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これは何? まぼろしの9ミリ半 [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.jpg  あんなこと、こんなこと-57
まぼろしの9ミリ半
日本のエジソン、東 尚士さんとの出会い

2001 東さん.JPG
●手作りの9ミリ半撮影機を手にした東さん 2001.3.29

●ビデオ作品「まぼろしの9ミリ半」より、映写機とカメラ内部のメカニズムを紹介


●地に足が着いていなかったことにはじめて気づいた
 1995年ころから身近なものとして感じるようになったバブル崩壊。それまでは自分の意志で転職してきた私でしたが、それは初めて外側からいやおうなしに人生の転換を強いられた経験でした。どうせ戦後ゼロからスタートした世代。それなら受けてみようではないか。人生の折り返し点を過ぎたこともあって、「禍(わざわい)を転じて福となす」、それもありかな、という感じでした。

 仕事が減り時間の余裕ができた分、その時間を地域活動にシフトしていきました。それまで自分が住んでいる街には眠るために帰るだけ。地元のことを何も知らない自分にようやく気が付いたのです。では自分には何が出来るのか。やってきたことは広告畑での企画と映像です。 

●仕事からボランティアへの大転換
 
その前の1993年、私の住む東京西部の多摩地域で、立川市の昭和記念公園をメイン会場とした「TAMAらいふ21」という博覧会のプロジェクトに加わっていました。多摩地域とは東京23区と島嶼以外の、もうひとつの東京都とも言うべき30市町村を言います。
 それは博覧会をきっかけに、地域に根を下ろした運動へつなげていくことを目的とした地域活性化の導火線でした。
たくさんのプログラムがありましたが、そのうちのひとつの企画として、私たちが提案していた、多摩全域の人たちが集う広域の生涯学習プラン「TAMA市民塾構想」が採択され、府中市を拠点として具体的に進めることになりました。

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●「TAMAらいふ21」関係パンフレット と 「TAMA市民塾」のある多摩交流センター

 運営・講師ともボランティアの「TAMA市民塾」が発足したのは1995年10月。私はそんな縁で運営スタッフとして立ち上げに関与。その流れで、市民塾で「ビデオ講座」を開くことになりました。
 講座は6ヶ月でしたが、講座の終わりにビデオクラブを作ろうと提案して生まれたのが「TAMAビデオクラブ」でした。

 
「TAMA市民塾」から生まれた「TAMAビデオクラブ」ですから、多摩全域から大勢の会員が揃っていました。そのつながりで、他のビデオクラブの紹介も受けました。こうしていろいろな地域のビデオクラブとの交流が生まれるのですが、その中で私は生涯得がたい人と遭遇しました。

 その人の名は東尚士
(ひがし・なおし)さん。1913(T2)年生まれで当時86歳。人生の大先輩である東さんは日野市の「日野遊ing」というビデオクラブの顧問をされておりました。新撰組副長・土方歳三の出身地として有名な、あの日野市です。

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●今にも新撰組が飛び出してきそうな、JR中央線・日野駅  右上がホーム

●東さんは「日本のトーマス・エジソン」
 
ところで、表題の「9ミリ半」と聞いてそれが何かお分かりでしょうか。それは戦前から戦後にかけて存在したホームムービーのフィルム規格なのです。元祖は「パテ・ベビー」。フランスのパテ社が売り出したものです。昭和30年代に8ミリ映画の時代が到来すると、9ミリ半は消滅してしまいました。話には聞いていましたが実物は博物館でしか見たことがない私にとっては幻のメカでした。

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●フランス、パテ社が売り出した家庭向け9.5ミリ映写機「パテ・ベビー」の広告

 ところが東さんは、大学時代に9ミリ半の撮影機を手作りしたというのです。
「動く写真」の生い立ちについてはこのブログの「映画技術おもしろ発達史」カテゴリーで詳述してありますが、1895年にフランスのリュミエール兄弟がフィルムを間欠的に送る装置を完成させ、映画はそこに始まると言われています。そのような複雑なメカニズムを、はたちそこそこの東さんが独学の自己流で作り上げたというのです。

