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高3で長髪解禁。修学旅行で初めての革靴 [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG あんなこと、こんなこと-23
高校時代 1956~1958(S31-33)-⑪ 
高3で長髪解禁。修学旅行で初めての革靴

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●1958(S33)年3月 学校で配布された修学旅行のガイドブック
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●修学旅行は高3になったばかりの3月、新学期開始前に
 それまで高校の修学旅行は3年生の3学期の終わり、つまり高校生活最後の思い出づくりとして卒業の直前に行われていました。ところが私たちの年かその前の年からか、2年生を修了し、3年生の新学期が始まる前に行くようになりました。それは卒業前だと修学旅行から帰ってすぐに進学・就職となり、そのための準備期間が少なすぎるという反省からでした。

 修学旅行は、旅行そのものの目的のほかに、足と頭に関する大きな転換点でもありました。まず、旅行に行くのに、それまで当たり前のように履いていた「足駄ではまずい。革靴を履きなさい」ということで、初めて革靴を履く指示が出たこと。
 そしてもうひとつは長髪の許可です。長岡商業では長髪は禁止されていましたが、3年生は進学・就職を控えることになります。いくら昔の話とはいえ、社会人や大学生は長髪です。髪はすぐに伸びる訳ではないから、卒業までに一人前のヘアスタイルができるように3年生には長髪を認めて上げよう。そういう学校側の思いやりでした。

 とりあえず修学旅行に履くための靴を、ということで、母といっしょに長岡市街へ靴を見立てに行きました。靴屋さんに展示されている靴は3千円前後だったと思います。足駄なら新調しても500円もかからないでしょう。それに足駄の習慣で広がった足指は16文(約26cm)でなければ履けず、靴はかなり高い買い物になり、母には済まないと思いました。

 ここで面白い日記の記述があります。修学旅行に出かける半月前に、学校で糧食としての米が集められています。京都2泊分、宇治山田と箱根各1泊分、述べ4泊分として合計2升(約3kg)が事前にみんなから集められ、旅先へ送られているのです。少しでも修学旅行の経費を安く上げたい。そのための配慮ですが、当時から米どころとして有名だった新潟から産地直送で集められた3年生全員270人分の米が、旅館でそのまま自分たちの食膳に上ったかどうかは分かりません。旅館側としては食事の料金を割り引かなければならなかった訳ですが、米を先に入手すると言う行為にはそれなりのメリットがあったのでしょう。とくかくそんな時代でした。 

●修学旅行の目的地は関西、伊勢志摩、そして東京
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 修学旅行は1週間。コースは京都、奈良、大阪、伊勢、箱根、東京を回って帰ります。なぜか6クラスを半分ずつに分け、1日違いで出発しています。私たちは3月30日の先発でした。(調べたところ、修学旅行が春に集中し一般客の運行に影響を及ぼすようになったので、この年から「一般旅客優先」を目的とする輸送の合理化が始まったとあり、そのせいかと思われます
 ところがなんと2日前から雪が降り、家を出るときには4~50センチも積もっていました。このころはとにかく降雪量が多かったのです。買ったばかりの底の平らな皮靴では滑るばかりで雪の上を歩けず、駅までは長靴で行き、ホームで革靴に履き替えました。

  また、3月末に冬の服装ではおかしいということで、オーバーから薄いレインコートに着替えていきましたから、その寒かったこと。
 新幹線の無い時代ですから、最初の目的地・京都へ出るのに長岡から先ず直江津へ。そこから北陸本線で富山、金沢、福井を経て敦賀から琵琶湖東岸を彦根、大津と南下して、まるまる一晩掛けて到着しました。

 
京都では、西芳寺、渡月橋、三十三間堂、清水寺、金閣寺、京都御所、平安神宮、二条城、平等院。奈良、大阪はさらりと過ぎて、伊勢志摩では伊勢神宮に参拝のあと御木本の真珠工場を見学するなど、定番のコースでした。

  いちばん楽しかったのは2泊した京都の夜です。自由時間も長かったので、友だちと祇園をうろつき、舞妓はんが出てくるのを待ち伏せしたり、新京極あたりの盛り場では「炎」という歌声ホールを初体験しました。
 歌声ホールは1955(S30)年に新宿に生まれた新傾向の喫茶店で、当時若者たちの間で親しまれていたロシア民謡の「ともしび」や「カチューシャ」のタイトルをそのまま店名にして、ピアノやアコーディオンを伴奏にみんなで合唱するという極めて健全なもので、アルコールは無し。修学旅行ではぜひ行ってみたいと思っていたところでした。
 
その日の日記には「100円でコーヒー一杯とケーキひと切れは少々高かった」と書いてあります。ちなみにこの前年には5000円札が発行され、「神武景気の年」と呼ばれる好況の年でした。

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●おなじみの修学旅行風景(長岡商業高校・卒業記念アルバムより)
 
●修学旅行後日譚
 修学旅行では
初めて履いた新品の革靴が馴染まず、足にまめが出来ました。旅行で新調した革靴は就職後に使用することにして、みんなはまた馴染んだ高足駄にもどり、卒業までその格好で過ごしました、トサ。

