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私が見たのは「四丁目の夕日」 [「動画」の自分史]

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私が見たのは「四丁目の夕日」
その時東京タワーの完成は目前だった 

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●有楽町「日本劇場(日劇)」 学研「証言の昭和史8」より 
高層ビルも高速道路も無く、高架線を行く湘南電車,都電,自動車などに時代が感じられます。この写真はカラーではなく、当時の絵葉書に多かった人工着色のようです。


 高校時代、毎日の出来事を書き込む日記とは別に、特別な場合にはもっと詳しい記録をとっていました。それは日記帳に書ききれない特集記事ですから、ノートを使ったり、罫線だけの手帳であったりしました。今、手元に残っているのは「田舎学生単身上京記」と題したバインダー式の手帳で、高校3年の夏休みに東京・築地の叔父さんに会いに上京した時の記録です。
日付は1958(S33)年8月17日。ちょうど50年前になります。
 

■「田舎学生単身上京記」より
 以下は、築地から晴海通りを北上。銀座四丁目を通って有楽町まで歩き、日劇(現在のマリオン)で「秋のおどり」を見せてもらった時の描写です。()は注釈です。

 
夕方、叔父さんの案内で築地に出かけた。魚河岸を一周して東京の魚市場を余すところなく見せていただいた。どんよりと黒い隅田川。勝鬨橋の向こうは月島という。(当時の隅田川はどぶ川で悪臭ふんぷん。岸辺には日中ドブネズミがうろちょろ。勝鬨橋の開閉は行われていた)少し行くと霞んだ向こう(排気ガスと煤煙のせい)に浜離宮が見えた。エッフェル塔より何メートルか高いというテレビ塔(東京タワー)が、もうほとんど完成した形で見える。

 午後5時過ぎ。ちょうど人が出始める頃か、それこそ人の波。東劇の前で機械が自動で好みのレコードを演奏する(ジュークボックス)のをしばらく聞いた。銀座の人出はそれこそすごい。(銀座四丁目の)交差点にある交番ではお巡りさんが20人くらいも出て整理に当たっていた。このあたりに森永の地球儀や星の形をした大きいネオン塔(松竹会館か?)が密集している。向こうを見ると省線(国鉄の高架線)の手前にもロクロ首のようなネオン(ポポンS)が見えた。

 
少し行くと丸味を帯びた大きな劇場があり、そこが雑誌の写真で見知っていた日劇だ。叔父さんから切符を買ってもらって中に入った。なんと2階のボックス席。私が演劇狂だということを知っていた叔父さんは、そのいちばん前の席を奮発してくれたのだ。見下ろすと真下にオーケストラボックス。その奥に舞台が手に取るように見える。開幕前に手洗いから戻ると、ロビー(ホワイエ)に間もなく第一景に出演する踊子たちが大勢歩いてきた。

 席に着くと、開幕と同時に軽快な音楽に合わせて階下の観客席通路の奥まで踊子たちが入り込み、場内全部がステージのようになった。観客を丸ごと包み込んでしまう壮大な演出だ。
 きらめく衣装、七色のライト、華麗なステージ。私のいるボックス席からは舞台がせり上がるのや、踊子を乗せた台が横から滑り出してくるのやら、ボートやケーブルカーにつながった針金を裏方が操るのやら、照明係の動きまで何から何まで良く見える。オーケストラボックスの演奏者も実に堂々としたもの。フィナーレも最高潮に盛り上げて、それはうっとりするような数時間だった。

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●写真左/完成間近かの東京タワー 毎日新聞社「昭和史全記録」より
 写真右/8ミリ映画で私が撮影した日劇 (この後1982年閉館)

 
初めて見る本物のレビュー「日劇・秋のおどり」のスケールと迫力は目を見張るほどすばらしいものでしたが、ノートにはステージの出し物についての感想が全くありません。もっぱら装置や照明など、裏方の動きに関心があったようです。ただ、幕間に展開された寸劇の趣向にはびっくりしました。それは今でもはっきり覚えています。

