黙って座れば、ぐるりと回る [あんなこと、こんなこと]
あんなこと、こんなこと―52
黙って座れば、ぐるりと回る
思い出のジョブ② 「ミート・ザ・ワールド」-2
●カリフォルニア、バーバンクのウォルト・ディズニースタジオ 1980
子供の頃からディズニー映画が大好きで、自分の情操はディズニー映画で培われたのではないかとさえ思っていた私に舞い込んできた、東京ディズニーランド「ミート・ザ・ワールド」のシナリオ制作。執筆の苦労を除けば、それはとても楽しいジョブでした。
●遊覧旅行のような視察旅行、but…
1980年は私にとって、ほぼ東京ディズニーランド(TDL)で明け暮れた年でした。2月頭にシナリオ執筆が決まると、早速ディズニーランド視察の連絡が入りました。そもそもディズニーランドとはいかなる場所なのか、それを見ておく必要があるという訳です。
私はもともとディズニーファンでしたから、1955年にオープンしたカリフォルニアのディズニーランドがどんなところなのかということは、雑誌やテレビで知識だけは豊富に持っていました。けれどもファンでもない大人の男性にとってはまったく無縁であり、未知の場所だったのでしょう。
●ロス空港 1980
最初の渡米は2月末の1週間。一行はオリエンタルランド社(以下OLR社)、広告代理店D社、映像プロダクションI社、そしてシナリオ共同執筆のM氏と私。
目的はもっぱらアナハイムのディズニーランドに開園から閉園まで滞在して、隅から隅まで残らず見て回ること。つまりディズニーランドの、いやウォルト・ディズニーのスピリットを体感しようという取材旅行でした。ロスは初めてではありませんでしたが、私にとっては憧れていたディズニーランドそのものが目的ということで、心ウキウキの渡米でした。
●サービスと合理性が見事に結びついた運営システムに驚嘆
当時出来たばかりの新しいアトラクションが「ビッグサンダーマウンテン・レールロード」と「スペースマウンテン」でした。当然、真っ先に乗り込みました。けれどもメインは、「アメリカ・シングズ」というアトラクションをじっくり観察することでした。
フォースター以前の古典的フォークから現代のロックまで、アメリカの音楽史をアニマトロニクスの動物たちが歌い、演じるものです。
●円形シアター「アメリカ・シングズ」
ディズニーに触れるとその発想のすばらしさに驚嘆させられるのですが、それは正円形の建物でした。内部が四等分されて壁面で仕切られ、中心部に扇型にそれぞれステージが設定されています。1場面4分間が終了するたびに音楽と共にフロア全体が90度ずつ回転して、観客は座席に座ったまま自動的に4つの場面を見て回れるという便利な趣向です。
そして発想の転換です。その「アメリカ・シングズ」の建物全体を一回り大きくして収容人員を増やし、ステージを中心部ではなく、反対側の建物内壁に設置するように設計変更すればステージ幅は2倍強のワイドとなる。それが「ミート・ザ・ワールド」でした。
●「ミート・ザ・ワールド」の仕組みと観客動線
壁面側にステージ。観客は入場すると外側壁面に向いて座り、4分経過するとフロア全体が90度回転。観客は一斉に次のシーンに移動することになる。
座席は1ブロック170席ほどで4ブロックの合計は約680名。ゲストは170人単位で4分待てば必ず入れること。そして館内は座って過ごせること。これはパーク内を歩きつかれたゲストにとってはありがたい休憩時間となります。
1日の稼働時間を仮に朝9時から夜9時までの12時間として、1日45回転、約29,000人のキャパシティを有すること。これは1日の来場者を50,000人として、その半数以上に対応できること……。日本の歴史を4場面で切り取り16分で見せるということはそういうことだったのです。(残念ながらオープン後は座席に相当余裕があったようですが)
こういった設計思想は「ミート・ザ・ワールド」に限らず、TDL、TDS(ディズニー・シー)のアトラクションやライドのすべてに共通して言えることです。