 
“仕事も趣味もビデオ"という私は、この話に驚いて詳しく伺ってみると、なんと、東さんが映像に興味を持つに至った過程が、全くと言っていいほど私の場合と同じだったのです。
 子供の頃、雨戸の節穴から
逆さに映り込んだ外の景色に不思議を覚え、それをきっかけに幻灯機をつくったこと。おもちゃの手回し映写機を買ってもらえず、真似事で紙テープのフィルムを作り、漫画を描いて動かして遊んでいたことなど。けれどもそれが結構、写真がなぜ動くのかという映画の秘密を理解するのに役立ったのでした。

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●東さんも私も、子供の頃買ってもらえなかったおもちゃの映写機

 
東さんと私との違いは、私はメカニックに弱かったこと。東さんは戦前、東京ガスに入社後、いすず自動車から日野重工業へ。戦後はGHQで車関係の仕事に就き、技術開発の巧みさを評価されて「日本のトーマス・エジソン」と親しみを持って呼ばれていたそうです。その後は日野自動車販売でダム建設用の大型トラックなどを販売。その後、多摩日野自動車創設で取締役、工場長を歴任後、宮城日野自動車の常務を務められて定年退職。その後は趣味のビデオ三昧で、昔撮り貯めた9ミリ半と8ミリ映画は、NHKその他のドキュメンタリー番組などに使われたそうです。

●撮影機のほかに、改造を加えた映写機も
 
さて、「9ミリ半」は話には聞いていましたが、私にとっては博物館でしか見たことが無い幻のメカニックでした。見せて頂いた東さん手作りの9ミリ半カメラは真鍮(黄銅)製で、ぴかぴかに磨かれていました。設計から組み立てまで、青春の思い出として大学時代最後の夏休みを全部使って、この撮影機の製作に打ち込んだそうです。

東 尚士さん.jpg●大学生時代の東尚士さん

  機械的にもすばらしく精巧に作られており、60年余を経た当時でも、フィルムさえ手に入れば十分に使えるように手入れされていました。写真を動かすためにいちばん肝心のフィルム送りの仕組みである間欠機構は、趣味の模型機関車づくりからヒントを得たロッド(ピストン)の応用だということでした。

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●東さんの設計図の1枚(上)と、手作り9ミリ半撮影機(手回し/電動両用) 

 
そして更に驚いたことは、フランス渡来のパテ・ベビー社製映写機も、東さんの手でランプはより明るく、フィルムは長尺がかかるように、また手回しだったものが電動式に改良されていたということです。

 
撮影されたフィルムは昭和11年から17年までの7年間。上野動物園の象の花子さんの芸、横浜港におけるブラジル移民船「竜田丸」の出航風景、ダム建設前の相模湖の風景などで、いずれも時代の空気をそのまま今に甦らせてくれる貴重なものでした。
 東さんの9ミリ半撮影は、苦境に陥った太平洋戦争の影響でフィルムの入手が困難となったために、停止しました。


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●パテ・ベビー映写機 右は東さんの改良型。長尺リール使用。大光量。電動式。
  無音

●東さんのエピソードをビデオ作品に
 
ずっしりとした重量感。カラカラと軽快な音を立てるハンドルの心地よい回転。カメラを手にすると私は、東さんと9ミリ半のエピソードをビデオで自主制作したくなりました。東さんのふところをお借りして、自分自身の映像への思いのたけを表現したくなったのです。
 タイトルはそのものずばり、「まぼろしの9ミリ半」。2年の間に5回ほど取材に伺い、1999年7月にようやく30分の作品が完成するのですが、ここでお話ししたいのは完成後のいきさつです。

 
完成試写をするためにお宅にお伺いすると、奥様はじめご家族のみなさんが揃ってお待ちでした。作品を上映する前に東さんが「実はお願いがあります。この9ミリ半をあなたに差し上げたい。ぜひとも手元に」とおっしゃったのです。
 「それは東さんの青春時代のモニュメント。そんな大切なものを、とんでもない」と言うと、「家に残しても意味がありません。地元の資料館に寄付しても多分ほこりをかぶるだけ。このカメラについてはあなたが一番よく理解し、愛情を注いでくださった。だから」とのこと。
 
完成作品も見ないうちに、東さんにとっておそらく命の次に大切なものを、息子さんを差し置いて他人である私に託そうというそのお気持。大いに戸惑いましたが、少しは私にも分かるような気がして、〈これこそ人生冥利に尽きることだ>と感激し、ありがたくお受けすることにしました。

