「書」の宇宙観 [あんなこと、こんなこと]
あんなこと、こんなこと-58
「書」の宇宙観
"My Favorite Photo 2010" entryは4番目の睡蓮の写真です。
数年前、ある書家のお話を聞く機会がありました。全国規模の組織を有する書道会の総帥で、その本部が私の住む街にあることは知っていました。その会で年に一回開催される大規模な全国展を観に行き、それが会長先生との初対面でした。
お会いしたとたんに波長が合ったというか話が弾み、昼食を誘われるままに近くの料亭に腰を据え、夕食までもご馳走になるという長談義となりました。
これまで私は、「書」は好きでもきらいでもなく、時々書展を覗いて鑑賞することはありましたが、知識も造詣も無いために描かれている語句も読み取れず、従って意味も分からずにただ造形として、デザインとして楽しむだけでした。
先生には「書は格式だけではなく、もっと分かりやすく身近なものでありたい」との願いがあり、会としても口語文による日常的な詩歌や散文を素材とした書展を開催したりして、以前から新しい試みに意欲的だったのです。
その先生が北陸支部の研修会に向かわれるというので、金沢までビデオ記録のために同行しました。研修会の参加者は、北陸地区で書道教室を開いている先生方とその教室の生徒さんたちです。めったに聞けない会長先生のお話が聞ける上、目の前で揮毫が見られるというので、会は大盛況でした。
作品を持参した地区の先生方や会員に細かい添削を済ませた後、みんなに囲まれた輪の中で会長先生の揮毫が始まりました。私自身、リアルタイムで書が出来上がる過程を見るのは初めてなので、ビデオのファインダー越しに凝視していました。
会長先生の揮毫は楷書に始まり、行書、草書、篆書、隷書、あるいは仮名、と自由自在。10点ほどの作品が1時間あまりのうちに出来上がりました。
おそらく、脳裏に描かれた文字の形と配分が白紙の上にイメージできたその瞬間に、さっと筆が下ろされるのでしょう。下ろしたら一気に最後まで書き進める。あるときは筆先だけで流麗に。あるときは筆の腹をいっぱいに押し付けて力強く。筆全体を使って生まれる緩急と強弱の筆勢がリズムを生み、筆跡の妙をかたちづくっていきます。勢いのため途中で筆先が割れることがあるのですが、次の文字ではうまく筆の角度を変えて紙に下ろし、割れた筆先が見事なかすれ具合をしるしていく。これはおそらく、どの段階で筆先を割るかも計算されているのに違いありません。まったく「おみごと!」の一語に尽きます。
紙の大きさと質、墨の濃さ、用いる筆の太さ、特性を意識した上で、文字数を考慮し、真っ白な空間に全体の字配りと文字の大きさ、配分をイメージする。どの文字を控え、どの文字を強調するか。文字がどの程度にじむか。作品のすべては計算であり、仕上がりは意図した構図を示すのです。まさにこれは造形であり美術であると思いました。
同時に、それは映像制作にも共通すると思いました。取材した素材から編集上のプライオリティを考慮し、全体をどんなトーンでまとめるか。一定の時間の中にどのように要素を配分するか。どこを画面主体で見せ、どこでナレーションを聞かせ、どこで音楽を効かせるか。クライマックスをどのように盛り上げるか。すべては意図したテーマを語りかけるための計算です。これは無から有を生みだすクリエィティブな活動全般に共通するものではないでしょうか。
そのあとの会長先生の談話も含蓄に富むものでした。習字と書道の違いは何か。お手本を見ながら書くのは「お習字」。書道とは「道」を極めること。では「書」とは何か。それについて「書」は宇宙である、というのです。なにやら禅問答のようです。
書の発達は歴史的に見ても、仏教の経典や四書五経に代表される朱子学に関する書物との関係が深いといわれます。古来、中国では「四方上下これを宇といい、往古来今これを宙という」との言葉があって、時間と空間の全体を宇宙と呼んでいたのだそうです。その中で生きとし生かされている人間自身も宇宙であり、その人間が描く「書」もまた宇宙なのだそうです。
書を書くためには、まずテーマともいうべき文言を探さなければなりません。そこで選ばれる言葉は必ず、作者の思想や倫理観、経験や願望といったものを反映させたものになるでしょう。つまり、選ばれた言葉は作者の心境の反映である訳です。