さて、こんな調子でパーク内のほとんどすべてのアトラクションを体験しつくしたのですが、たまたまこの年は「ディズニーランド25周年」に当たっていたため、特別盛大なパレードを見ることができたこともラッキーでした。
●1980年はちょうどディズニーランド開園25周年だった
私はディズニーランドの母体であるWDP社が2年後の1982年オープンに向けて、エプコット(EPCOT)と呼ぶ近未来都市をフロリダのオーランドに建設中であることも知っていましたので、折角ならそちらも見たかったのですが、この時は実現しませんでした。
●正味14分で語る日本史とは
ロスから帰国すると、早速シナリオ執筆が待っていました。大いに楽しんだ後に控えた苦しみです。共同執筆のM氏とは、巨匠が常連という新宿の旅館に泊り込んだり自宅に来てもらったりしながら進めました。
また、アトラクションのスポンサーを獲得するために、東京ディズニーランドの構想を伝える企業向けPR映画も並行して制作に入りました。
■「ミート・ザ・ワールド」の全体フレームは下記の通り。
ゲスト(観客)入館 1分
◎第1景 日本列島誕生と大陸との出会い 3分
◎第2景 中国、ポルトガルとの出会い ~ 鎖国 4分
◎第3景 アメリカとの出会い ~ 開国 4分
◎第4景 文明開化 ~ 現代 ~ 未来へ 3分
ゲスト退館 1分
●最初のプランでは、エピローグで音楽と共にスクリーンが上部にゆっくりと拡大。
広い空に向けてたくさんの気球が上昇するというものだった。
4月からは、OLR社を通じて東京ディズニーランドの直接推進軸であるWEDエンタープライズとのキャッチボールが始まりました。
その中で、オーディオアニマトロニクスを使う人物を誰にするか、太古の様子や維新の剣戟の実写、アニメを使った見せ場、アニマトロニクスと映像の動きを同期させる部分、などについて練られていきました。
●上/ウォルト・ディズニースタジオのエントランス壁面のキャラクターたち
下/幹部専用レストランのブックマッチ 禁煙は今ほど厳しくなかったみたい
その間、バーバンクのウォルト・ディズニー・プロダクションズでの打ち合わせがあり、参加しました。ここで数々の名作が生み出されていたのかと思うと感慨深いものがありました。
打ち合わせでいちばん問題になったのは、日本の未来を論じさせる三体のアニマトロニクスでした。最初はエプコットで独立宣言の文案を語るフランクリンのような胸像(トーキング・ヘッド)で行くことになっていたのですが、途中から全身に変更。立体像を作るには最小限、前、横、後ろの全身写真が欲しいとのWEDエンタープライズからの申し入れに担当者はその後どう対応したのか、とにかく混乱の中、1983年4月の東京ディズニーランドオープンに向けて、製作は進んでいきました。
●EPCOTで使用のフランクリンのトーキング・ヘッド
●期待していたフロリダ行きが舞い込んだ
いろいろな曲折を経て「ミート・ザ・ワールド」のシナリオが固まった頃、私に別件のシナリオ制作が発生しました。それは新しいスポンサーにプレゼンするためのもので、相手先は車メーカーでした。
交通機関の発達史を、映像とアニマトロニクスを融合させたエンタテインメントに仕立てて提供しませんか、というものです。
当時日本車は、断然優位のアメリカ車に肉薄する勢いでした。私はTDL社の広告代理店であるD社からの指示で、交通機関に関連する知識を仕入れるために急遽デトロイトに飛ぶことになりました。その延長でフロリダのディズニーワールドを見て帰るというのです。私は「ミート・ザ・ワールド」の後をM氏に委ねて米国東部に向かいました。
そこではウォルト・ディズニーの桁外れな構想EPCOTが、2年後の完成に向けて建設途上のはずでした。 つづく
黙って座れば、ぐるりと回る
思い出のジョブ② 「ミート・ザ・ワールド」-2
●カリフォルニア、バーバンクのウォルト・ディズニースタジオ 1980
子供の頃からディズニー映画が大好きで、自分の情操はディズニー映画で培われたのではないかとさえ思っていた私に舞い込んできた、東京ディズニーランド「ミート・ザ・ワールド」のシナリオ制作。執筆の苦労を除けば、それはとても楽しいジョブでした。
●遊覧旅行のような視察旅行、but…