●東さんから伝えられたこと
 翻って考えると、私が生涯学習の場でビデオ講座をもったり、ビデオクラブで作品づくりの話をしているのは、子供たちの誰も映像に関心を寄せてくれなかった寂しさから。そんなところもあったような気がします。
 例えば職人さんが息子に家業を継いで欲しいと願うように、男親は自分の培ったものを子供に伝えたいものなのです。子供が同じ趣味を持てば他人に話す必要はありません。そうすれば多分私の地域活動も無かったでしょう。どちらが良かったことなのか。今ではこれでよかったと思っています。

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●時計仕掛けの昭和館内 「小型映画ミニミニ博物館」展示の一部

 
そんな訳で、東さんが丹精された手作り9ミリ半カメラと改造された映写機は現在私がお預かりしています。実はこのブログの「小型映画ミニミニ博物館」カテゴリーで紹介した8ミリカメラの半数も、東さんから贈られたものなのです。そしてその頂点にあるこの9ミリ半が「時計仕掛けの昭和館」の宝物……目玉展示であることは言うまでもありません。
 東さんから伝えられたものはカメラだけではありません。委ねられることの重さ。それは人のつながりの重さでした。


◎東尚士さんは残念なことに2年前に95歳でお亡くなりになりました。数年前、二人で「まぼろしの9ミリ半」の続編の撮影を始めていたのですが、実現しませんでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。







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くまら

9mm半って知りませんでした
by くまら (2010-06-09 19:25) 

che

このブログで9ミリ半カメラの存在を知りました。
こうやってまた継っていくのでしょうね。
by che (2010-06-09 22:03) 

アヨアン・イゴカー

素晴らしい方とのめぐり合い、素晴らしい贈り物。いいお話ですね。
日本のあちこちに、人も物も含めて宝物が沢山あるのだろうと思います。

真鍮製のカメラ、なんだか弁当箱のようで、こういう素朴な形もとても魅力的です。
by アヨアン・イゴカー (2010-06-10 00:43) 

tomickey

規格って時代と流れで決まってしまうのですが規格が必ずしも原理原則に従っているか疑問に思う事があるこのごろです~(^-^)
by tomickey (2010-06-10 00:55) 

やま

おはようございます。
9ミリ半っていうのがあるんですか?
設計図もすごいですね。

by やま (2010-06-10 03:43) 

いっぷく

さすがに技術を持った人に手にかかると完成度が素晴らしいですね。
芸術的な工芸品のように美しく見えます。これを当時の若さで作られたというのも驚きですね、これこそ本物の汗と努力の結晶というにふさわしいものですね。
by いっぷく (2010-06-10 09:07) 

カメキチ

東さん、素晴らしい人ですね。9ミリ半の撮影機を手作りされるとは、その形も実にユニークなものですね。私が小学校6年生の頃家の近くにお金持ちの子息で慶応大学生がいました。彼がパテベビーの撮影機と映写機を持っていて、彼の家に遊びに行くとよく自作の映画を見せてくれました。
パーフォレーションがフィルムの真ん中、コマとコマとの間にあってどうして絵が動くのか不思議に思ったものです。その頃の私は、静止画写真に興味があり、東郷カメラと言う撮影現像プリントが出来るおもちゃのカメラに夢中でした。子ども心に映画は自分の手の届かない所にあるものと感じていたのかもしれません。以後8ミリ映画は一寸かじりましたが、静止画一本で今日まで来てしまいました。子どもの頃の興味の対象によって人生は変わってくるものだといまさらながら感じています。
by カメキチ (2010-06-10 09:57) 

Nyandam

9mm半は初耳です^^;
東さん、素晴らしい方ですね。
ずっと仕事に埋没していたら出会うこともなかったかもしれないですね。
私も不況やこの先来る定年などの転機も前向きに対応できたらと思います。

by Nyandam (2010-06-10 11:43) 