次にそれをどのように表現しようかと模索します。その言葉がしるされた時代、しるした人物について思いを馳せたりする過程で、その言葉が作者の中で熟成し、同化します。そして最終的に、それを表現するもっとも適切なかたちとして書体が選ばれ、一幅の書に収斂されるのでしょう。
このように、書とは作者の宇宙が込められたものであり、その書だけで作者の全人格が評価される。それでよし、とするもの、それが「書」であるというお話でした。
なるほど。「道」とはまことに厳しいものです。とても依頼されて作るビデオ記録の及ぶところではありません。
ところで、書が宇宙であるとするならば、書の鑑賞とは作者の思想や人格を逆にたどる「内なる宇宙の旅」なのかもしれません。書道研修会のビデオを編集しながら、そう思いました。
"My Favorite Photo 2010" entry
「書」の宇宙観
"My Favorite Photo 2010" entryは4番目の睡蓮の写真です。
数年前、ある書家のお話を聞く機会がありました。全国規模の組織を有する書道会の総帥で、その本部が私の住む街にあることは知っていました。その会で年に一回開催される大規模な全国展を観に行き、それが会長先生との初対面でした。
お会いしたとたんに波長が合ったというか話が弾み、昼食を誘われるままに近くの料亭に腰を据え、夕食までもご馳走になるという長談義となりました。
これまで私は、「書」は好きでもきらいでもなく、時々書展を覗いて鑑賞することはありましたが、知識も造詣も無いために描かれている語句も読み取れず、従って意味も分からずにただ造形として、デザインとして楽しむだけでした。
先生には「書は格式だけではなく、もっと分かりやすく身近なものでありたい」との願いがあり、会としても口語文による日常的な詩歌や散文を素材とした書展を開催したりして、以前から新しい試みに意欲的だったのです。
その先生が北陸支部の研修会に向かわれるというので、金沢までビデオ記録のために同行しました。研修会の参加者は、北陸地区で書道教室を開いている先生方とその教室の生徒さんたちです。めったに聞けない会長先生のお話が聞ける上、目の前で揮毫が見られるというので、会は大盛況でした。
作品を持参した地区の先生方や会員に細かい添削を済ませた後、みんなに囲まれた輪の中で会長先生の揮毫が始まりました。私自身、リアルタイムで書が出来上がる過程を見るのは初めてなので、ビデオのファインダー越しに凝視していました。
会長先生の揮毫は楷書に始まり、行書、草書、篆書、隷書、あるいは仮名、と自由自在。10点ほどの作品が1時間あまりのうちに出来上がりました。
おそらく、脳裏に描かれた文字の形と配分が白紙の上にイメージできたその瞬間に、さっと筆が下ろされるのでしょう。下ろしたら一気に最後まで書き進める。あるときは筆先だけで流麗に。あるときは筆の腹をいっぱいに押し付けて力強く。筆全体を使って生まれる緩急と強弱の筆勢がリズムを生み、筆跡の妙をかたちづくっていきます。勢いのため途中で筆先が割れることがあるのですが、次の文字ではうまく筆の角度を変えて紙に下ろし、割れた筆先が見事なかすれ具合をしるしていく。これはおそらく、どの段階で筆先を割るかも計算されているのに違いありません。まったく「おみごと!」の一語に尽きます。
紙の大きさと質、墨の濃さ、用いる筆の太さ、特性を意識した上で、文字数を考慮し、真っ白な空間に全体の字配りと文字の大きさ、配分をイメージする。どの文字を控え、どの文字を強調するか。文字がどの程度にじむか。作品のすべては計算であり、仕上がりは意図した構図を示すのです。まさにこれは造形であり美術であると思いました。
同時に、それは映像制作にも共通すると思いました。取材した素材から編集上のプライオリティを考慮し、全体をどんなトーンでまとめるか。一定の時間の中にどのように要素を配分するか。どこを画面主体で見せ、どこでナレーションを聞かせ、どこで音楽を効かせるか。クライマックスをどのように盛り上げるか。すべては意図したテーマを語りかけるための計算です。これは無から有を生みだすクリエィティブな活動全般に共通するものではないでしょうか。
