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プロの演劇人に学んだ貴重なひととき [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG  あんなことこんなこと―26
高校時代 1956~1958(S31-33)-⑭

プロの演劇人に学んだ貴重なひととき
演劇かぶれだった高校時代【下】 

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●鹿鳴館時代の舞踏会の様子 「扶桑改良双六」(1887頃)より

●学校で/文学座「鹿鳴館」に接し、更に発奮
 長岡ではプロの劇団による公演を見られる機会はほとんどありませんでした。私が長岡にいる間、1度だけ高校2年生の秋に文学座の「鹿鳴館」の公演がありました。三島由紀夫の「鹿鳴館」はその前年、1956年(S31)11月27日に文学座創立20周年記念公演として東京の第一生命ホールで初演の幕を開けました。それが、大都市での公演をひと巡りした後、長岡へやってきたもののようでした。

 
当時の長岡には劇場と呼ばれるものは無く、適切なホールも無かったためか、市内・中島小学校の体育館に特設ステージを組んでの公演でした。公演は午後6時からでしたが、午後1時から中越会館4階の会議室で、演出の松浦竹夫先生はじめ出演の俳優さんを囲む座談会が催されました。参加者は長岡市や演劇団体の関係者、それに市内の高校演劇部から数名の参加が許されました。めったにない機会ということでたくさんの関係者が集まり、車座になって話を聞きました。杉村春子、中村伸郎、長岡輝子、丹阿弥谷津子、北村和夫、仲谷昇といったそうそうたる俳優を目の前に、生意気に質問などして親切に答えて頂き、「新劇は大衆と共にありたい」というお話に大いに共感しました。

 
公演はその夜の6時から。中央の演劇をナマで見られるということで、会場は満員でした。初めて見る新劇の舞台。その大規模な舞台装置。クライマックスの舞踏会を彩る貴婦人たちの絢爛豪華なコスチューム。それにも増して三島由紀夫の華麗な台詞を優雅にこなす俳優たちの演技に完全に心を奪われてしまいました。このカルチャーショックで、演劇かぶれの重症度が更に高まりました。

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●ジョサイア・コンドル設計「鹿鳴館」1883(M16)落成 横浜開港資料館蔵

●個人で/東京への初の一人旅。文化座を訪ねる
 高校3年の夏休みには、東京・北区の文化座を訪ねるために、修学旅行以来2度目の上京をしました。東京で働いていた知人が手配してくれたのです。上京にはお金がかかることもあり、その日が近づくにつれ両親にいつ切り出そうかと迷い続け、遂にぎりぎりまで言い出せませんでした。前日に母に言うと父に伝わり、後に引けない状況なので父は許してくれました。

 
この時は初めての一人旅です。JRはまだ国鉄と呼ばれ、D51などの蒸気機関車が牽引する列車の時代です。緊急か仕事でもなければ「急行」などは利用せず、一般客は三等車。長岡から上野までは上越線の鈍行(各駅停車)でおよそ7時間半かかりました。 

 暑い盛りにいろいろ迷いながら、田端にあった劇団の稽古場をようやく探し当てると、主宰者の佐々木隆先生が待っていてくださいました。先生の仕事部屋らしき所に通されて挨拶を済ますと、女性の方がお茶を出してくださいましたが、その方は佐々木先生の奥様でもある俳優の鈴木光枝さんでした。恐縮していると、佐々木先生が「昨日まで伊豆で合宿練習があってね、今日はお休みで誰もいないんだよ。稽古を見せられなくて済まないね」といって、用意されていたアルバムをもとに演劇づくりのお話をしてくださいました。

 
文化座はこの時、座員、研究生を合わせて50名。ゴッホの生涯を描いた三好十郎作「炎の人」の稽古に入っていたところでした。脚本の読み合わせは稽古場に輪になって座り、40日も掛けてじっくりと掘り下げていくそうです。先生は前作の「浮標(ぶい)」や文化座の代表作「荷車の歌」など、アルバムを手に、演出について、演技のポイントなど、いろいろ親切に教えてくださいました。

 2時間ほどお邪魔し、広い稽古場を覗かせていただいた後で、「君は演劇をやりたいの」と聞かれました。できればその道へ、という気持ちが無い訳ではありませんでしたが、その時はまだ「はい」と言える確信はありませんでした。その程度の気持ちで文化座を訪ねたことがとても恥ずかしくなりました。もっとしっかりした自分の立ち位置を掴んでから訪問すればよかったと後悔しました。
この翌年(1959/S34)、「荷車の歌」(新東宝)が山本薩夫監督、三国連太郎、望月優子主演で公開されました。

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●文化座・佐々木隆先生から頂いたサイン入り脚本集 1958 池田書店刊
 収録戯曲に佐々木隆先生の演出ノート付き
 

●地元で/1泊2日の演劇講習会に参加
 青年団を中心とする地元のグループでも、独自に演劇の勉強を続けていました。高校3年の冬休み期間中に「新潟県演劇指導者講習会」が十日町市の「雪まつり」に合わせて1泊2日のスケジュールで開催されるということで、長岡市の社会教育関係者に混じって地元劇団「いろりの会」のメンバーといっしょに参加しました。

