「都市博」もまた、バブルと消えた。 [あんなこと、こんなこと]
あんなこと、こんなこと―56
「都市博」もまた、バブルと消えた。
1995年。鈴木都政から青島都政への移行の中で
思い出のジョブ⑥ 「東京フロンティア・都市博」-2
●「都市博」イメージと会場予定エリアの拡大図(下図のオレンジラインの範囲)
■前回からの続きです。
●プロジェクト全員が、ひとつのイメージでつながるために
1992年8月、東京都港湾局の視察船で「都市博(正式名称/世界都市博覧会)」会場予定地の視察を終えた直後から、再び広告代理店D社担当セクションとパートナーである私たちとの間で、実施プラン策定に向けての企画会議が夏休みも返上して続きました。
●動画 「都市博」会場視察 1992.8.7 http://eyevio.jp/movie/363533
大方の都庁職員が夏休み中に何とか企画のフレームを作り上げたい。そのためには関係者全員が会場の共通イメージを描けるひな形がなんとしても必要でした。そこでかねてから自分が考えている都市博イメージをたたき台として提案することにしました。
●構想中の自分用アイディアフラッシュ。模造紙を壁に張り、アイディアを書き込ん
でいく。構想がまとまるとワープロで清書して企画書の体裁にレイアウトする。
最初の構想は予算や可能性などにとらわれずに大きい程いいのです。それは刷り合わせていくうちに落ち着くべきレベルに落ち着くはずだからです。
私が描いていたイメージは、あと数年で迎える<21世紀先取り体験ゾーンとしての都市博>でした。つまり「都市博」会場全体を近未来の都市生活シミュレーションの場として展開するというものです。分かりやすく言えば、お台場、青海のウォーターフロントに、都が考え推進している近未来の東京の姿を民間企業と共同で具体的に提示して見せる、いわば原寸大の都市生活のショーケースです。
そうすれば、東京都側から与件として提示されている建設中の「テレコムセンター」や「お台場ウォーターフロント」は情報拠点、レジャー基地としてそのまま「都市博」の中に取り込むことができますし、既設のゴミ処理施設「クリーンセンター」も「都市博」関連施設と位置づけることができます。こうして、「都市博」関連の交通、情報、エネルギー、廃棄物処理、資源リサイクルまでのインフラを包含した<東京近未来独立特区>というコンセプトが生まれました。
●「テレコムセンター」 ●「クリーンセンター」
●実験都市で21世紀の都市生活を
私の試案の第一の特徴は、大学生の起用です。<東京近未来独立特区>は東京都と企業、それに大学を加えた官・産・学のコラボレーションで運営に当たります。「都市博」の会期予定は1996年3月24日から10月13日までの204日間で、春休み、夏休みを含むことから、次の東京を担う大学生の参加シーンを多く設定しました。
「都市博」会場は言わば独立国ですからその象徴としての首長が必要です。都内の大学の協賛を仰いで、まずは大学生を対象に「都市博市長(仮称)」の立候補受付を行います。同時に、社会人と大学生を対象に男女のアテンダントを募集します。
当然都市博市長は「都市博」開催以前に選挙で決める必要があり、各大学における選挙運動自体をマスコミと連動させ、話題づくりのプレ・キャンペーンに仕立て上げます。
また、アルバイトを数歩進めた実際的な社会活動の場として大学生による「博覧会運営スタッフ」を編成。所属学部によって情報、エネルギー、エコロジーを始めイベント運営、流通・販売、救急・介護などの部署に配置して、実習の場として機能させます。
会期中は当然、プロによるステージショーやコンサート、路上パフォーマンス、港湾部におけるウォーターショーやファイアーワーク、東京湾クルーズ連動イベントなど、連日楽しいプログラムが展開することになりますが、大学関係では学園祭、音楽祭、演劇祭などの学校行事や学園生活の一部を「都市博」会場のステージや広場、緑地などを使って行えるプログラムを用意して、若々しい躍動感で会期中の賑わいを作り出すように考えました。
●以上は「都市博」のイメージイラスト 実施企画以前の構想の段階で描かれたもの
試案の第二の特徴は企業参加のかたちです。従来型のパビリオン出展はもとより、ここでは企業秘密は無理として、各企業が開発中のもの、試作したものを実物で出展してもらい、来場者に体験してもらうライブ・ショールームです。
例えば交通関係ではすでに決定している「ゆりかもめ」のように、最先端ハイブリッドカー、エコカー、電気自動車による会場内トランスポート。車の追突・衝突事故を避ける自動制御システムの体験試乗。住宅関係では情報化時代の先進オフィスとして、エレクトリックコテージ(サテライトオフィス)に滞在しての実際業務体験。太陽光発電とオール電化住宅での家族ぐるみ体験宿泊。東京湾海洋レジャーコテージの家族ぐるみ体験宿泊などなど。
●当時、各企業が開発中のいろいろな技術ニュース。都市博ではこれらを参考にして