 
ステージ中央に1台のオープンカー。この車に二人の男性が乗りこむところからコントが始まります。世界の名所旧跡を巡るというようなストーリーだったと思います。とにかくこの車がすごい。水陸両用どころではありません。ものすごいスピードで陸上を突っ走ったかと思うとそのままザンブと海中へ。海底に眠る古代都市跡を経巡るうちに火山の噴火に遭遇し、危機一髪というところで思いっきり上空へ噴き上げられ、ホッとしたとたんに今度は車のトラブルでキリモミ状態で墜落。みるみるうちに迫って来る地上。絶体絶命。あわや……というように縦横無尽に走り回るのです。
(フジテレビ、月曜午後7時からの「ネプリーグ」の元祖でしょうね)

 
ステージにそんなに壮大なセットが組まれているわけではありません。仕掛けはオープンカーとその背後のスクリーンに映し出されるシネマスコープ映画です。つまり、映画は背景として迫ってくる情景だけを映し、ステージ中央のオープンカーは、それにつながるワイヤーを舞台両袖の裏方数人が呼吸を合わせて上下左右に揺り動かすだけ。それだけで猛スピードで走り回る感じが出るわけです。車の二人は観客に背を向けて運転しているので、観客もいっしょにシネマスコープのワイドな景色の中を突っ走るという感覚になります。それはまさに陸海空を自在に飛び回るジェットコースター。そのスリル満点のスピード感にびっくり仰天。痛快極まりないムービー・マジックに身体全体で魅了されていました。(毎週月曜日、フジテレビ系午後7時からのクイズ番組「ネプリーグ」がこれと同じ趣向です)

 
これは映画のスクリーンプロセスという技法をショーアップして見せたものなのですが、高速感が出るように撮影されたスクリーンの情景は、綿密にステージライブの進行と同調するように秒刻みで編集されなければなりません。この日、日劇で見た本場のレビュー体験は、私の演劇的関心と映画的興味を大きく増幅させることとなりました。

 
それから約4ヵ月後のこの年の暮れ、12月23日に東京タワーが竣工しました。全国的にテレビが楽しめる放送新時代が到来したのです。それは情報が音声だけでなく映像を伴って家庭に届くという夢のような時代の幕開けでした。

【余談】 
あとで知ったことですが、この幕間をつないだコントの芸人は、一人は後にフウテンの寅さんで有名になる渥美清さん。もう一人は映画で憲兵など怖い兵隊をやらせたら右に出るものがなかった予科練帰りの南道郎さんが演じていたのでした。
ついでに言うと、やはり憲兵役では松竹映画「人間の条件」の安部撤さんのすごかったこと。いわゆる悪役ですが、忘れられません。悪役ついででは時代劇の進藤英太郎さん。悪代官など決まっていましたね。晩年はテレビで好々爺を演じていましたけれど。

 

※この上京の際、初めて8ミリ映画カメラを持って行きました。その時撮影した映像は下記のページに掲載しました。どうぞお立ち寄りください。
http://fcm.blog.so-net.ne.jp/archive/200809-1


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furukaba

日劇は懐かしい写真ですね。
都電が往復25円 かけそばも25円と記憶しています。

by furukaba (2008-08-29 11:17) 

kontenten

四丁目の交差点
今は、三越・和光・三愛・日産のショールームになっていますが
当時の光景は如何でしたか?
by kontenten (2008-08-29 11:39) 

sig

kontentenさん、こんにちは。
この時は生まれて初めて一人での上京でした。それに、ぼやぼやしてると危険なところだからと言い含められてきましたから、無我夢中でした。
もう50年も前のことですし、予備知識は銀座4丁目の森永の地球ネオン塔くらいのものでしたから、それ以外は次々回に掲載予定の8ミリで撮影したことしか思い出せません。いなかから初めて出てきた学生にとっては、とにかくめまぐるしく、騒々しいところでした。
by sig (2008-08-29 12:46) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
この日劇の写真はいい写真ですよね。みなさんにも懐かしいだろうと思って、ちゃっかり掲載させて頂きました。
都電と掛けそばが同じ値段だったから覚えていたんですね。物価は今の1/20~1/25というところでしょうか。ありがとうございました。
by sig (2008-08-29 12:50) 

sig

yannさん、こんにちは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-29 12:50) 