1980年は私にとって、ほぼ東京ディズニーランド(TDL)で明け暮れた年でした。2月頭にシナリオ執筆が決まると、早速ディズニーランド視察の連絡が入りました。そもそもディズニーランドとはいかなる場所なのか、それを見ておく必要があるという訳です。
私はもともとディズニーファンでしたから、1955年にオープンしたカリフォルニアのディズニーランドがどんなところなのかということは、雑誌やテレビで知識だけは豊富に持っていました。けれどもファンでもない大人の男性にとってはまったく無縁であり、未知の場所だったのでしょう。
●ロス空港 1980
最初の渡米は2月末の1週間。一行はオリエンタルランド社(以下OLR社)、広告代理店D社、映像プロダクションI社、そしてシナリオ共同執筆のM氏と私。
目的はもっぱらアナハイムのディズニーランドに開園から閉園まで滞在して、隅から隅まで残らず見て回ること。つまりディズニーランドの、いやウォルト・ディズニーのスピリットを体感しようという取材旅行でした。ロスは初めてではありませんでしたが、私にとっては憧れていたディズニーランドそのものが目的ということで、心ウキウキの渡米でした。
●サービスと合理性が見事に結びついた運営システムに驚嘆
当時出来たばかりの新しいアトラクションが「ビッグサンダーマウンテン・レールロード」と「スペースマウンテン」でした。当然、真っ先に乗り込みました。けれどもメインは、「アメリカ・シングズ」というアトラクションをじっくり観察することでした。
フォースター以前の古典的フォークから現代のロックまで、アメリカの音楽史をアニマトロニクスの動物たちが歌い、演じるものです。
●円形シアター「アメリカ・シングズ」
ディズニーに触れるとその発想のすばらしさに驚嘆させられるのですが、それは正円形の建物でした。内部が四等分されて壁面で仕切られ、中心部に扇型にそれぞれステージが設定されています。1場面4分間が終了するたびに音楽と共にフロア全体が90度ずつ回転して、観客は座席に座ったまま自動的に4つの場面を見て回れるという便利な趣向です。
そして発想の転換です。その「アメリカ・シングズ」の建物全体を一回り大きくして収容人員を増やし、ステージを中心部ではなく、反対側の建物内壁に設置するように設計変更すればステージ幅は2倍強のワイドとなる。それが「ミート・ザ・ワールド」でした。
●「ミート・ザ・ワールド」の仕組みと観客動線
壁面側にステージ。観客は入場すると外側壁面に向いて座り、4分経過するとフロア全体が90度回転。観客は一斉に次のシーンに移動することになる。
座席は1ブロック170席ほどで4ブロックの合計は約680名。ゲストは170人単位で4分待てば必ず入れること。そして館内は座って過ごせること。これはパーク内を歩きつかれたゲストにとってはありがたい休憩時間となります。
1日の稼働時間を仮に朝9時から夜9時までの12時間として、1日45回転、約29,000人のキャパシティを有すること。これは1日の来場者を50,000人として、その半数以上に対応できること……。日本の歴史を4場面で切り取り16分で見せるということはそういうことだったのです。(残念ながらオープン後は座席に相当余裕があったようですが)
こういった設計思想は「ミート・ザ・ワールド」に限らず、TDL、TDS(ディズニー・シー)のアトラクションやライドのすべてに共通して言えることです。
さて、こんな調子でパーク内のほとんどすべてのアトラクションを体験しつくしたのですが、たまたまこの年は「ディズニーランド25周年」に当たっていたため、特別盛大なパレードを見ることができたこともラッキーでした。
●1980年はちょうどディズニーランド開園25周年だった
私はディズニーランドの母体であるWDP社が2年後の1982年オープンに向けて、エプコット(EPCOT)と呼ぶ近未来都市をフロリダのオーランドに建設中であることも知っていましたので、折角ならそちらも見たかったのですが、この時は実現しませんでした。
●正味14分で語る日本史とは