 
十日町雪まつりは、巨大な雪のステージ上で特産の十日町御召をPRする絢爛たる呉服のファッションショーとして当時から有名でした。この日は雪上ステージで地元劇団による「雪女」という演劇が予定されていたのですが、雪が降らなかったので中止となりとても残念でした。きっと降りしきる雪が欠かせない演出だったのでしょう。

 
演劇講習会は午後から小学校で開催されました。講師は八田元夫先生。先生は当時新協劇団(劇団「東演」の前身)で「破戒」を演出中だったと思いますが、ここでは「演劇の基本について」の講義と、ステージ上で演じられた「トンネル」という演劇についての講評が行われ、具体的な指導がなされました。その夜は旅館で気分が高揚して寝付かれず、2時半頃まで仲間と演劇について語り合いました。

 
2日目は八田先生の「脚本のつかみ方/演出の仕方」の講義。次いで専門の照明技師さんから照明についての解説、更に「労演」の指導者からは「観客のあり方」といったことについて聞きました。「労演」は勤労者を基盤に大きな組織動員力で演劇を支援する演劇観賞運動で、当時隆盛を極めていました

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●地元劇団「いろりの会」のステージプラン 1958

 このように高校時代に私が接した演劇は、決してそれを語れるほど専門的なものでもなく厚みのあるものでもありません。
 
私が高校時代の3年間、演劇を通して学んだことは、技術的な事柄よりもむしろ、自分を客観視できることであったり、物おじしないずぶとさだったり、もっぱら精神修養であったような気がします。
  私がほんの瞬間でしたがお会いしたプロの演劇人の方々の多くは、残念ながらすでに他界されました。今日の演劇界の振興に大きく寄与された功績は計り知れないものがあると思います。
 心よりご冥福をお祈りいたします。


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Qoo

上野→東三条  上野→直江津
幼少の頃は夏休み冬休みは必ず行ってました
恐ろしく時間が掛かり、車内で退屈してしまった記憶があります
今は新幹線であっと言う間ですからね

一芸にに秀でた方は人間的にも磨かれるのでしょうね
他人に対しては腰が低く暖かみがある様に思えます
自分には相当厳しいのでしょうね

by Qoo (2008-08-26 06:33) 

sig

xml_xslさん、お早うございます。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-26 07:24) 

sig

Qooさん、お早うございます。
東三条、直江津はご両親のご実家でしょうか。やはり上野から各駅停車で行かれた記憶がおありですか。
私の場合、就職してから盆・正月に帰省するときには、上野駅前にテント村が作られ、忘れもしない午後11時55分発の新潟行き最終列車に乗るために2時間ほど並んだ後、文字通り足の踏み場もない超満員の車内で、立ったまま7時間半ウトウトしながら揺られて帰りました。到着は早朝7時半でした。帰宅すると、列車の疲れと日頃の仕事疲れがどっと出て、その日は夕食が整って母に起こされるまで、泥のように爆睡していました。

人間的に丸くなっていくということはどういうことかよく分かりませんが、自分をわきまえるということが分かってくるということでしょうか。その根底にきっと自立と自律ということがあるのかも知れませんね。
by sig (2008-08-26 07:56) 

furukaba

出会いの素晴らしさや資料の保存が見事です。
そして 若き日の情熱が文面から伝わってきます。

by furukaba (2008-08-26 11:42) 

ChinchikoPapa

sigさんが、これほど演劇に造詣の深い方だとは驚きです。映画のほうは、よく存じ上げていましたが・・・。
わたしは、麻雀屋のいかがわしいオヤジから大学教授までこなせる、文学座の中村伸郎が大好きでして、晩年のひとり芝居をわざわざ観にいったことがありました。杉村春子もいいのですが、褒めると連れ合いが「うーーん・・・」というので隠れ杉村ファンということになっています。(笑) ほんわかしたお婆さん役がピッタリだった、鈴木光枝もいいですね。同じ文化座の山村聰も好きです。
いま、ぜひお話をうかがってサイトの記事にしたいと思っていますのが、北林谷栄さんなんです。先日、目白台の新江戸川公園を散歩してましたら、犬を連れた大女優とバッタリ遭遇しまして、目白界隈にお住まいなのがわかりましたので、もう一度出会えないものかとウロウロしています。どなたか近所で、ご存じの方がいればいいのですが・・・。あと、鎌倉から転居してご近所にいると思われる、親父が大ファンだった伝説の原節子さんにも、お話をうかがいたいですね。^^;ムリですね
by ChinchikoPapa (2008-08-26 12:10) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
この頃は中央の文化は地方へなかなか伝わってきませんでしたから、とに角機会は逃さない、というくらい貪欲でした。東京への単身初上京にしても、止めても無駄、と父母は匙を投げていたと思います。
私たちの頃はクラブ活動は全員参加でしたから、文系にしてもスポーツ系にしても、誰でも打ち込めるものを探して、のめり込んでいったと思います。
私にはクラブ活動を通して得たものは極めて大きいのです。
その後何年も経過して、「今は、クラブは入っても入らなくても自由なんです」ということを聞いたとき、<それが自由か。もったいない>と思いました。
by sig (2008-08-26 13:20) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんにちは。
いえいえ私は演劇を語れるほどの人間ではありません。中村伸郎さん、私も大好きでした。杉村春子さんは、あの独特な話し方に特長がありましたね。鈴木光枝さんも含めて私の場合は映画で見る方が多かったのですが。
北林谷栄さんは、映画「ビルマの竪琴」以来忘れられません。あの時若くしてすでにおばあちゃん役でしたから、今も変わらずそのままでしょう。(笑)お元気でいらっしゃるのですね。お会いできるといいですね。原節子さんは例えお会いする機会がなくても、ご健在でおられるというだけで昭和世代としては心強く、うれしいことです。
by sig (2008-08-26 13:38) 