ChinchikoPapa

こんにちは。
わたしが親父に連れられて、ヨチヨチ銀座を歩きはじめるのは60年代に入ってからですが、いまだに森永の土星ネオンは強烈に憶えています。「森永チョコレート」と「森永ミルクキャラメル」が、赤文字で交互に土星の輪を流れていたように記憶しています。ワコーのことを、生涯ずっと「服部時計店」と呼んでいたのも懐かしいですね。数寄屋橋の外濠が埋め立てられたのを、すいぶんあとあとまで残念そうに話してました。きっと、「君の名は」とか「有楽町であいましょう」とか、なにかの濃い想い出につながっているのでしょう。
当時の8ミリフィルム、楽しみです。^^
by ChinchikoPapa (2008-08-29 13:12) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんにちは。
森永の広告塔は地球儀ではなく土星なんですね。「スーパーマン」のデーリー・プラネット社と同じイメージを持っていました。私の場合、森永ミルクキャラメルは命の素(爆)でしたから、あの広告塔にはものすごい親近感があるのです。また、私もワコーなどと呼んだことは無く、今でも「服部時計店」です。
「君の名は」「有楽町で逢いましょう」の後には、神戸一郎だったか「銀座九丁目は水の上」という曲も生まれましたね。「有楽町で逢いましょう」は当時オープンしたばかりのそごう百貨店のコマーシャルソンということは有名で、実際にはそんな地番はない「銀座九丁目は・・」もコマソン、あるいはイメージソングとして作られたらしいですね。
一世を風靡した「君の名は」の映画は三部作を全部見ていますが、その時はまだ中学低学年生でした。
by sig (2008-08-29 13:39) 

ねこじゃらん

この時代の文化やデザインが好きです。憧れです〜。
あ、先日、自分と笠置シヅ子が同じ誕生日だと知り、
大喜びしています♪♪
by ねこじゃらん (2008-08-29 13:56) 

sig

ねこじゃらんさん、こんにちは。
この頃は戦争の重い記憶がようやく薄れ、新しい日本を作るためにみんなが一つになって同じ方向を向いていた時代だと思います。
戦後早々、その口火を切ったのが笠置シヅ子さんでした。その元気印がねこじゃらんさんと共通点なんでしょうね。
ちなみにsigと同じ誕生日のタレントは松田聖子さんと山田花子さんです。(笑) 年齢も同じだといいな。
by sig (2008-08-29 16:07) 

sig

猫屋福助さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-29 19:58) 

sig

masakingさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-29 22:33) 

puripuri

叔父様は、とっても素敵なプレゼントをして下さったのですね。
その当時の事を詳しく記録をされていて、読んでいて私の頭の中で日劇の様子が浮かんで来ます。 
下の方には、なれ親しんだ方達の名前が出ていますが、その当時は、かけ出しの頃だったのでしょうか。
by puripuri (2008-08-31 21:11) 