ロスから帰国すると、早速シナリオ執筆が待っていました。大いに楽しんだ後に控えた苦しみです。共同執筆のM氏とは、巨匠が常連という新宿の旅館に泊り込んだり自宅に来てもらったりしながら進めました。
また、アトラクションのスポンサーを獲得するために、東京ディズニーランドの構想を伝える企業向けPR映画も並行して制作に入りました。
■「ミート・ザ・ワールド」の全体フレームは下記の通り。
ゲスト(観客)入館 1分
◎第1景 日本列島誕生と大陸との出会い 3分
◎第2景 中国、ポルトガルとの出会い ~ 鎖国 4分
◎第3景 アメリカとの出会い ~ 開国 4分
◎第4景 文明開化 ~ 現代 ~ 未来へ 3分
ゲスト退館 1分
●最初のプランでは、エピローグで音楽と共にスクリーンが上部にゆっくりと拡大。
広い空に向けてたくさんの気球が上昇するというものだった。
4月からは、OLR社を通じて東京ディズニーランドの直接推進軸であるWEDエンタープライズとのキャッチボールが始まりました。
その中で、オーディオアニマトロニクスを使う人物を誰にするか、太古の様子や維新の剣戟の実写、アニメを使った見せ場、アニマトロニクスと映像の動きを同期させる部分、などについて練られていきました。
●上/ウォルト・ディズニースタジオのエントランス壁面のキャラクターたち
下/幹部専用レストランのブックマッチ 禁煙は今ほど厳しくなかったみたい
その間、バーバンクのウォルト・ディズニー・プロダクションズでの打ち合わせがあり、参加しました。ここで数々の名作が生み出されていたのかと思うと感慨深いものがありました。
打ち合わせでいちばん問題になったのは、日本の未来を論じさせる三体のアニマトロニクスでした。最初はエプコットで独立宣言の文案を語るフランクリンのような胸像(トーキング・ヘッド)で行くことになっていたのですが、途中から全身に変更。立体像を作るには最小限、前、横、後ろの全身写真が欲しいとのWEDエンタープライズからの申し入れに担当者はその後どう対応したのか、とにかく混乱の中、1983年4月の東京ディズニーランドオープンに向けて、製作は進んでいきました。
●EPCOTで使用のフランクリンのトーキング・ヘッド
●期待していたフロリダ行きが舞い込んだ
いろいろな曲折を経て「ミート・ザ・ワールド」のシナリオが固まった頃、私に別件のシナリオ制作が発生しました。それは新しいスポンサーにプレゼンするためのもので、相手先は車メーカーでした。
交通機関の発達史を、映像とアニマトロニクスを融合させたエンタテインメントに仕立てて提供しませんか、というものです。
当時日本車は、断然優位のアメリカ車に肉薄する勢いでした。私はTDL社の広告代理店であるD社からの指示で、交通機関に関連する知識を仕入れるために急遽デトロイトに飛ぶことになりました。その延長でフロリダのディズニーワールドを見て帰るというのです。私は「ミート・ザ・ワールド」の後をM氏に委ねて米国東部に向かいました。
そこではウォルト・ディズニーの桁外れな構想EPCOTが、2年後の完成に向けて建設途上のはずでした。 つづく
ミート・ザ・ワールド この発想は凄いですね
客席ごと回してしまうなんて大胆ですよね
by Qoo (2010-02-03 07:07)
おはようございます。
sigさんが東京ディズニーランドの立ち上げにタッチされていたことは全く知りませんでした。そのご苦労は大変なものだったのではないでしょうか。続きが楽しみです。
by NO NAME (2010-02-03 10:18)
初めてこれ観たとき、すっごい感動したのを
今でも覚えています♪
by お茶屋 (2010-02-03 10:43)
す、スケールの大きなお話ですね。。^_^
ご心配をおかけしました、どうもありがとうございました。<(__)>
by ねこじゃらん (2010-02-03 11:11)
14分で語る日本史~すばらしいですね^^
私もディズニー大好きです♪
アイコンを変えました。ついでなので…ブログタイトルも変えてみました。
よろしくお願いします~ヽ(^▽^@)ノ
by abika (2010-02-03 17:48)
アナハイムは40周年で行ってきました!!