そのあとの会長先生の談話も含蓄に富むものでした。習字と書道の違いは何か。お手本を見ながら書くのは「お習字」。書道とは「道」を極めること。では「書」とは何か。それについて「書」は宇宙である、というのです。なにやら禅問答のようです。
書の発達は歴史的に見ても、仏教の経典や四書五経に代表される朱子学に関する書物との関係が深いといわれます。古来、中国では「四方上下これを宇といい、往古来今これを宙という」との言葉があって、時間と空間の全体を宇宙と呼んでいたのだそうです。その中で生きとし生かされている人間自身も宇宙であり、その人間が描く「書」もまた宇宙なのだそうです。
書を書くためには、まずテーマともいうべき文言を探さなければなりません。そこで選ばれる言葉は必ず、作者の思想や倫理観、経験や願望といったものを反映させたものになるでしょう。つまり、選ばれた言葉は作者の心境の反映である訳です。
次にそれをどのように表現しようかと模索します。その言葉がしるされた時代、しるした人物について思いを馳せたりする過程で、その言葉が作者の中で熟成し、同化します。そして最終的に、それを表現するもっとも適切なかたちとして書体が選ばれ、一幅の書に収斂されるのでしょう。
このように、書とは作者の宇宙が込められたものであり、その書だけで作者の全人格が評価される。それでよし、とするもの、それが「書」であるというお話でした。
なるほど。「道」とはまことに厳しいものです。とても依頼されて作るビデオ記録の及ぶところではありません。
ところで、書が宇宙であるとするならば、書の鑑賞とは作者の思想や人格を逆にたどる「内なる宇宙の旅」なのかもしれません。書道研修会のビデオを編集しながら、そう思いました。
"My Favorite Photo 2010" entry
おはようございます。
習字と書道の違いは何か。お手本を見ながら書くのは「お習字」。書道とは「道」を極めること。
そうなんですね!
私は習字の方を少々・・・・です(笑)
たまには硯を出してみようかな・・・・
by やま (2010-06-20 06:13)
花火師さん
Paceさん
xml_xslさん
ふぢたさん
abikaさんさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 09:27)
やまさん、こんにちは。
時々覗かせていただいて、かわいらしさに目を細めております。
絵を描ける人は間違いなく字も上手。
造形に長けたやまさんは、きっといい字をお書きになるのでしょうね。
by sig (2010-06-20 09:32)
よーじっくさん
c_yuhkiさん
ほりけんさん
めぇさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 09:33)
人間は宇宙、その人間が描く書もまた宇宙、実に壮大な発想?ですね。
何事にも「道」があるようです。道を極めると言うことを良く聞きますが、「道」って何でしょう。「道」もまた宇宙?それは一生かかっても達成できないような広大なものなのでしょう。写真道というものがあるとすれば、その道を極めるために精進努力して行かねばならないでしょうね。何か勇気のようなものが湧いてきました。
by カメキチ (2010-06-20 10:25)
母方の大叔母に書道家がいました。
私は文字にはとても魅力を感じる人間です。別段書道展を見に行くこともないのですが、面白い字に接すると、やはり感動します。内容よりも文字自体に反応してしまうのですが、書道家は字の意味、選択にもその哲学を貫くのですね。
>その中で生きとし生かされている人間自身も宇宙であり、その人間が描く「書」もまた宇宙
とても興味深いお話です。
by アヨアン・イゴカー (2010-06-20 13:25)
もうずいぶん遠ざかってしまっているし、
「書」というものにについて、深く考えたことも無かったです。
やはり深いですね(笑)
私もそうですが、最近では、書道が映画になったり、
イケメンタレントの趣味が書であったり、
またまたイケメン書道家が人気があったりと、
「書」は、一種のアートとして評価されているようで、
こんな大先生からしたら、それは邪道なのでしょうかね?
