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何を好んで三畳一間 [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG  あんなこと、こんなこと―28

何を好んで三畳一間

スタートはゼロからでなければダメなのだ

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●一人暮らしの三畳一間(窓辺の洗濯物はご愛嬌)。左の開いている窓はお勝手。 1963年

 「窓の下には神田川。三畳一間の小さな下宿」…ご存知、喜多條忠作詞、南こうせつとかぐや姫の「神田川」が一世を風靡したのは1973(S48)年。喜多條さんがその5年前に早大に入学して移り住んだ下宿生活を歌ったものだそうですが、するとそれは1968(S43)年。高田馬場あたりの神田川ベリには、まだ三畳一間の貸家があったということになります。
 この歌には貧しくても濃密な青春の思い出が込められていて懐かしい共感を覚えるのですが、私が三畳一間暮らしを経験したのは、それよりさらに5年前の1963(S38)年から64年にかけての1年間ですから、この歌のイメージに憧れて三畳間に入居した訳ではありません。
 1963年、それはアメリカに先駆けたソ連の宇宙船からテレシコワさんが「私はカモメ」とメッセージを発し、「見上げてご覧夜の星を」「今日は赤ちゃん」が流行していた年でした。


●一人暮らしもゼロから始めたかった

私が川崎で4年間の会社の寮生活に終止符を打ち、「さあ、自由の身だ」とばかりに一人暮らしのアパート探しに勇んだ頃、すでに一般的な貸家面積の最低レベルは三畳間ではなく、四畳半に移行していました。それでも私は三畳間のアパートを懸命に探しました。何を好んで三畳間なのか。それは私の生い立ちに関係しています。

私の生まれは1941(S16)年で、物心ついたのが1945年の終戦の年。日本が敗戦で何もかも失ってしまった年でした。このブログのあちこちにも書いているように、「自分はゼロから出発した世代なのだ」という意識が私にはとても強いのです。ゼロから出発してどこまでいけるのか。それが自分自身に対する課題でした。

それを明確にするためには、経済的な面でもゼロから始めたい。そうした決意がありましたから、18歳で就職の際、父が餞別として持たせてくれた1万円(初任給は6000円でした)も、翌年帰省の際に返却しました。父は昭和のはじめに娘三人の長女(母)に迎えられた婿養子でしたが、その前は東京に奉公に出ていた経緯があります。帰省は病床の父を見舞うためでしたが、私の差し出す1万円札を見て、父は「お前という子は…」と言って絶句しました。うちにいた時は父に反抗ばかりしていた私でしたが、この件で私はやっと父と気持ちが通じたような気がしました。その2ヵ月後に父は他界しました。

そんな訳で私の一人暮らしのスタートも四畳半からであってはならず、断固として三畳一間の安アパートからでなくてはいけなかったのです。

●駅から徒歩20分の陸の孤島

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●アパート(地図下の赤丸)は「武蔵中原」駅からほぼ直線で20分の陸の孤島。
 アパートのすぐ南の川。「井田の桜堤」はここから手前に始まっていました。

会社からあまり遠くては困るのでエリアは川崎市内に決め、休みのたびに探し回りました。工業地帯に向かう京浜急行大師線沿線よりも、田園地帯に向かう南武線沿線を目標に探しましたが、やはり独身向けには四畳半、新婚所帯には六畳が標準で、なかなか三畳間は見つかりませんでした。
  そこで、駅から徒歩20分圏にまで広げて探したところ、ようやく見つかったのが「武蔵中原」でした。駅南口は草むらで、中原街道沿いの大戸神社を抜けて間もなくすると畑や空き地が広がり、真ん中の一本道を歩いて20分。ぽつんと1軒だけ新築のアパートが見つかりましたので、
そこに決めました。

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●アパートの正面。アパート前の道を画面右に行くと「武蔵中原」駅。
 画面下部の道のすぐ左が「井田の桜堤」。

