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これまでの映画という概念はそこにはなく、観客は上下左右、全天周を見渡せる立体空間に導かれます。ドラマの内容によって、そこは森の中かもしれないし、ビクトリア王朝風の邸宅の中かもしれません。
主人公は観客である自分自身。時間の流れの中で出現する人との出会いや出来事が、そのまま自分の身に降りかかっているかのような肉体的感覚を覚えながら、観客は自分の考えや意思で相手と対話し、ドラマの中を彷徨する。こうなれば結末は一つではありません。
こういった映像の研究はすでに進められています。自分の分身であるアバターを操るシミュレーションゲームはその研究の一端をなすものでしょう。
このように、現在私たちが個別に楽しんでいることを統合すると、とんでもない世界が生まれるということです。
高度なバーチャルリアリティでは、映画館や劇場の概念すら取り払わなければなりません。現在の研究では、一人一人に個別対応するために、360度の立体環境を見渡せるゴーグルをかぶる方式などが検討されているようです。
また、映画がすべてこのような形態になるわけではありません。あくまでも映像の楽しみ方の一つとして、この「触感をもつ映像」が、21世紀の前半において何らかの形で結実するのではないでしょうか。
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■シャーロック・ホームズ関係の書籍の例
●「シャーロック・ホームズ大全」1986 講談社
シャーロック・ホームズの47作品を原著のイラストと共に1巻本に収録した
もの。
●「シャーロック・ホームズ原画大全」1990 講談社
英国グラナダテレビのシャーロック・ホームズ放映に関連して出版された
もの。
●「シャーロック・ホームズ ガス灯に浮かぶその生涯」
1987 河出書房新社
35年ぶりの恩返し
思い出のジョブ④ 「講談社創業80周年大博覧会」1989●昭和の終焉は、バブル崩壊の先触れだった
講談社が創業80周年を迎えたのは1989年秋、(従って去年が創業100周年だったわけですが)。この年の1月7日は昭和天皇がお亡くなりになった日で、翌8日に元号は「平成」と改元され、昭和64年はたった1週間で幕を閉じます。
この年は3月に福岡で「アジア太平洋博覧会・よかトピア」と、横浜みなとみらい地区で「横浜博覧会・YES89」開催。10月にはそれまで晴海の東京国際見本市会場で開かれていた「モーターショー」がオープンしたての幕張メッセで初開催、というようにまだまだ経済は上昇機運で、博覧会タイプの大型イベントの開催が続いていました。
●「横浜博覧会 YES'89」
一方でこの年の秋にはベルリンの壁が崩壊し、2年後の1991年末にはソビエト連邦が消滅するという未曾有の世界変動が起こる訳ですが、当然日本もその影響を避けて通れなくなります。今思えばこのころはまさにバブル崩壊前夜。日本経済が最高潮を極めた瞬間だったのでした。「講談社創業80周年大博覧会」の仕事はこんな時代背景の元で進行しました。
●時代の流れを感じた、企画時点のエピソード
「講談社創業80周年大博覧会」の会場は日本橋高島屋8階の催事場。会期は11月23日から29日までの7日間。企画会議では、何度も文京区音羽の講談社に出向きました。会社の建物は創業当時の建築様式がそのまま残る、大理石を使った古風なもの。内部にはステージ付きの広い講堂があったりしました。「ああ、ここが講談社か。少年クラブはここで作られていたんだ」「懸賞に応募した僕のはがきはここに届いていたんだ」と思うと、どこか懐かしい気分と特別な親しみを感じました。
博覧会の目的は、読者に対する感謝を込めた80年の歩みの回顧が70%。これからの講談社の方向性を示すものが30%程度の比率で、戦前から戦中・戦後に到る出版物を当時の時代背景と共に展望する展示と、出版文化に貢献する講談社関連の文化人によるトークショーや対談がメインになっていました。
●戦時中の「講談社の絵本」(左)と「少年倶楽部」