パフォーマンス...としても、素晴らしいものがあります。
宇宙...と表現するのであれば、
色んな惑星があって良いのかもしれませんね♪
by みかっち (2010-06-20 16:25)
ビデオ…チョット見たいかも
by thisisajin (2010-06-20 16:44)
龍馬伝の書も素晴らしいですね。
by SilverMac (2010-06-20 19:20)
な、なるほど・・・奥が深いもんですね
小学校の時より、書初めぐらいしか筆持つ事ないです^^
by くまら (2010-06-20 21:04)
いつもNiceをありがとうございます。
何事の「道」も、一生かかっても、、体得できないではないかと、諦めております。
今後ともどうかよろしく。
by TanTan (2010-06-20 21:38)
marimoさん
うにさん
sora38さん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 22:46)
カメキチさん、こんばんは。
私はこのあとも何回か訪問させていただいて書の仕上がるのを見せてもらったりしたのですが、なるほど、ととても教えられました。
多かれ少なかれ、クリエイティブなことに携わっている人たちに共通することではないかと思い、書き留めてみたわけです。
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 22:51)
アヨアン・イゴカーさん、こんばんは。
そうですね。書にする文言選びが実はいちばん難しいと仰っておられました。その文言が、自分の「今」を現すからということでした。
もちろん表現する書体がらみの選択になるでしょうから、必然的に次第に高度で深みのあるものになっていくのでしょうね。
アヨアンさんが人形劇、文章、絵画、音楽など、表現者として多彩でおられるのは家系のようで、うらやましいです。
by sig (2010-06-20 22:59)
hideyaさん
okin-02さん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:01)
らいち。さん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:02)
今造ROWINGTEAMさん
fuzzyさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:03)
みかっちさん、こんばんは。
大先生なのですが、決してそのようなところはなく、難しくいうとこういうお話だったのですが、実はとても気さくに書の楽しみ方もお話していただきました。
私もみかっちさん同様、書は書く場合も鑑賞する場合も、難しい理屈はいらずに、アートとして感じたまま接すればいいと思います。
その意味で、写真を楽しむ場合にも、ビデオを楽しむ場合にも共通するお話だな、と感じてここに書いてみたわけです。
そういえば、写真という宇宙の中でみかっち惑星は、最近とみに輝きを増しているというもっぱらのうわさですよ。
by sig (2010-06-20 23:12)
dorobouhigeさん
レオぱぱさん
kurakichiさん
flutistさん
Jakou-66さん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:16)
thisisajinさん、こんばんは。
そうですね。機会があれば見ていただきたいですね。ただこの時は記録的なものですから、この先生で1本作ってみたいですね。
by sig (2010-06-20 23:19)
SilverMacさん、こんばんは。
「竜馬伝の書」は知らないのですが、見てみたいです。
また、昔の人の書は必ずしも上手でなくても、とても味わい深いものはたくさんありますね。
by sig (2010-06-20 23:23)
PENGUINGさん
eternityさん
八犬伝さん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:24)
くまらさん、こんばんは。
いやいや、私でさえ書などしたためたことはありません。特に腱鞘炎でエンピツ文字はなめくじ文字ですから、筆文字などはとてもとても。
by sig (2010-06-20 23:27)
yannさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-20 23:27)
TanTanさん、こんばんは。
いやいや、TanTanさんがブログで描かれている「宇宙」はとても壮大で、感服しております。広範な知識が生かされていて、素晴らしいと思います。京王線沿線は身近に感じます。笑
by sig (2010-06-20 23:33)
あら!みてたのねさん
ヨタ8さん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-21 10:28)
お早うございます。
ドラマでパフォーマンス書道をみましたが
書道の世界も進化(?_?)しているんですね〜〜(@_@;)
by yakko (2010-06-21 10:37)
「書は人なり」と伺っています。
「絵」も然り。
人が出てしまうから恐いところが在る世界です。
by lamer (2010-06-21 11:48)
yakkoさん、こんにちは。
この記事は今の書道ブームにあわせて載せたわけではないのですが、ちょうどそんなタイミングになってしまいました。