1階は大家さんの自宅で2階がアパート。三畳間は北の角部屋でした。場合によっては隣りの六畳間の借主が納戸として使えるように考えられたものでしょう。アパートのすぐ先には、神田川のような深くて広い川ではありませんが「井田の桜堤」と呼ばれる土手があり、長大な桜並木がそこから始まっていました。

アパートの近くにバス停がありましたが、30分に1本程度。ですからバスは使いませんでした。残業でくたくたの夜はさすがに遠いと感じました。

●三畳間といってもスペースは五畳分

 私の部屋は廊下を挟んだ向かいが共同トイレ。風呂はありませんので、退社後、風呂屋に寄ってから帰りました。部屋の入口は半畳の板の間。その脇が半畳分の押入。そして畳三枚の部屋があり、窓辺に一畳分のお勝手が付いていました。

一人暮らしの楽しさの一つに自炊がありました。どちらかというとベジタリアンなので、卵かけごはん、カレーライス、チャーハン、スパゲティなど。炊飯器と最小限の鍋や食器類を買いこんで、暇ができると「さあ何を作ろうか」と楽しみでした。けれどもいつも作り過ぎになってしまいました。

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●上段/左・玄関部分。砂利道なので長靴必需
    右・テーブル兼机。カーテンはお勝手の目隠し
●中段/左・洗面といっしょの流し。2合焚き電気釜。
    壁のハンガーボードは当時のアイディア商品
    右・思索の時間。机の上、柱のところにポータブルラジオが見える
●雪の日。最初の写真で洗濯物を干していた北側の窓から駅方向を望む。1963年

 三畳間の良さは、座ったままで何でも間に合うこと。部屋には折りたたみ足が付いた机兼用の食卓とマットレスだけ。厚さ10センチの三つ折りマットレスは、広げればベッド、たためば背もたれ付きのソファーとして使えました。冬は400ワットの電気ストーブを食卓の下に入れ、布団をかけてコタツのようにしていました。片やモダンライフの真似事、片やサバイバル…そんなアンバランスな生活が、こじんまりとした自分だけの空間をなぜか満ち足りたものにしていました。

 たった1年の三畳間暮らしでしたが、引き払う時にはきれいに大掃除をしました。ガラス窓をピカピカに磨き上げていたら、涙が流れました。

●さて、あの時のアパートは

あのアパートはどうなっているだろう。先日私はこの記事を書くために45年ぶりにこの地を訪れてみました。南武線は高架になり「武蔵中原」駅前は煩雑を極めています。まず交番に行き、昔の地図を見せて場所を確認しなくてはなりませんでした。

1本道だった両側は建物で埋まり、空き地はどこにもありません。当時更地にポツンと建っていたゴルフ練習場が目当てで、そのはす向かいがアパートだったのですが、なんと、見つかりました、あのアパートがそのままの姿で! 

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●駅の方から来て電柱の右が、昔住んでいたアパートです。2008.11.19

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●外側は塗り替えられていますが、建物自体は昔のままでした。
 けれども戸は全部閉まっていました。

私が居た三畳間には荷物が積まれ、物置になっているようでした。他の部屋も人の住む気配はなく、アパートは廃業の様子。大家さんの玄関も締っていて留守のようでした。玄関脇に手すりが取り付けられているのを見て、大家さんご夫妻はご健在、と安心してそこをあとにしました。

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●「井田の桜堤」の土手と桜は無くなり、平らなせせらぎに変わっていました。