ChinchikoPapa

sigさん、こんにちは。
子どもたちが、親の「趣味」に興味をもってくれないのは、うちもまったく同じでして^^;、彼らはわたしとはぜんぜん異なる嗜好をしていますね。
ただ、わたしの中に貯まっているものをサイトに書いて残すのは、おそらくsigさんとは逆の動機からじゃないかなぁ・・・などと感じました。いつか、もう少し子供たちが歳を取ってから、江戸東京の歴史や代々の日本橋に眠る物語、あるいはいま住んでいる地元の下落合の物語に興味が湧いたとき、つまり自身の依って立つ位置へ興味が湧いたとき、あるいは「自分は何者なのか?」というアイデンティティを確認したくなったとき、彼らが参照できるメディアがあれば、「その先」へ伝承できるのではないかな?・・・などと考えたのが、拙いサイトを始めるきっかけになったようにも思います。
実は、わたしも30代ぐらいまでは、故郷や地元のことなどそれほど興味をもって見つめたことなどありませんでした。親に連れられて街々をさんざん見てまわっても、おそらく親が物語る話の半分も聞いてはいなかったでしょう。いまになって、祖父や親へ、あるいは彼らの知り合いへ、もっといろいろ「取材」しておけばよかった、あれもこれも訊いておけばよかったと、後悔しきりです。
ですから、不特定多数のネットワーカー(みなさん)へ向けて書いている・・・というより、どこか子どもや孫の世代を意識してる・・・という感覚がありますね。そのせいか、祖父の世代にできなかったこと、親の世代がやり残していること、そしてわたしの世代で実現できそうなこと、次の世代でぜひやって欲しいこと・・・などを、なんとなく記事の中へ、こっそり織り込み、すべり込ませているような気がします。^^;

by ChinchikoPapa (2010-06-10 12:02) 

sig

お茶屋さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 15:02) 

sig

くまらさん、こんにちは。
9ミリ半は戦争中にフィルムの供給がとまって廃れたようです。そんなこともあって、戦後は全く話に登らなくなったのではないでしょうか。私でさえ、存在は知っていましたが、博物館で見たのはずっとあとのことです。
by sig (2010-06-10 15:05) 

sig

thisisajinさん
xml_xslさん
ぼんぼちぼちぼちさん
kakashisannpoさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。


by sig (2010-06-10 15:07) 

sig

cheさん、はじめまして。こんにちは。
9ミリ半は幅は9.5ミリですが、フィルム送りの穴をコマとコマとの間に設定してあるため、フィルムの左右ぎりぎりまで画面として使えました、ほぼ16ミリフィルムの1コマ面積に近かったので、とても鮮明な画面だったようです。ブログに書くことで、知らなかったという方に知ってもらえることが出来ました。また「昔はこんなものが・・・」と伝えていってほしいと思います。
コメント、ありがとうございました。
by sig (2010-06-10 15:12) 

sig

kurakichiさん
ブラザーボブかきもとさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。

by sig (2010-06-10 15:13) 

sig

アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
バブル崩壊で仕事が減った分、地域活動でいろいろな方たちに出会いました。そして、仕事だけでは学べないいろいろなことを、たくさん教えられました。
このカメラは、平らな真鍮版を糸鋸で切り抜き、バリを磨き、そりを直して組み立てたそうです。単に器用というだけでは片付けられない工芸品だと思いますね。
by sig (2010-06-10 15:18) 

sig

tomickeyさん、こんにちは。
まったくその通りですね。規格を維持していくとそれ以上の発展がない場合がありますね。
私のビデオ機器がそうですが、規格ががらりと変って性能がぐんと飛躍しましたから。それを追いかけているとお金が続かないのが難ですが。笑
by sig (2010-06-10 15:21) 

sig

花火師さん
文旦さん
miyokoさん
麻里圭子さん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 15:23) 

sig

やまさん、こんにちは。
9ミリ半は私にとってさえ幻の機種でしたからね。
このブログで、昔、そういう機種があったということを書き残しておこうと思いました。
写真を動かす仕組みはフィルムをどのように走行させるかにかかっていますから、設計には難しい計算が必須だったと思います。それにしてもたいしたものですね。
by sig (2010-06-10 15:26) 

sig

takemoviesさん
よーじっくさん
kjlislandさん
hayama55さん
PENGUINGさん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 15:28) 

