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写真が動いた―映像技術の過去・未来 [映画技術おもしろ発達史]

P1030925b-3.jpg  映画技術おもしろ発達史・番外
   写真が動いた―映像技術の過去・未来

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 この記事は5年前の2005年2月8日、生涯学習活動のさきがけであるNPO法人・全国生涯学習ネットワークが現在も推進中のインターネットによるライブ講座で、映画の歴史について語らせていただいた時のあらましです。
このブログで73回にわたって中心的に続けてきた映画技術史の総まとめのようなことを書いておりますので、当時の文章をそのまま転載させていただきます。 
  http://tsgn.dyndns.org/tsgn/profile/live12/zsgnlive012.htm 
  
  映画の誕生は1895年12月28日。今年は満105周年にあたる(2010年の今年は115周年)。映画は、連続する写真(静止画)を間欠運動により機械的に動かして見せるものだが、その実現に至る道のりは極めて長く険しかった。まず写真を動かす前に、写真そのものが発明されなければならない。しかし人は写真の登場よりもはるか以前より<絵>を動かしたいと考えていた。 

  残像現象や投影現象はすでに紀元前に発見されていたが、17世紀半ばにヨーロッパでそうした自然現象を応用した「マジックランタン」(幻燈機)が考案されると、19世紀初頭には背景とキャラクターの動きを数枚のガラスに分離し、残像を利用した<動く幻燈>が登場する。いわばアニメーションの原点である。

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 19世紀は、交通、通信、建築、医学等幅広い分野でエポックメーキングな発明が立て続けに誕生した。映画前史を語る上で不可欠な技術も次々と誕生した。中でも19世紀後半における乾式写真とセルロイドフィルムの発明は、それまでのガラス湿版写真で機構的に行き詰まり状態だった問題を一気に解決する。映画の撮影・上映にはこの他、回転シャッター、フィルムの間欠送り機構、パーフォレーションとスプロケット、ループの発見等が条件となるが、当時、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツなどで同時多発的に開発が進められていた。それら多くの人たちの英知を撚り合わせたもの…それが「映画」なのである。
 
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  こうして誕生した映画は、100年間で音声を持ち、色彩を備え、今や驚異的な立体音響と包み込むような大画面で、虚構の世界をあたかも現実であるかのように表現する手法を持つに至った。
 映画は最先端のテクノロジーと芸術が融合した稀有なメディアであり、20世紀は初めて<動く写真>で記録された世紀となった。

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映像は限りなくバーチャル(擬似的)な時間と空間の創造を目指す。21世紀、コンピュータは更に頭脳を高め、一気に人間に近づこうとしている。その視覚や聴覚、ビジュアルな部分を担うのは映像である。映像は今後、コンピュータや他のいろいろなメディアと合体し、現実感を得るのに欠かせない「立体化」の度合いを高める中で、視聴覚の先の「触」の分野、つまり、熱い、柔らかいなどの感触が得られる「感覚を持つ映像」や、人の感情に「感応する映像」などが登場するだろう。
 これら、バーチャルリアリティ(仮想現実感)による究極の擬似体験は、もはや「映画」という娯楽の世界に留まらず、情報の質を変貌させ、教育、芸術、福祉などいろいろな分野でこれまでになく多彩な展開を見せるだろう。

 新しい技術は常に諸刃の剣の矛盾をはらんでいる。映像は時に圧倒的な大災害や戦慄すべき殺人というような危険や反社会的行動を描きながら、観客には全く安全な娯楽として提供してきた。バーチャルに慣れ、実際に体験したつもりになってしまうのは、ある面では恐ろしい。
  しかし、映像はもともと人の願望を実現させてくれるマジックだった。ということで、映像技術の今後の発展に期待したい。


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 以上は5年前の記事ですが、映像の進化の流れを展望すると、それは現在のあるがままの情景を留めておき、いつでもそのまま再現できるように保存しておきたい、という欲求に対する行為ではないかと思えてきます。
 それは、初期の映画に現実の事件を再現した擬似的なニュースフィルムがあったり、エジソンの晩年の研究が霊魂の復活を映像に結びつけようとするものであったり、ということと無縁ではありません。

 飛躍的に言うと映像の究極の方向性は、現実と瓜二つの極めて高い精度を擁する風景、人物、出来事などのコピーを残すためではないかと思われるのです。それは当然そよぎ、呼吸し、動き回る情景です。そのためにモノクロ、サイレントだった映画は、トーキー、カラー、ステレオ音響、ワイドスクリーンを実現し、今「立体(3D)」に到達したのです。


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●体感映像の最先端IMAX(アイマックス)の最新プログラム
 「HUBBLE 3D」IMAXのHPより
 CGではなく実際の宇宙での浮遊を飛行士と同じレベルで体感することができる。


 もちろん立体映画にする必要の無い映画はたくさんありますが、映像の進化の流れとして、これからの映像は二次元から三次元(3D)の立体へ向かうことは、最近の映画界の動向を見るまでもなく明らかです。画像処理を初めとする関連技術がようやくそこに到達したのです。
 一方で、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五感のうち、視聴覚を早くから備えた映像が目指すのは第3の感覚である「触感をもつ映像…身体に感じる映像」だと思います。これもある意味ではすでにテーマパークのライドで体感できるものですが、真のバーチャルリアリティとはこの視覚/聴覚と触覚を融合させたものとなるでしょう。

 これまでの映画という概念はそこにはなく、観客は上下左右、全天周を見渡せる立体空間に導かれます。ドラマの内容によって、そこは森の中かもしれないし、ビクトリア王朝風の邸宅の中かもしれません。
 主人公は観客である自分自身。時間の流れの中で出現する人との出会いや出来事が、そのまま自分の身に降りかかっているかのような肉体的感覚を覚えながら、観客は自分の考えや意思で相手と対話し、ドラマの中を彷徨する。こうなれば結末は一つではありません。
 こういった映像の研究はすでに進められています。自分の分身であるアバターを操るシミュレーションゲームはその研究の一端をなすものでしょう。
 このように、現在私たちが個別に楽しんでいることを統合すると、とんでもない世界が生まれるということです。
 
 高度なバーチャルリアリティでは、映画館や劇場の概念すら取り払わなければなりません。現在の研究では、一人一人に個別対応するために、360度の立体環境を見渡せるゴーグルをかぶる方式などが検討されているようです。
 また、映画がすべてこのような形態になるわけではありません。あくまでも映像の楽しみ方の一つとして、この「触感をもつ映像」が、21世紀の前半において何らかの形で結実するのではないでしょうか。