企画会議には戦前・戦中の編集に携わった高齢な編集者が参加されました。私が親しみを込めたつもりで、「私は少年クラブのおかげで優等生でした」と挨拶すると、その人は一瞬複雑な表情をして「優等生ねぇ」と答えました。その言葉にどこか自嘲的な響きを感じて、はっとしました。
戦時中、出版関係は軍部の圧力で国民の戦意高揚の役割を強要され、講談社も挙国一致で国難に当たる愛国心旺盛な若者の育成を担わされていました。上の言うことには反抗せず、「お国のために死んで帰ります」という大和魂を刷り込まれた少年。それが優等生だったのです。私はその時代より4~5年あとの戦後に民主教育を受けた第一期生ですから、優等生の意味が違うのですが、老編集者が自嘲気味に発した一言には、心ならずも軍国少年への道を煽った過去の自分に対するやるせない思いが込められていたのではないかと感じました。
●ファンに楽しんでいただけるイベントとして
「講談社創業80周年大博覧会」の会場では、大きなのらくろのぬいぐるみが来場者を迎えます。背景は創業当時の講談社の木造社屋で、のらくろといっしょにポラロイドカメラの撮影サービスです。傍らでは創業時・大正ロマンの世界にいざなう大正琴の連弾とヴァイオリン演奏のパフォーマンス。
その奥が壁面を利用した展示ゾーンで、大正に始まり、戦前、戦中、戦後の順に、当時のポスターやラジオ、蓄音機など生活用品の実物展示とともに、講談社の出版の歴史が展開します。また関連展示として、作家の肉筆原稿、挿絵も展示されています。
次は一転して、昭和30年代の街角のゾーンです。講談社の書籍の広告が貼られた板塀を渡る猫の姿。電柱の脇では街頭テレビが力道山の大活躍を映し出し、紙芝居の自転車も。その脇には当時の典型的な民家の一室が原寸大で再現されています。それは一種のライブステージで、一日数回、当時の生活状況を楽しく伺わせる夫婦の寸劇が、劇団の俳優によって演じられるという趣向です。
●実寸家屋をステージにしてライブで見せた、昭和30年代の庶民の生活
●昭和初期のカフェをイメージしたスタンドで、無料のドリンクサービス
次のゾーンは講談社の書籍の人気を不動のものとした「倶楽部」の世界です。「倶楽部」は戦後「クラブ」に表記が変って、私たちの時代になるのですが、このゾーンには、私も知らなかった「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少女倶楽部」の本体、組み立て付録などといっしょに、菊池寛、西条八十、佐藤紅緑、井上靖、吉屋信子、山口将吉郎、伊藤幾久造、伊藤彦造、椛島勝一、高畠華宵、蕗谷虹児など、作家、挿絵画家の肉筆原稿なども展示されました。
また特別展示として独立したスペースを設けて、講談社に特にゆかりの深い吉川英治の書斎が再現されました。
●「少年倶楽部」で人気が高かった立体模型 精巧なことで有名だった
●吉川英治の書斎を再現
●メインイベントは、第一線著名人によるトークショー
会場の中心部を占めるコア・ゾーンは、メインイベントの「講談社シアター」。ここは昭和の映画館をイメージしたデザインで、会期中連日、出版社ならではの幅広い人脈を生かして招聘した、多方面からの著名人によるトークショーが組まれました。(以下、順不同・敬称略)例えば、長嶋茂雄、徳光和夫、遠藤周作、池田満寿夫、佐藤陽子、村松友視、山藤章二、渡辺淳一、椎名誠、野田知佑、弘兼憲史、柴門ふみ、黒柳徹子、安部譲二、石井ふく子、尾上菊五郎、中村敦夫、大谷幸三、塩月弥栄子、平野レミ、海老名香葉子、小林麻美、といったそうそうたる人たちで、当時絶頂の人たちの顔ぶれを知ることが出来ます。
なおトークショーの合間には、高い美術的評価を持つ「講談社の絵本」の名場面が、大型テレビモニター16台によるマルチイメージで展開。「講談社シアター」は毎日、立ち見が出るほどの大盛況でした。
●メインイベント「講談社シアター」の整理券(無料)と満席の状況
●こんなに高齢者が多く集まったいイベントも珍しい
シアターの次のゾーンからは新しい講談社のプレゼンテーションが展開します。ここでは当時新しく全集として出版された手塚治虫作品の原画コーナーをメインに、コミック時代を彩る多彩なキャラクターたちが勢ぞろい。ここでもやはり原画に人気が集まっていました。