●新婚生活――身の丈に合ったくらしの安心感

 「二人で行った横丁の風呂屋」の行き帰りに「小さな石鹸、カタカタ鳴った」という記憶は、三畳間暮らしの翌1964(S39)年、24歳直前から始まった新婚時代の思い出になります。私は「武蔵中原」の三畳間の生活のあとに結婚したのですが、新居(!)は隣り駅の「武蔵新城」に二人で見つけた六畳間でした。
 駅から5分ほど、2階建てで10軒ほどが入居しているアパートでしたが、すぐ近くにマーケットがあり、休日には二人で買い物をしました。暮れの売り出しで1升ビンの醤油を当てたことがありました。マーケットの先が銭湯でした。「神田川」のようにいっしょに通い、帰りは大抵、私が外で待たされていました。
 この六畳間も、半畳分の上がりがまち、一畳分の押入と一畳分のお勝手が付いた、合わせて八畳ほどのスペースでしたが、タンスもテーブルも最小限にし、「なんに~もなくてもいい~」「狭いながらも楽しい我が家~」でした。台風の時期には窓ガラスが吹き飛びそうなほどガタガタ揺れましたが、私にはこのママゴトのような生活がとても気に入っていました。その安心できる居心地のよさは、まさに自分の身の丈に合っているというところから感じられるものでした。

★上記に関連する記事があります。ご覧になりますか?
「一生に引っ越し何回?」
http://fcm.blog.so-net.ne.jp/archive/20081121

 
●コロンビア映画超大作「アラビアのロレンス」1962製作
●1963年、22歳で三畳間のアパートに居た頃
「帝国劇場」にて70mm方式で初公開。
 私が観たのは1971年。「テアトル東京」にてスーパー・シネラマ方式で。
 この大作が最新のデジタル技術により、近日公開されます。

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カメキチ

昔のアパートの写真、良く撮影してありましたね。私などはsigさん同じような生活をしていながらそのような記録が全くありません。昔のままの建物が現存していたとは、さぞ感激だったでしょうね。私も戦後50年たったときに疎開先を訪れたことがあり、そのとき世話になった家が残っており、世話になったご主人は他界しておりましたが、その息子さんと話が出来て感動したことがあります。昔のことを回想するようになったことはそれだけ年輪を重ねたということでしょうか。
by カメキチ (2008-11-28 10:19) 

sig

カメキチさん、こんにちは。
写真を撮るということは、記憶を完全なものとして残しておきたいからだと思います。これらの写真を撮った時には、この場所は大きく変化するだろうという予感がありました。また自身の生活も変わっていくはずだという予感もです。
すべてをそういう意識で撮影してきた訳ではありませんが、私の場合、ビデオも多分にそうしたことを前提に撮っているふしがあります。それがこの年になって、ブログというこれまでに無かったメディアを得て、役に立ち始めたのかな、という感じです。ですから引っ越しで、それまでがんばって持ち続けて来たガラクタをかなり処分してしまったことに悔いが残ります。反対に、ブログで使っている写真やガラクタ類は、そうした危機をかいくぐって残ってきた、私の選りすぐりの宝物ということになりましょうか(笑)。
本当に私だけの宝物で、家人にとってはゴミ以外の何物でもないのですが、そのゴミが処分される前に空気に当ててあげたいという思いでこのブログを書いているようなものです。残るのはこれしかありませんから。
by sig (2008-11-28 11:01) 

ChinchikoPapa

学生時代、椎名町にあった友人のアパートの造りにそっくりです。といっても、広さは6畳ありましたが・・・。わたしのアパートもいまだに残っていますが、メンテナンスされずボロボロなのに、そのまま使われています。ハンガーボード、なつかしいですね。子供のころ、淡いグリーンやブルーの製品が多かったように記憶しています。
書かれた記事に出てくる「井田の桜堤」ですが、おそらく近くの井田家が造成したと思うのですけれど、わたしの学生時代の友人がその家へ嫁いでいたりします。^^
by ChinchikoPapa (2008-11-28 15:55) 

チョコシナモン

sigさんこんにちは。このような懐かしい写真が保存してあるのに驚きです。私とひと回りぐらい違っても良く似た時代ですよ!神田川覚えています。何とも言えない良さがあって、、、一人暮らしの経験ありますが、バスはなく、トイレは共同で夜中には怖くて行けなくて困った事ありました。一寸行ってみようかと「以前暮らしたアパート」あるのかなぁ~と、、、
by チョコシナモン (2008-11-28 16:53) 