パフォーマンス書道ねぇ。個人的には、書は自分と向かい合う行為だと思うので、本来は見世物とは違うような気がするのですが・・・。でも、いろいろあっていいのでしょうね、きっと。
by sig (2010-06-21 16:24)
lamerさん、こんにちは。
ああ、やっぱりね。この先生の仰ることもそうでした。
書画も写真も小説も、私のような映像も、クリエイティブな活動にはみんな共通することではないかと思っております。本当に人格そのものが出ますからね。
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-06-21 16:27)
漢さん
ChinchikoPapaさん
sanaさん
kaika-tさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-21 16:28)
こんばんは。
「内なる宇宙の旅」いい表現ですね。
文字に思想が現れるというのはなんとなく
わかるような気がします。
by hayama55 (2010-06-21 19:53)
書道は子供の頃に挫折しました~
おかげて今はPCさまさまです(^_^;)
by tomickey (2010-06-21 20:32)
素敵な写真ばっかりですね~♪
なんか水って癒されますよね・・・
by モカ (2010-06-21 20:40)
hayama-55さん、こんばんは。
インナー・トリップなどというと新興宗教のようになっちゃいますが、書以外で例えば小説なども、読者は作者の人生、経験、感覚などを遡っていくことになるような気がします。
逆に言うと、創造物と対峙したときに何を感じるかは、自分を問われていることになるのでしょうね。
by sig (2010-06-21 23:07)
tomickeyさん、こんばんは。
PCはどんな書体もOKで、上手に書いてくれますから便利ですね。
その反動でしょうか、最近、書道がはやっているとか聞きませんか。笑
by sig (2010-06-21 23:10)
モカさん、こんばんは。
もともと美しいものを撮っているのですから、きれいに撮れて当たり前と思うのですが、なかなかそうは行きませんね。笑
モカさんのように絵が描ける人はほんとにうらやましいです。黒猫ちゃんと女の子のアイコン、かわいいだけではない深さも感じて、とても気に入っています。
by sig (2010-06-21 23:14)
momoさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-21 23:14)
「書は宇宙」、素晴らしい記事です。拍手!
by mwainfo (2010-06-22 10:46)
書は哲学でもあり己の宇宙感の表現でもあると感じました。
宇宙は広いですから自分表現の総合芸術というイメージです。
by いっぷく (2010-06-22 14:36)
チョコシナモンさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-22 15:04)
mwainfoさん、こんにちは。
ありがとうございます。
いつも行き当たりばったりの自分には、いちばん難しく感じられる世界なのですが、先生のお話はよく分かりました。分かった気持ちにさせられてしまったのかな。笑
by sig (2010-06-22 15:06)
キクさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-22 15:06)
いっぷくさん、こんにちは。
こういう話になると、自分の中が空っぽの状態では受け止められませんね。自分なりの創造姿勢を持っていないと理解できないかも。私のように単純に楽しければそれでいい、などというレベルでは、太刀打ちできません。笑
by sig (2010-06-22 15:10)
その道を極めるって、とても能力がいることですよね。
新しいモノを作り出すことにも似てますね。
by プランツマーケット (2010-06-22 16:31)
プランツマーケットさん、こんにちは。
ほんとうに、ものを考えて作り出す行為はみんな共通しているところがありますよね。そしてそのベースは感性なんですよね。
いつまでも、きれい、かわいい、といった感情を持ち続けていたいです。
by sig (2010-06-22 17:03)
雉虎堂さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-22 23:26)
unikoさん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-22 23:27)
rebeccaさん
m6324さん
kakashisannpoさん
あんれにさん
soneさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-22 23:28)
miyokoさん
釣られクマさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-23 12:22)
路渡カッパさん
kontentenさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-23 19:21)
まるえめさん、はじめまして。こんにちは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-27 08:27)
machaさん