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カメキチ

修学旅行の思い出があるのはうらやましいですね。私には修学旅行の思い出は一つもありません。小学校は戦時中で中止、中学は3年生で新制高校に変わり、そのドサクサで無し、高校も時期尚早で無しでした。
長髪にはすごい思い出があります。新制高校2年の時でした。学校は長髪禁止でしたが、数人の有志が集まり、長髪に挑戦しました。何度か有志たちは校長室に呼ばれ、直ちに散髪するようにといわれましたが、断固抵抗遂に有志たち全員は一週間の自宅謹慎処分を受けました。それが引き金で校内に長髪の機運が高まり、我も我もと長髪に踏み切り、遂に学校側が折れ、長髪禁止令は解かれました。昭和22年頃のことです。n
by カメキチ (2008-08-15 10:30) 

sig

xml_xslさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-15 10:56) 

sig

カメキチさん、こんにちは。
カメキチさんの頃は動乱期?で、修学旅行どころではなかったのですね。
長髪の是非については私の頃まで言われ続けていた訳ですが、カメキチさんの頃に学生が団結して学校側を説き伏せたというのは、随分進んでいましたね。
戦後、社会に対する不満を真っ先にぶつけてきたのが学生運動であったことを考えると、カメキチさんたちはその先端を行っていたのですね。
by sig (2008-08-15 11:02) 

puripuri

次兄は3年生の三学期になってから伸ばしていたみたい。長兄は??
お米の話しを聞いて、うちの子達もお米を学校に持って行ったような気がします。
当時、革靴で三千円と言うと高い買い物ですものね。今に換算するといくらになるのでしよう。
それに買ったばかりだと足が痛くて歩き回るのも辛かったでしょう。
今ではそれも懐かしい思い出ですね。
by puripuri (2008-08-15 13:30) 

sig

puripuriさん、こんにちは。
お兄さんたちはsigと同じような体験をされたようですね。
もう半世紀以上前の話ですから、長髪にしても、旅行のルートにしても、旅行のお米にしても、もう忘れてしまっていたことですが、日記を見て、自分自身そんなことがあったのか、と思い出しながら書いています。
書きながら戦後から今日までの日本の急激な変化を改めて感じております。
3000円の革靴は今の3万円以上でしょうか。この金額がトラウマになって、sigは今でも3000円以上の靴は高くて買えないのです。(爆)

by sig (2008-08-15 17:47) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-15 17:51) 

sig

チョコシナモンさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-15 23:39) 

sig

yannさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-15 23:40) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-15 23:41) 

furukaba

修学旅行の費用は積み立てていたように思います。
お米持参は確かにそうでした。懐かしい話です。
by furukaba (2008-08-16 05:47) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
「修学旅行にお米持参」は自分でも忘れていましたが、当時の日記に書いてあったので思い出して書きました。
furukabaさんにも懐かしく思い出していただけたとは、うれしいです。
by sig (2008-08-16 12:08) 

銀猫

一週間とは長い修学旅行ですね。
わたしが中学の時は2泊3日。高校でも3泊4日でした。
お米の話は面白いですね~ ^^
美味しい米所のお米。sigさんたちの口に入ったかどうか疑問ですね(笑)
物の値段も、コーヒーとケーキが百円で高いと感じる頃に、
あのテレビで79,800円とは…
ちなみにわたしはまだ生まれてませんよ(笑)
by 銀猫 (2008-08-16 13:03) 

sig

銀猫さん、こんにちは。
銀猫さんの修学旅行期間が短かったのは、受験のためでしょうか。
銀猫さんが生まれる前は、面白い(おかしな)時代だったでしょう。
テレビ放送は始まったばかりで、それもモノクロ。その上、テレビが見られる地域は大都市に限られていましたから、まだ買う人が少なかったから高かったのでしょうね。
とにかく私が高校を卒業してから、日本の経済はいわゆる右肩上がりの成長期に入っていくわけです。そうしたいい時代に銀猫さんはお生まれになったのではないでしょうか。
by sig (2008-08-16 14:39) 

sig

lamerさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-17 09:09) 

Qoo

sigさんご無沙汰してしまいました
あのパンフレット凄いですね(^^)
よく残ってましたね~
TV、近所でカラーTVを買ったと聞いた時
みんなで見に行った覚えがあります

修学旅行は奈良・京都でしたけど
ただただ行ってきたと言うだけで想い出がありません
もったいない事をしたと思います

by Qoo (2008-08-17 10:53) 

sig

Qooさん、こんにちは。
旅行のパンフは、その頃修学旅行の写真を貼ったアルバムに関連資料として挟んでおいたものです。
カラーテレビを近所の家に見に行ったとのことですが、私の世代ではそれがモノクロテレビでした。ちょうど今ブログに書いている高校3年生の頃のことです。私の住む町の電気屋さんに入荷しましたが、北陸に向けた放送局のアンテナがまだ無かったため、砂嵐の中で何かがうごめいている、という感じでした。もちろん音声もノイズだらけでした。
年齢の差が分かりますね。
by sig (2008-08-17 16:25) 

sig

ねこじゃらんさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-20 20:56) 

sig

みかっちさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-20 20:57) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-28 22:38) 

sig

甘党大王さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-28 22:39) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-05 11:04) 

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