いぬ

sigさん こんにちは
三畳のアパート 僕の父も三畳のアパートに暮らしていました
結婚してから一か月くらい暮らしたそうです
0からのスタート 父もそうですが 強いですよね
僕は 父の作り上げた後から
僕みたいなのが 何かあったら0で止まらず
マイナスまで行ってしまうのでは と思っています
昔のアパートが残っていた 感激しますね
僕の思い出の地は どこ?探してみよう
by いぬ (2008-11-28 17:19) 

うに

今年の夏、約20年前に過ごした街に、ふらっと行ってみました。
実家を出てはじめて過ごした、冬寒く・夏暑い(笑)木造アパートを眺めに行きました。少し疲れた感じのアパートを眺めたら、ココに居たのはつい昨日のように感じました。
でも商店街はガラッと変わってしまい、変わらない店は2~3軒ほどで驚きました。月日の流れを改めて感じました。
sigさんの住まわれていた思い出のアパート、ありましたね!なんだか嬉しくなりました。(^^)
by うに (2008-11-28 18:53) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんばんは。
Chinchikoさんのアパートもまだ残っていますか。ずいぶん雰囲気が出ているでしょうね。ベニヤ板のハンガーボード、あれはアイディアでしたよね。
「井田の桜堤」は、上掲の当時の地図には川の表示しか書いてないのですが、とても立派な堤でした。桜の名所といわれていたと思います。8ミリ映画に写してあります。このあたりは井田仲ノ町とか言っていたと思うのですが、世の中は狭いものですね。
by sig (2008-11-28 20:18) 

yann

私も初めての独り暮らしは3畳一間の下宿からでした。
まかないつきで、となりの大家さんの家に行き、大家さんの家族と一緒の食事でした。
中野区ですが、側に神田川が流れており、歌の通りだなぁなんて思ってました。
灯りも裸電球でしたよ。
by yann (2008-11-28 22:39) 

sig

チョコシナモンさん、こんばんは。
一人暮らしのご経験、おありなんですか。えらいですね。
風呂なし、共同トイレ、洗面とお勝手が同じ・・・みんなそのレベルでしたから、そういうものだと思っていましたね。今じゃとても。
もうそんな生活には戻れませんものね。

by sig (2008-11-29 01:00) 

sig

いぬさん、こんばんは。
これまでにも私のブログのコメントで、いぬさんからお父さんの思い出話を伺い、とても親近感を抱いております。考え方が似ていますね。
さて、いぬさんの思い出の地はどこでしょうか。
by sig (2008-11-29 01:04) 

sig

ヨタ8改さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-11-29 01:05) 

sig

うにさん、こんばんは。
20年前のアパート、見つかってよかったですね。
懐かしかったでしょう。
見つけてすぐに、その頃に戻れたような感覚、よく分かります。
でも、商店街が変わっていて、おなじみのお店が無くなったりしていたのでしょうか。時代の変化を真っ先に受けるのがそうしたお店のようですからね。
私も、見つけたアパートが留守でなければ、ちょっとお話をしたいと思ったのですが、留守でよかったかも、と思っています。なんでかな。
by sig (2008-11-29 01:12) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-11-29 01:13) 

sig

yannさん、こんばんは。
yannさんも三畳間の経験アリ、とはうれしいですね。
それも「神田川」の歌の通りとは、すてきですね。絵になりますもの。
大家さんのご家族といっしょのまかない付きというのも、良き時代を感じますね。
by sig (2008-11-29 01:18) 