こう見ると東京はまだまだ若い感じですよね~(^_^)
by tomickey (2010-02-03 18:55)
「ミート・ザ・ワールド」開国には福沢諭吉、坂本龍馬、伊藤博文がいるようですね。
by SilverMac (2010-02-03 19:46)
Qooさん、こんばんは。
本当にディズニーのバックヤードを知ると、驚くことばかりです。(それほど知ってはいませんが)
次回にもう一つの例を書こうと思います。それは日本では見られないテーマ館です。
by sig (2010-02-03 21:24)
はっこうさん
shinさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:25)
お茶屋さん、こんばんは。
観て下さってありがとう。本当に純粋だったんですね。
うれしいです。
by sig (2010-02-03 21:27)
NO NAMEさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
ここでは、私が関係した仕事というよりも、ディズニーの思想とか考え方のスケールとかにいろいろ触発された、ということを書きたいのです。
次回もどうぞよろしく。
by sig (2010-02-03 21:30)
kurakichiさん
Arielさん
ほりけん
takemoviesさん
YAOJIMAさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:31)
ねこじゃらんさん、こんばんは。
ディズニーはパークでも映画でも、裏側がすごいんだと思います。
お身体の様子、落ち着いてよかったですね。
by sig (2010-02-03 21:33)
月夜さん
m6324さん
あら!みてたのねさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:35)
しまどっちさん、こんばんは。はじめまして。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:36)
abikaさん、こんばんは。
新しいアイコンは何でしょうか。
abikaさんもディズニー、お好きなんですね。
このブログではディズニーだけで一つのカテゴリーを立てていますから、そちらもどうぞ。記事はまだ少ないのですが、これから増やします。
by sig (2010-02-03 21:40)
くまらさん
トメサンさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:41)
tomickeyさん、こんばんは。
40周年、楽しかったでしょうね。
ワールドも何回か行かれたのではないかと思いますが、次回はワールドにも触れますので、どうぞよろしく。
by sig (2010-02-03 21:43)
SilverMacさん、こんばんは。
そうなんです。坂本竜馬がいなかったら、日本の夜明けは無かったのです。W
by sig (2010-02-03 21:46)
NOBUさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-03 21:47)
私が初めてアナハイムに行ったのも80年です
by pace (2010-02-04 01:15)
paceさん、こんばんは。
考えたら80年というのは30年も前の話なんですよね。
大分渡航する人が延びはじめた頃でしょうか。折角海外に行くんだから、日本の航空会社以外で行きたいと思いました。たぶんそうだったような・・・
by sig (2010-02-04 01:28)
お早うございます。
スケールの大きなお話でただただビックリ(゜ロ゜)です。
日本のディズニーに始めから関わってこられたんですね〜(^。^)
by yakko (2010-02-04 11:09)
しばらくご無沙汰してる間に、すごい話になってたんですね~
本当に素晴らしい体験談ばかりでいつもながら驚きます!