チョコシナモン

sigさん(*´・ω・)ノこんばんわぁ 度々ブログにご訪問nice!ありがとうございます。
by チョコシナモン (2008-08-31 21:47) 

sig

puriupriさん、こんばんは。
日記をつけていたのはなぜか高校3年の春の修学旅行までなんです。
叔父さんは私のことをよく知っていて、前々からどこを案内したら私が喜ぶかを考えていてくれたに違いありません。家が築地でしたから生カキを存分に食べさせてくれたりしてとても優遇してくれました。この日劇での初めての体験が、のちに仕事上とても生きてくることになるのです。
渥美清さん、南道郎さんはこの頃、日劇でこんなことをやっていらっしゃったということですね。これはとても楽しいステージでしたよ。
by sig (2008-08-31 22:29) 

sig

チョコシナモンさん、こんばんは。いつもご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-31 22:40) 

Qoo

一枚目の写真はインパクトありますね~
当時からあんなにたくさんの車が走っていたんですね
都電は僕が生まれてからもありましたから、懐かしい感じがします
東京タワーは僕より少しだけ先輩だったのですね(^^)
by Qoo (2008-09-01 05:06) 

銀猫

とても素晴らしい思い出ですね~ ^^
わたしなどは日記をつけていた時ですら、ろくなことを書いていなかったような…
やっぱりsigさんは凄いです!!
そういえばまだ『続・三丁目の夕日』が借りられませんー
テレビでやるほうが早そう(笑)


by 銀猫 (2008-09-01 06:24) 

sig

xml_xslさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-09-01 08:35) 

sig

Qooさん、こんにちは。
この写真は、東京の中心と車社会到来をアピールする観光絵葉書かと思います。これらの車は取ってつけた感じがしないでもありません。つまり合成のような気がします。よく見ると向こうの景色(日劇や高架線)の色合いとなじまないし、少なくとも都電より手前の車は不自然に感じます。特に手前の5台が大きすぎませんか。
Qooさんは「東京タワー後世代」だったのですね。(笑) これ、結構大事なポイントで、日本が経済成長期に入った時なんです。このあと日本は右肩上がりのおめでたい時代を迎えるわけです。
by sig (2008-09-01 08:52) 

sig

銀猫さん、こんにちは。
日記は多感な頃はチョー詳細に書いていましたが、その後は1日の経過をメモッた位ですよ。
「三丁目」も「続」の方も見ましたが、ただ一人の受賞者を除いて本当にすばらしい作品だと思います。セットもCGも時代考証がしっかりしていて、懐かしかったです。「続」の放映はWOWOWではまだ先でしょうね。

by sig (2008-09-01 10:35) 

sig

PAPAさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-09-01 21:14) 

sig

龍之介さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-09-01 21:59) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-09-02 20:42) 

corrado

こんばんは、
戦後の焼け野原から復興した
東京の活気が伝わってきました。
この先のお話がとても楽しみです。
by corrado (2008-09-02 22:38) 

sig

corradoさん、こんばんは。
このブログは「自分史ブログ」と称して、私の体験を書いてきました。…が、
そろそろまだ始めていなかったカテゴリーの執筆に移らなければ、と思っています。「映画技術」と「ディズニー」ですが、もし興味がおありでしたら、また遊びに来てください。
by sig (2008-09-02 23:43) 

sig

Ja-Kou66さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-09-06 00:11) 

sig

みかっちさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-09-06 00:11) 

sig

甘党大王さん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-09-08 18:28) 

lamer

昭和33年は大学を卒業した年です。
同期の友人が映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」
作りに関わりました(白組)。
sigさんは四丁目で見られたのですね。
私も銀座7丁目の会社に入ったばかりでしたから・・・
同じ夕日を見たかもしれません。

by lamer (2008-09-16 09:36) 

sig

lamerさん、こんにちは。
ブログのアートもすばらしいですね。楽しませていただいております。
パソコン使いとあのセンスはうんとお若い方と思っていました。(笑)

ふたりとも、銀座4丁目と7丁目で同じ夕日を見ていたかもしれないなんて、いいですね。1975年頃には8丁目におりましたから、どこかですれちがったかも。

「白組」はすばらしい作品を作っておりますね。若かったら仲間に入れてもらいたいところです。
by sig (2008-09-16 09:57) 

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