Qoo

昔の中原は閑散としていたんですね~
今はどこもかしこも家だらけですね
昔のアパートが残っているなんて感激でしょうね(^^)
当時の写真が残っているというのも凄いなー
駅の位置が昔と違う位置になったので戸惑ったのではないでしょうか?
小杉寄りに移動しましたからね
by Qoo (2008-11-29 09:16) 

sig

Quuさん、こんにちは。
昔の武蔵中原駅を撮っておけばよかったですね。「停車場」というような感じに記憶しています。
駅の位置が移動したのですか。どっちにしても駅前は全く変わっていたので、これはもう交番で聞いて行くのが間違いないと思いました。
当時は中原街道を越えてすぐのところにちょっとした家並みがあっただけで、あとは全くの1本道でした。バス停は駅から4つ目でしたが使いませんでした。武蔵中原はQooさんの会社側へは行ったことが無いのです。駅前のQooさんの会社はそのままですね。
by sig (2008-11-29 10:30) 

corrado

こんばんは、
さすが、sigさんですね。
普通のブログなら”昔の住まいはコレ”くらいのもので、
現在の姿まで調べていらっしゃるところは素晴らしいです。

by corrado (2008-11-29 22:04) 

sig

takemoviesさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-11-29 22:27) 

sig

corradoさん、こんばんは。ありがとうございます。
ご承知のように、ブログを書くためには、記憶を確かめるための調べものや写真など資料の整理、場合によっては新しく写真を撮ったり、動画を再編集してブログ向けにファイル変換したり、いろいろな作業がかかりますが、私の場合はみんな自分のためにやっているのです。
それを読んでくださる人たちがいらっしゃるということは、本当にありがたいことで、おおきな励みになっています。
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2008-11-29 22:45) 

sig

マッサーさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-11-30 08:46) 

プリン

こんにちは~!
すごいっ!!アパートがあったのですか?!!
使われていないとしても、そこにある!というのが嬉しいですね♪
銭湯も、懐かしいです・・・。
冬は、家へ帰る間に髪の毛が凍りましたよ(つω`*)テヘ
北海道では・・・。
by プリン (2008-11-30 15:29) 

sig

プリンさん、こんにちは。
そちらはもう雪が積もったんですね。今のところはやんでいますか。
お風邪を召さないように。

昔のアパート、見つけはしましたが、大家さんご夫妻はどうしていらっしゃるか、と思います。深いお付き合いをしたわけではないのですが、1階と2階でしたからね。
プリンさんも銭湯の経験、おありなんですか。近くでなかったら風邪ひいちゃいますよね。

by sig (2008-11-30 16:02) 

甘党大王

三畳一間(^.^)・・・話には(と、言うか歌でしか存じ上げませんが)
聞いていますが、このんでその生活を始めたとは・・・(^^ゞ
今の時代の子は、親の物は自分のモノ~(●^o^●)的な風潮が強いです。
この三畳一間神話を聞かせても驚くばかりでしょうね。
でも(#^.^#)だからこそ昔の方は生活力が身に付いているのでしょう。
三姉妹の未来の旦那様には(^_-)-☆そんなバイタリティーのある
素敵な方が見つかるとイイナ~♡・・・というのが親心の本音です。
それにしても、お写真にも驚きですが(・。・;現存していたアパートに拍手!
by 甘党大王 (2008-11-30 16:40) 

sig

甘党大王さん、こんにちは。
うわあ、褒められちゃった!
実は何を隠そう、我が家は男子3人ですが、こんな話はテンから聞こうとしません。「親の苦労話など聞きたくない」という風な感じでしか受け止められないんですね。決して「俺が若いときにゃ」なんていうつもりはないんですけどね。
娘御さん3人の将来に幸あれ!!
by sig (2008-11-30 17:29) 

OMOOMO

すばらしいの一言につきます。下北沢で6畳一間、風呂なし、トイレ、台所共同の体験あり。小さな石鹸、カタカタなったの世代です
よ~くよ^く、読ませていただきました、ノスタルジイを感じました。
ありがとうございました。
by OMOOMO (2008-11-30 22:43) 

sig

omoomoさん、こんばんは。
omoomoさんの時代は、もう6畳間だったんですね。
どっちにしても、結婚前の一人暮らし体験は貴重だと思うんですよ。特に男の子には。
アパート暮らしにしても何にしても、自分で決めてやることには苦労なんてありませんから、「ああ、自由だなあ」って楽しいことばかりでしたよね。
下北沢のアパート一人住まい・・・いかにも昭和チックで、絵になりますねー。
コメントありがとうございました。
by sig (2008-11-30 23:59) 