響さん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-27 16:45)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-27 20:50)
NO14Ruggermanさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-28 09:46)
sigさん お疲れ様でした(^.^)/
昭和館が書き終わってから伺いだすのもなんですが^^;‥‥
ゆっくり遡らせてもらいますね♪
文字って、
意味を含み持つ漢字で育った日本人としては、文字から来る色々なものに自然と惹かれたり、感じたりしていて、見るのは好きなので、芸術として見てきたのが殆どですが、
考えてみると、それこそ自然と、その宇宙観を見ていたのかもですね♪
sigさんが、書に対して、別角度から触れたこと、感じ取ったことを上手く言葉にされているな~♪と楽しませてもらえました(^_^)/
by 春urara (2010-06-30 11:56)
春Uraraさん、こんにちは。
むしろこれからゆっくり見ていただく方がいいかもしれません。笑
最初のフロアガイド、見てくださってありがとう。別々のように見える記事は、実は私という固体に収斂するはずです。恥ずかしいことも馬鹿馬鹿しいことも書いちゃってますからね。
写真というクリエイティブワークも、多分自分の中の宇宙を 自然の中に反映させて切り取っているのでしょうね。
ていねいなコメント、ありがとう。
by sig (2010-06-30 14:15)
書道と習字の違いすら知らなかった私ですが、
先日、六本木の新美術館で書道展の撮影を手伝う機会が
ありました。
どれもアートだなぁって思っちゃいました☆
by gyaro (2010-07-03 17:32)
gyaroさん、こんにちは。
それはいいお仕事をなさいましたね。
空間をどのように処理するのかは、写真とも全く共通しますよね。
by sig (2010-07-11 12:02)
kimikoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-07-11 12:03)
yutakamiさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-08-04 00:16)
「書」も芸術ですね!
私は描画も書道も好きでやっていますが、手法は違えど根っこは同じだと
思うし、どちらの世界もまさに「宇宙」です!
書く(描く)ことも見ることも心が豊かになりますね!
by まろり〜な (2010-08-17 11:44)
まろりーなさん、はじめまして。こんにちは。
たくさんのnice、ありがとうございました。
絵が上手な方は書も出来て、反対に書の上手な方は例外なく絵もお上手なんですよね。どちらもダメな私には不思議なのですが、デザイン的な感覚というか、共通点があるからでしょうね。どちらもおできになるまろりーなさんはうらやましいです。
このブログは1ギガの容量いっぱいになりましたので、間宮林蔵の記事でおしまいにします。ブログはそのままにしておきますが、また寄らせていただきますね。
by sig (2010-08-17 15:05)
エントリー頂いた睡蓮の写真の構図、色合いもステキ
ですが記事本文も大変興味深く拝見させて頂きました。
My Favorite Photo 2010 へのご参加ありがとう
ございました!
全てのエントリーが終了後に当ブログで私の
コメント付でご紹介させて頂きます!
Shin.Sion.
by Shin.Sion (2011-03-13 13:52)
Shin.Sionさん、
エントリーの件、ご多忙のところお手数をお掛けしました。
遠くからわざわざのコメントとメール、ありがとうございました。
by sig (2011-03-13 14:50)
しげさん、はじめまして、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2011-03-13 23:34)
areseさん、はじめまして。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-03-14 14:37)
リンさん、はじめまして。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-03-15 07:58)
ryo1216さん、はじめまして、こんにちは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-03-17 11:17)
ちょっとピンボケさん、はじめまして。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-03-19 19:19)
S_Sさん、はじめまして。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-03-28 21:29)
chieさんさん、はじめまして。こんにちは。
来館ありがとうございます。
by sig (2011-04-03 12:57)
SWC-24さん、はじめまして。こんにちは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-04-03 12:58)
しばはなさん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-04-03 18:58)