こうして会場の展示は、講談社の今をアピールする創業者野間清治氏の名を冠した「野間文芸賞」「野間児童文芸賞」を初めとする数々の出版文化賞の紹介と、50種におよぶ圧倒的な出版書籍のオンパレードに収束します。
講談社が総力を挙げて取り組んだ80周年記念イベント。それは大正から戦前にかけての展示物が多かったこともあって、70代、80代といった来場者も多かった異例の催しでした。
私が「少年クラブ」を読んでいた頃から35年。この企画に参加させていただいて、幼い頃にいろいろな知識を与えてくれた大好きな講談社に、少しはお返しが出来たような気がしました。
その講談社はすでに100周年を過ぎました。この80周年の記念出版だった「日本語大辞典」は、今でも文章を書くときに欠かせませんし、大好きなディズニー関係の書籍の出版も講談社です。こんなところにも何かの縁を感じて、講談社は大好きな出版社です。これからも講談社はデジタル時代の新しい出版の形を見せてくれることでしょう。
●今でも座右に欠かせない、80周年記念出版の「日本語大辞典」
●「真昼の決闘」1952
監督/フレッド・ジンネマン 主演/ゲーリー・クーパー、グレース・ケリー
初めて観た西部劇はアラン・ラッドの「シェーン」でしたが、この映画も大好きです。物語の進行が映画の時間とリンクしてリアルタイムで描かれるという構成の仕方も大変興味深いものでした。
●「風と共に去りぬ」1939
監督/ヴィクター・フレミング 主演/クラーク・ゲーブル、ヴィヴィアン・リー
観たのは大人になってからですが、第二次世界大戦直前に作られた映画だと知って仰天したものです。
カラー映画など日本には無い時代に、アメリカは余裕でこんなすごい映画を作っていたんですね。
●「七年目の浮気」1955
監督/ビリー・ワイルダー 主演/マリリン・モンロー、トム・イーウェル
マリリン・モンローがいちばん魅力的な頃でしょうか。こんなかわいい妹が欲しいと思いました。マリリンは15才も年上でしたが。
●「カサブランカ」1942
監督/マイケル・カーティス 主演/ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン
ボガートをそれ程好きでなかったせいか、観たのはずっと大人になってから。あまり名作だ話題作だと騒がれたりすると、へえ、と思っちゃうへそまがり。それは今も変わりません。
この下の動画を参考にして、下のコメント欄に「G、・・・・・・」と書いていただいて、みんなで楽しみましょう(ごほうびはありませんが)。
全部でなくて、ひとつでもいいんです。ぜひ、気の利いた楽しいコメントをお寄せください。
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
http://eyevio.jp/movie/359061 ←待たずに大画面で見られます。
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●著作はこちら
これまで3回にわたって赤青めがねによる立体写真をご覧いただきました。その鑑賞法は古典的と言えるものですが、立体写真が立体映画にまで進化した昨今では、もはや赤青めがねが用いられることはありません。
私が真っ先に覗いたテーマ館は、IMAXによる「燦鳥館(サントリー館)」でした。知識としては知っていた見上げるほどの大スクリーンを、私はここで始めて見たのでした。空を行くカナダグースの群れと並んでカメラが移動し、まさに自分もいっしょに空を飛ぶ興奮を味わったのでした。この時のIMAXは立体映画ではありませんでしたが、その臨場感は立体映画に勝るとも劣らないものでした。(私のIMAXオタクはそれ以来です)
「富士通パビリオン」はコンピュータメーカーらしく、当時話題の3D・CGを前面に打ち出して、みごとに変化する立体デザインを楽しませてくれました。
●富士通パビリオンのイメージイラスト
●時代は、偏光めがねで観る立体映画へ
富士通の他に大スクリーンで立体映画を観られるパビリオンは「日立グループ館」「住友館」「鉄鋼館」でした。