みかっち

とっても素敵なお話でした!
身の丈に合ってる.....それが1番カッコイイことだと思います。
その幸せを一緒に楽しんでこられた奥様も♪
ふたりで居るだけで......それが現実の愛だったのですね感動しました!
初心に返らなければっ☆
by みかっち (2008-12-01 00:29) 

sig

みかっちさん、こんにちは。
今回の記事はみかっちさんには伏せておきたかったな。だって恥を晒しているんだから(自分史ってそもそも恥さらしだけど)。
でも、そんなに言っていただくとうれしいです。
ところでこのブログはうちの身内は誰も読んでいません。パソコン自体を持っていなかったり、ブログには全く関心がなかったり。
でも、残るのはこれだけなんです。その時になって「こんな恥ずかしいことが公表されていたの」と騒いでも後の祭りです(大笑い)。
by sig (2008-12-01 09:14) 

春urara

まずは、とっても読みやすく、素晴らしいまとめ方、素敵なお話で、
sigどんどんの力量に関心させられました~(^^♪
そして、私も、少し年周りは下ですが、sigどんどんの見てきた時代を、
それなりに知ってますし、神田川がヒットした時はよく知ってますので、
それを言葉と映像で残せるsigどんどんは素敵です~(^◇^)
最初からの考え方の強さや、お父さんとの所には、やはり、
胸熱くググー!!ときちゃいましたよ~(>_<)
by 春urara (2008-12-01 12:15) 

sig

春uraraさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
そしてお褒めのお言葉、こそばゆいです。
同世代のみなさんと共通する昭和の昔話を書きとめておこうと思っています。
デザインや体裁はほめられたものではありませんが、文字が大きくて読みやすいでしょう。実質第一で展開しています。
毎月の最初は下手な写真と詩で構成しております。
今夜午前0時には「クリスマス」の記事をUPします。
また遊びに来てください。
by sig (2008-12-01 17:42) 

Ja-Kou66

45年振りに開けた、頭の中のタイムカプセルですね(^ ^)
刻まれた記憶の景色と、現在とを重ねて見る…こういうの、いいなぁ。
by Ja-Kou66 (2008-12-03 23:30) 

sig

Ja-kou66さん、こんばんは。
この場所は同じ路線ですから、1時間もあれば行けたのですが、特にこれまで用がなかったものですから。
今回はブログの記事にするために出かけました。ブログを始めていなかったら、こんなことき分からずじまいになったと思うと、行ってみてよかったと思います。コメント、ありがとうございました。

by sig (2008-12-04 00:37) 

puripuri

下小田中?武蔵中原に住んでいらした?今とは随分変わったでしょう・・・と
読み進んでいると、当時の写真も撮られていたのですね。
南武線は利用する時もあり、車窓からの眺めは当時の面影は無かな~っと思いました。
でも、sigさんが住まわれていたアパートが現存しているのに感動しました。
勿論、手直しもされていても嬉しいですね。
by puripuri (2008-12-04 20:54) 

sig

BlackTigerさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-04 21:37) 

sig

puripuriさん、こんばんは。
そう、下小田中です。ごぞんじですか。
南武線も高架に変わり、びっしりと家が建て込んでいました。当たり前ですよね、野っ原がいつまでもそのままある訳ないですよね。
アパートは無くなっている積りで行きましたら、あったんですよ。
留守だったのが残念でしたが、もしかして、もう代が変わっていたりしているかも。
by sig (2008-12-04 21:43) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-05 19:40) 

sig

whitesoxさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-12-20 09:34) 

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