部位)しか食べないうちのオバカネコに、チコちゃんのツメの垢でも煎じて飲ませたくなりました。
by ChinchikoPapa (2008-07-25 17:49) 

sig

いぬさん、こんばんは。お気遣いありがとうございます。
いぬさんのおっしゃるとおり、ペットとの接し方は相手の気持ちを読み取ってあげることで、かわいがればかわいがるほど思いやりの気持ちが育ちますし、相手も必ずそれに応えてくれると思うんですよね。
いぬさんはもう十分にペットの気持ちがお分かりになるし、やさしいと思いますよ。


by sig (2008-07-25 19:53) 

sig

ChinchikoPapaさん、今晩は。お暑うございます。
人間の生活が豊かになるのと並行して、同じ屋根の下に住むペットの生活も向上した訳で、ある意味では好ましいことではないでしょうか。
ただ、確かに今の猫は、アオガエルやカマキリにもビクビクしていますから、食生活の変化が性格までも変えた節がありますね。(笑)
とにかく、昔は今よりもハングリーだった分、人もペットもしたたかだったのでしょうね。
by sig (2008-07-25 20:04) 

leo

sigさん、とても感動しながら読ませていただきました。
家でも猫は沢山飼いましたが、辛い別れに何度も泣きました事、思い出しました。
チコちゃんのように、元気になってくれたらと、悔しく思います。
今の、たまま を飼うまで5年間位、飼いたいけど飼えないブランクがありました。
でも今回思い切って、たまま を頂いて良かったと思っております。

文章が得意でないので分かりにくいかも知れませんが、これからも宜しくお願い致します。
by leo (2008-07-25 22:28) 

sig

チョコシナモンさん、ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-25 22:58) 

sig

leoさん、こんばんは。
5年間のブランクは寂しかったでしょうね。でも今はかわいいたままちゃんがいてくれて、しあわせですね。
sigも田舎にいた頃は何回かお別れを経験しているのですが、悲しい思いをしたあとには、その思いを癒す意味もあって、またすぐに別の猫を探したり、もらってきたりしたものでした。
悲しい思いをしなければならないことを分かっているのに、なぜまた飼うのか。それは、それ以上の豊かさや楽しさを与えてくれるからなんですよね。
あたかも人間よりも短い一生に幸せのすべてを凝縮して分け与えようとでもするかのように・・・。
by sig (2008-07-25 23:13) 

sig

Noraさん、お早うございます。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-26 06:02) 

sig

八犬伝さん、
furukabaさん、
kemmさん、   こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-26 15:02) 

sig

yannさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-26 17:18) 

puripuri

子供の頃、犬もネコもいました。当時のご飯と言うと、何処の家でも自分達と同じのをあげてましたよね。
チコちゃん、とっても苦しかったでしょう。sigさんの献身的な看病が文面からも伝わって来ます。
ネコはお腹に入った毛、いけない物を食べた時にそれらを出す為に草を食べますね。
ネコの本能と言うのか、子供ながらに目の当りにして凄いと思ったものです。
ミケちゃんも読ませていただきました。
ネコエイズと言うのも初めて知りました。可愛がって下さったsigさんご夫妻への
ミケちゃんからの感謝の気持だったのでしょう。

by puripuri (2008-07-26 23:39) 

sig

くらいふさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。

by sig (2008-07-26 23:46) 

sig

puripuriさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
飼いネコについて書いたチコとミケ両方の記事をご覧頂き、ありがとうございました。
確かにここに書いたチコの場合は、夜居なくなったときにpuripuriさんがお書きになったようなことをしてきたのではないかと思います。ただそれまでは足腰が立たなかったから動けなかったのでした。
とにかくこの時代は、近くに獣医もいないし、あったとしてもマイカーはないしで、ペットが病気になればなすすべがなかったですね。

by sig (2008-07-27 00:00) 

花火師

実家では代々猫の名前は、ちびです。
by 花火師 (2008-07-27 01:24) 

sig

花火師さん、こんにちは。
おとなになっても「ちび」と呼ばれていたのですね。
それはそうと、8/2・3日の長岡まつりの花火大会には、お手伝いに行ってくださいますか。(笑)


by sig (2008-07-29 19:25) 

sig

lamerさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-29 19:26) 

TAKA

こんばんは
記事を拝見して、昔、小学生の頃、飼っていた犬を思い出しました。
その死は、突然訪れ、亡くなってから、ぽかんと何かがなくなった
様な感じでした。
これから子供に教えていかねばなりません。さてどうしようか、
思案中です。

by TAKA (2008-07-29 22:02) 

プリン

我が家も、猫をお店で買うつもりは全くありません。
いつも、拾ったり、もらったりです。
大切な思い出を紹介して下さってありがとうございました。
by プリン (2008-08-01 10:57) 

sig

TAKAさん、こんにちは。
私が子供の頃、彼らに教わったいちばん大きなことは、ここに書いたように、「生と死」「いのち」ということだったと思います。
お子さんたちが日頃、犬さん猫さんを可愛がっていることだけでも生きている喜びを受け取っているわけで、もしもの場合にはそれなりの受け止め方を自然に学べるのではないでしょうか。
by sig (2008-08-01 11:58) 

sig

プリンさん、こんにちは。
「ミケ」のページにも来ていただいて、ありがとうございました。
プリンさん宅のチョビちゃん、エルちゃんを時々覗かせていただいて、楽しませてもらっております。みんなゆったりと幸せそうで、飼い主の優しいお人柄がしのばれます。
by sig (2008-08-01 12:32) 

corrado

気が付くと
固唾を飲んで読んでいました。
元気になったチコ母さんの生命力は素晴らしいですね。

どこかの記事で書きましたが、
以前飼っていた猫のミシュランを
交通事故で亡くしてしまいました・・・

雨の夜、道の端で無惨な姿で横たわっていた
姿は忘れられないです。

以前、人間はあまりに悲劇的なことを感じると、
一瞬感情が無くなると聞いたことがありました。

悲しいことにミシュランの突然の死で
実感してしまうことになってしまいました。

by corrado (2008-08-03 01:50) 

sig

corradoさん、こんにちは。
悲しいことを思い出させてしまいましたね。
私も昔、いっしょに夕涼みに出たはずの飼い猫が、私が安心して風呂に入っている間に車にはねられたらしく、必死の思いで家までたどり着いたのでしょうね。家の裏まで戻って息絶えていました。あまりにも突然のことで動転したことがあります。
突然のお別れも、病気でのお別れも悲しいですが、corradoさんと同じ突然の出来事を体験した時は、完全に空白状態にあったと思いますね。
by sig (2008-08-03 09:05) 

sig

maicatさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-09-03 21:06) 

sig

Nyandamさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-09-03 21:07) 

アヨアン・イゴカー

動物と一緒に暮らすことの意味は数々あると思いますが、その中の一つはその天命をそのまま受け入れて生きて行く尊さを学ぶことにもあると思います。猫ちゃんたちは決して悪足掻きをしません。その姿が神聖で、尊く見えます。
by アヨアン・イゴカー (2009-09-06 12:45) 

sig

アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
ペット(この呼び方を嫌う人もおりますが、この場合は一般的な呼び方として)といっしょに居ると教わることがたくさんありますね。人間界のしがらみを忘れさせてくれます。それをいやしというのでしょうね。
ペットの死に遭遇する体験は、子供時代にぜひとも通過しておいて欲しいと思います。
by sig (2010-10-05 10:00) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-05 10:01) 

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