TDLには何度か行きましたが(まだシーがない頃)
夢の国は、本当に色んな方々の夢の結晶で出来てるんですね~♪
by みかっち (2010-02-04 21:05)
座席の方が動くって凄い発想ですね。
日本の紹介は何処からだろうと思っていましたが
まさか日本列島誕生からだとはっ!
by 響 (2010-02-05 04:03)
flutistさん
kakashisannpoさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-05 14:00)
yakkoさん、こんにちは。
この部分だけですけれど、オープンの3年前から準備に入りました。
国際博レベルの大きなイベントなども、大体そんな感じで進みます。私は企画と構成(シナリオ)の役割ですから、最後まで付き合うことはありません。
by sig (2010-02-05 14:05)
甘党大王さん
c_yohkiさん
若頭さん
釣られクマさん
makiさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-05 14:06)
みかっちさん、こんにちは~
いえいえ、そんなことは・・・。この自分史ブログで、たまたま1980年に到達したというだけの話なんです。
ディズニー大好きでしたから、特に印象に残っているんです。
by sig (2010-02-05 14:11)
sanaさん
soneさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-05 14:11)
響さん、こんにちは。
逆転の発想なんてものは、もうとっくの昔にあったんですね。
正味14分の制限の中で、日本列島の誕生からはじめるってんで、一時はどうなることかと思いましたよ。
ま、考えてみれば、ビッグバンから今日まで、カレンダーにしてみると、まだ1ヶ月にも満たないというじゃないですか。
by sig (2010-02-05 14:17)
漢さん
八犬伝さん
lamerさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-05 14:17)
fuzzyさん
チョコシナモンさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-05 20:40)
furukabaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-06 09:41)
cosm-infoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-06 16:37)
yutakamiさん
ChinxhikoPapaさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-06 23:28)
客席が舞台の周りを回るのとは逆ですが、今はなき渋谷東急東横ホールにも回り舞台がありました。一度だけ、小屋付きさんが回してくれたので、盆に乗っていました。気分爽快でした。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-07 13:29)
Ja-Kou66さん
NO14Ruggermanさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-07 16:26)
アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
回り舞台とは考えた仕掛けですよね。日本での発祥は、江戸時代の歌舞伎の小屋あたりからなのでしょうか。
けれん味たっぷりで、良く考えられたものですよね。
by sig (2010-02-07 16:29)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-07 18:57)
corradoさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-02-09 00:13)
しょっぱなのお写真、雰囲気ありますね~☆
仕組みと観客動線の図面がRING CUBEにそっくりで
ちょっと嬉しくなりました。サイズはまったく違いますけども^^;
シナリオ執筆、次から次へという感じだったのですね~!!
by gyaro (2010-02-09 04:48)
gyaroさん、こんにちは。
このようなシアターの発想は、なかなか思いつきませんよね。
やしり、合理化を考えないと生まれないものかも。
かといって、日本風のあれこれ余計なものがくっついたようなものも捨てがたいんだけど。w
by sig (2010-02-09 10:18)
1981年に私はアナハイムのディズニーランドに行きましたからsigさんに
遅れること1年後でした。何を体験したかはあいまいになりつつありますが
カルチャーショックを受けました。ついでに近くにあったナッツ・ベリー・ファームなんていうところも行きました。
数々のアトラクションは発想の素晴らしさにわくわくする興奮を覚えましたね。
by いっぷく (2010-02-09 20:00)
いっぷくさん、こんにちは。
私もその時、ナッツ・ベリー・ファームも隅から隅まで見て歩きました。
ちょうど例の1回転ジェットコースター「モンテズマズ・リベンジ」ができたばかりで、乗ってみました。8月で、「ワイルドウェストショー」はあまりの暑さに最後まで見ていられませんでした。w
by sig (2010-02-10 10:08)
好きこそものの上手なれ
ディズニーの映画にあこがれたsigさんの進まれた道。とっても素敵です。このお仕事は天職だったことでしょうね。
by うさ (2010-03-21 20:05)
うささん、こんばんは。
そうですね。ディズニーの仕事に関われたのはすてきな巡り合わせでしたね。この年はほとんどこの仕事で終えたような感じでした。
by sig (2010-03-22 01:22)
タケルさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-05-07 18:58)