銀猫

ああっ まだコメント書いてないのにー(笑)

sigさん、本当に演劇がお好き…お好きという表現は違いますね
演劇の魅力にどっぷり…って感じでしょうか?
とにかく、高校時代にそんなに夢中になれるものがあったなんて
とても羨ましいです。
自分は高校時代何をやっていたんだろう… と思い返しても、
わたしなどは何もでてきません。
写真を始めたきっかけは高校で写真部に入ったことからですが、
当時は特に何もしていませんでしたし…
時間をたくさん無駄にしてしまって、後悔もたくさんです。。。
by 銀猫 (2008-08-26 16:33) 

sig

銀猫さん、先ほど確かに銀猫さんのご訪問があったんですよ。(笑)
どっちにしてもso-net、ここんとこまたコメントがなかなか入らなかったりして、かなりおかしいですよ。そんなことありませんか?

銀猫さんも高校時代にやっていた写真がベースになって、ソネフォトで腕を上げているじゃないですか。やってきた演劇だって同様、自分を表現する意味で、きっと役に立っているはず。
例えば写真を撮るときどうフレーミングするかはステージのレイアウトにも通じるし、タイトル考えるにしても、銀猫さんは結構ドラマチックというか演劇的な表現使わないですか。無駄というものはないのですよ。だから後悔もなし。これからも演劇でいつの間にか会得したセンスを、写真に生かして行きましょうよ。


by sig (2008-08-26 19:47) 

sig

チョコシナモンさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-26 19:47) 

sig

yannさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-26 23:20) 

lamer

色々な方のコメントを読ませていただきました。
それぞれ素晴らしいコメントで、私などうかつなことを書けない感じです。
演劇青年のイメージを感じました。
そして、昭和此処に在りでしょうか?
失礼いたしました。
by lamer (2008-08-27 15:49) 

sig

lamerさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
学生時代はみんなそれぞれの青春があったはずで、私は私の青春を書いているだけなので、これをきっかけに、lamerさんはご自分の高校時代を思い出していただけば、それでいいのですよ。私の場合、打ち込むものがあったのは幸せだったと思います。
1956-1958年(昭和31-33年)、考えてみると、まさに昭和のど真ん中でしたね。

by sig (2008-08-27 22:00) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。

by sig (2008-08-27 22:07) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-28 01:19) 

lamer

そうですね。
それぞれの高校時代があるわけですから・・・。
私の高校は工業学校で、その頃は男だけで殺伐としていました。
小学5年に転向してきた裕次郎がそのまま中学で一緒でした。
私はその頃から水彩・油絵に没頭していました。
by lamer (2008-08-28 11:57) 

甘党大王

我が父のヤンチャ時代と同年代でしょうか?
若かれし父を思いダブらせ拝見させて頂いております(^.^)
知るはずも無い昭和の頃のお話ですが・・・
何故? 懐かしさを感じるのでしょ~(^^ゞ
by 甘党大王 (2008-08-28 22:28) 

sig

lamerさん、こんばんは。
裕次郎さんといっしょとはすてきなお話ですね。
私たち世代は日活時代の石原裕次郎をいちばん良く知っている世代かと思います。みんなそれぞれ1本1本の映画に思い出があると思いますよ。
絵画もすてきですね。もし私に絵が描けたら、そちらの道にすすんだことでしょうね。
by sig (2008-08-28 23:05) 

sig

甘党大王さん、こんばんは。
私は1958年に高校3年です。甘党さんのお父さんの若かりし頃と重ねて読んで頂いたとはうれしいです。
このブログはもともと自分のために、これまでのことを整理してみようと思って始めたものですが、同じ時代を共有してきた人たち以外の世代の方がご覧下さるとは、本当にうれしいですね。これからもよろしく。
by sig (2008-08-28 23:13) 

sig

みかっちさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-29 00:27) 

sig

kontentenさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-29 19:57) 

sig

puripuriさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-31 22:37) 

sig

gyaroさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-16 08:29) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-05 11:08) 

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