sig

いっぷくさん、こんにちは。
ほんとにこれは美術工芸品といってもいいくらいですね。
このカメラは、平らな真鍮版を糸ノコで切り抜き、バリを磨き、そりを直してハンダで組み立てたものだそうです。中のメカニズムなんかも最高ですね。みんな時計の歯車やその他のパーツを使いまわしているのです。
撮影機も映写機も、本来は手回しのものを電動式に改良してあるのも驚きだした。
by sig (2010-06-10 15:33) 

sig

うつマモルさん
プリンさん
めぇさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 15:34) 

sig

ChinchikoPapaさん、こんにちは。
よく分かります。で結局、方向は逆かもしれないのですが、詰まるところは私も同じなのではないかと感じました。
このブログは全体が自分史で、その半分を自分の生い立ち(いかに動く写真が好きだったか)。もう半分を自分の半生を占めてきた動く写真そのものについて書いてきたわけですね。
生い立ちについて子供たちは「親の苦労話など聞きたくない」でしょうから、いつかその気になったときに眼を通してくれればいいのです。
一方の映画の技術変遷史は、自分の知識をまとめる意味で、読んでくださるブロガーの方向けに書いてきました。とはいえ、技術系に進んでいる息子たちには、技術に対する人の英知といったようなものを感じて欲しいと思って書いてきました。
最初から自分史を目指していますからChinchikoPapaさんよりはずっと了見は狭いのですが、やはり結局は子供たちに向けて、親が何を考えて生きてきたか。何を伝えたいのか。彼らがそれを汲み取って、自分の人生のどこかで思い出してくれることが願いなんですね。
長文のコメント、うれしく拝見させていただきました。
by sig (2010-06-10 16:00) 

SilverMac

ただただ、スゴイ人としか言えません。
by SilverMac (2010-06-10 16:14) 

sig

Nyandamさん
りぼんさん
レオぱぱさん
Okin_02さん
          こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 20:05) 

sig

SikverMacさん、こんばんは。
ほんとうに、わたしも現物を見せてもらうまでは信じられませんでした。
実はこの撮影機、撮影機のあとに、やはり真鍮板を裁ってフォーカルプレーン式の35ミリカメラを作られているのです。これも本物顔負けのデザインと性能でした。それをGHQに居た技術者に「日本のエジソン」と賞賛されたのでした。
by sig (2010-06-10 20:11) 

sig

岩見沢鷹人さん
dorobouhigeさん
         こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 20:12) 

mito_and_tanu

こんばんは。
9mm半というフィルムがあったのですね。
フィルム送りの穴をコマ間において有効面積を広げるとは、よく考えてありますね。戦争が無かったら、生き残ったのでしょうか。
性能から言えばきっと8mmよりずっと優れていたのでしょうが、何が生き残るかは性能だけでははかれないものですね。
by mito_and_tanu (2010-06-11 00:17) 

sig

カメキチさん、こんばんは。順番を間違えてすみません。つい、niceの順番を見てコメントを書いてしまうものですから。
カメキチさんはパテ・ベビーをご存知でしたか。お金持ちの家でさえ映写機しかなかったと思いますが、撮影機も持っていたというお友達は動画に興味があったのでしょうね。
フィルムの真ん中のコマとコマの間にパーフォレーションがある独特なものですから、私も最初は不思議でしたね。でも、そのために1コマの面積が大きくなって鮮明画像を実現していたのですから、さすが映画が発明された直後から映画機材を作って撃っていたパテ社の製品だけのことはありますね。
本当に子供の頃興味を抱いたものが将来につながると私も思います。
by sig (2010-06-11 00:56) 

sig

soneさん
ほりけんさん
八犬伝さん
marimoさん
           こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-11 00:58) 

sig

mito_and_tanuさん、こんばんは。
9ミリ半を知ってくださった方が、もう一人。(笑) うれしいです。
パテ・ベビーは、このブログの「映画技術おもしろ発達史」カテゴリーで映画の歴史を書いていますが、映画が発明されるとすぐに機材を売り出したフランスのパテ社が第二次大戦の戦前に、アメリカの16ミリに対抗して売り出した規格なんです。
画質が16ミリに負けないで経済的ですから、戦争が無かったらもっと伸びていたでしょう。
ただ、その後のトーキーを考えると9ミリ半の幅全部を画面に使うことはできなくなると思いますから、やはり16ミリに負けて廃れたのではないかと思われます。
いつもコメント、ありがとうございます。

by sig (2010-06-11 01:06) 

sig

kaika-tさん
c_yuhkiさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-11 10:03) 