これらのパビリオンで入場の際手渡されるのは観賞用の特製めがねですが、それが赤青めがねではないことに技術の進化を感じたものでした。技術解説は他に譲るとして、めがねに貼り付けてあるのは薄いプラスチックの偏光板ということでした。これらのめがねは、さっそく私のガラクタ箱に加えられました。
●いろいろな立体映画を見せてくれた企業パビリオン
立体映画の上映には、当然、立体映画用に撮影されたフィルムが使われます。1台の映写機で上映する場合はフィルムの一コマごとに右目用、左目用と交互に焼きこまれたフィルムが用いられ、2台の映写機で上映する場合は、1台は右目用に撮影されたフィルム、もう1台は左目用に撮影されたフィルムをかけて、2台の映写機を同期させて上映する訳です。最近の3D映画はこれらの方式が更に進化したものといえるでしょう。
●右目用、左目用に1コマずつ交互にプリントされた70ミリ立体映画フィルム
とにかく「科学万博つくば‘85」では、話題の大型映像、立体映画は網羅したと思います。
ただ、富士通パビリオンの立体映画は、唯一、赤青めがねを使うものでした。これは全天周映画という方式で、ちょうどプラネタリウムのように頭上180度の広がりにCGを投影するもので、平坦なスクリーンではないために、偏光めがねによる立体視を構成できなかったからでした。
●「富士通パビリオン」の全天周3D・CG こちらは赤青めがねを使用
●ついでながら「立体」に関連して
「立体」に対する私の興味は、ひとえに「映画の発達」に関する技術的側面からなのですが、3Dに関してはコンピュータの進化と共にCGの分野でも大きな変化が見られます。
そのひとつが「ステレオグラム」。これは1990年以降に出版界でブームになったのでご存知だと思います。これはメガネを使わないで立体視を楽しむ試みです。読売新聞の土曜日夕刊にも連載されて、すでにポピュラーなものになっていますが、裸眼で立体映画を楽しむための実験と言えなくもありませんね。C.G.(コンピュータグラフィックス)ステレオグラム―驚異の3D
スリーディー・スケープ (Ascii‐3D‐ROM book (1))
おなじみ、赤青めがねの3D<第一弾>。
●青と赤の2色による立体写真の上映 1890 眼鏡を掛けて見入っている観客
●初期の立体写真 慣れた人はこの写真を裸眼で立体視できる。
当時の立体写真は、二つのレンズを持つカメラで撮影された一対のモノクロ写真を、ステレオスコープと呼ぶ眼鏡様のビューアーで覗き見るものでした。人気があったのは外国の情景を写したものだったようです。現在のように簡単に海外旅行ができなかった時代でしたから、肉眼で見る通りに浮き上がって見えるカルナック神殿、タージマハール、ノートルダム寺院、ニューヨークの摩天楼などに心躍らせたことでしょう。この、ある種トリックのような不思議なイメージはマルセル・デュシャンや萩原朔太郎を魅了し、その創造活動にも刺激を与えたといわれています。
●ステレオスコープ
もっともポピュラーな赤青めがねを使う立体写真は、右目と左目用に並べられた2枚の写真を1枚に重ねて見せるというアイディアから生まれたものです。この発想がなかったら、一つの画面で立体視を実現する今日の立体映画も生まれなかったことでしょう。
今回は1978年にサンフランシスコで出版された「STEREO VIEWS」をご紹介します。出版は新しいですが、ルーズベルト大統領(1932)や、単葉機「スピリット・オブ・セントルイス」で大西洋無着陸横断に成功したチャールズ・リンドバーグ(1927)なども取り上げられていますから、撮影された時代は、第一次世界大戦を挟んだ1910年代から1930年代のものと思われます。
赤青めがねをお持ちの方はこのままお楽しみいただけますが、興味のある方は100円ショップで赤青セロファンをお求めの上、簡単なめがねを作ってお楽しみください。
掛けるときは、左目に赤。右目に青。お間違いなきよう。
<第一弾>と記しましたから、次回は<第二弾>を用意いたします。
●上/リンドバ-グ(左)とスピリット・オブ・セントルイス号
下/ルーズベルト大統領