Esther

sigさん、わたし5歳ごろから18歳頃まで日野市住民でした。なつかし〜。豊田の多摩平にいました。小学生の時日野駅まで妹と歩いて、道に迷って日暮れてから帰宅しました。
妹は小さかったので泣き出して大変でした。(すみません、私事で
すばらしい方とお知り合いで、sigさんもお仕事すばらしいですね。
by Esther (2010-06-11 12:38) 

sig

kontentenさん
釣られクマさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-11 13:40) 

sig

こんにちは。
インターネットはワールドワイドで国際的といいますが、意外に近くの方々が多いんですよね。笑
日野市は淺川が流れ、里山が残されていたりして、いいところですよね。
Estherさんの豊かな情操は、きっと日野で育まれたものかもしれませんね。いつもコメント、ありがとうございます。

by sig (2010-06-11 17:39) 

sig

fuzzyさん
ふぢたさん
ばんさん
とらさん
sanaさん
yannさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。

by sig (2010-06-11 23:38) 

yakko

お早うございます。
人との出会いって不思議なものですね。やはり運命でしょう〜〜
by yakko (2010-06-12 10:31) 

sig

genpachiさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-12 21:27) 

sig

yakkoさん、こんばんは。
こんな風ないい運命は、神様にぜひともたくさんお願いしたいものですね。
by sig (2010-06-12 21:28) 

sig

タケルさん
greenさん
          こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-12 21:29) 

lamer

9ミリ半?って首をひねりましたが。
8ミリの前にあったのですね。
映画の世界は夢の世界でしたから・・・
その映画が出て来る映写機は魔法の箱のようでした。
映写技師は夢の職業の一つではなかったでしょうか?

by lamer (2010-06-12 23:00) 

sig

lamerさん、こんばんは。
9ミリ半は、私の世代でも、動く写真によほどの興味が無いと知らないと思います。映画は仰るとおり私にとっては魔法のメカでした。私は映写技師ではなく、制作に興味がありました。
私がフィルムを使って仕事をした期間は短くて、すぐにビデオの時代になってしまいました。今でも趣味はビデオです。
コメント、ありがとうございました。
by sig (2010-06-12 23:16) 

sig

abikaさん
NO14Ruggermanさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-13 08:55) 

sig

あら!みてたのねさん
hi-ragiさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-13 17:17) 

sig

ヨタ8さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-13 23:10) 

sig

路渡カッパさん
Ja-Kou66さん
           こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-14 09:57) 

響

9mm半なんて聞いたこと無かったです。
しかしそんなに若いのに自作しちゃうのが凄いですね。
日本人のエンジニアとしての血統でしょうか?
凄い!

by (2010-06-14 19:00) 

sig

OMOOMOさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-14 19:10) 

sig

響さん、こんにちは。
私のブログで、響さんのように若い人たちがお利口さんになって行くのは、本当にうれしいことです。笑
響さんだってすごいもんです。いつもその探究心と実行力に圧倒されておりますよ。こんどのツアーもスケールが大きかったですね。ますますカワセミくんがかわいくなりますね。
by sig (2010-06-14 19:14) 

gyaro

昭和記念公園は学生時代によくいきました^^

パテ・ベビー映写機シルエットもすごくステキですね!

「まぼろしの9ミリ半」の続編の件はとても残念な思いですが、
sigさんと東尚士さんの出会い、幼少期の共通点など、
とても運命的だなと思いました☆

by gyaro (2010-06-15 22:50) 

sig

gyaroさん、こんばんは。
ほんとに幼少時の話は私と全く同じでした。
だからこの自主制作ビデオは、東さんを撮っていますが、私自身の話が重なる部分がかなりありますね。
このカメラと映写機は今では東さんの遺品になってしまいました。私の部屋に飾ってあります。
by sig (2010-06-17 09:33) 

sig

あんれにさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-17 09:33) 

sig

4geさん
みかっちさん
          こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-19 09:41) 

sig

furukabaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-19 15:35) 

sig

kimikoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-07-11 11:22) 

sig

動画嬢さん、こんにちは。はじめまして。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-12-14 15:26) 

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