現実性の高い実験都市の構想を描き上げた。
これらはあくまでも1992年に立案したもので、インターネット以前の時代の企画です。すでに一部は実現したものもあります。「都市博」ではまさに、今日の都市生活を先取りする場として構想したのでした。
◎その他、運営に関して
・警視庁協賛で、本物の「都市博交番」を設置。
・「会場シンボル」および会場エネルギーの一助として、風力発電のプロペラを数機設置
・会場施設に太陽光発電を設置 レストラン等のエネルギーを補う。
・エントランスゾーンに、サテライト形式の「案内・情報センター」を設置。
・「都市博通貨」を兼ねたIDカードによる入場料、宿泊費、購買費などの清算。または会場だけで通用する通貨の発行。
・会場内で回収したドリンク用アルミ缶のリサイクルプロセスを見せながら「来場記念メタル」をその場で作ってプレゼント……など。
●204日間の長期を埋めるイベント施策も抜かりなく
「都市博」は春に始まり秋に収束する長期イベントです。その間動員を保つためにいろいろな話題提供や集客動員策を講じなければなりません。オープン時や季節の節目に行うスペシャルイベントや「海外都市フォーラム」といったアカデミックなイベント。あるいは、海外参加都市祝祭デーと銘打った華やかなステージイベントなど。
また、会期中を通して毎日行うイベントとしては、陸海空の3つの「都市探検コース」を設定しました。
「陸の探検コース」の目玉は「テレコムセンタービル探検」と「共同溝/地下インフラ探検」。
「海の探検コース」では「東京湾水中観察」と「東京湾岸発見クルーズ」。
「空の探検コース」では係留熱気球による「都市博会場と東京湾 鳥の眼観察」です。場合によっては「ヘリコプター基地」からの東京遊覧飛行や「スカイスポーツ」の実施も。
●腱鞘炎のため、文字はメタメタ。覚え書だから自分が読めればそれでいい。
下は提出した会期中のイベントスケジュール案
●消滅の前に、いつの間にかストップしていた「都市博」
このようにこの構想では、参加型・体験型・滞在型プログラムを多数用意しています。
この試案はD社での企画会議で検討されましたが、意図的に飛躍させたこともあって、試案の検討はいつの間にか「都市博」そのものが「本当にやれるのか」という話題に移行していました。
こうして私が広げた大風呂敷の試案も深く検討されないうちに年が変わり、翌1993年に入ってからは「都市博」打ち合わせの連絡すら途絶えてしまいました。
私はフリーの立場での参画でしたから最後に知ることになったようですが、高まる「都市博」中止の世論の中で、都知事選の結果を見るまではストップという状態になったと思われます。
●東京都広報 1994.8.1
●青島新都知事はバブルの救世主ではなかった
やがて迎えた1995年4月の都知事選では、「都市博中止」を公約に掲げた青島幸男氏が都民の圧倒的な支持を受けて当選します。バブル崩壊の実感は国民全体に広がっていましたが、都民の多くは青島氏を救世主のように見ていたようです。
その中で都議会は、すでに進行している「都市博」の中止は多大な損失を生むとの見解が多く、100対23の圧倒的多数で開催続行を可決します。しかし結果的に青島都知事が立候補時の公約を果たすために都市博中止を決断。都議会決議を向こうに回して、いかに公約のためとはいえ、その決定には孤立無援で大変苦慮されたことでしょうが、いずれにしてもこうして「都市博」は瓦解してしまうのです。
●「都市博」中止直後のお台場 1995.11
青島都知事の裁量にはいろいろな見方がある訳ですが、中止によって仕掛かり中の作業に支払われた金額は610億円。開催された場合の予算額を200億円以上下回ったということです。けれどもそれは全額、用を成さずに無駄に消えたことに変わりはありません。
「都市博」中止の影響で、多くの企業がビッグバン状態のバブル崩壊の渦に飲み込まれていきました。フリーでやってきた私などひとたまりもなく、以後今日まで迷界(冥界)をさ迷い続けることになるのです。
「都市博」もまた、バブルと消えた。
1995年。鈴木都政から青島都政への移行の中で
思い出のジョブ⑥ 「東京フロンティア・都市博」-2
●「都市博」イメージと会場予定エリアの拡大図(下図のオレンジラインの範囲)
■前回からの続きです。
●プロジェクト全員が、ひとつのイメージでつながるために
1992年8月、東京都港湾局の視察船で「都市博(正式名称/世界都市博覧会)」会場予定地の視察を終えた直後から、再び広告代理店D社担当セクションとパートナーである私たちとの間で、実施プラン策定に向けての企画会議が夏休みも返上して続きました。
●動画 「都市博」会場視察 1992.8.7 http://eyevio.jp/movie/363533
大方の都庁職員が夏休み中に何とか企画のフレームを作り上げたい。そのためには関係者全員が会場の共通イメージを描けるひな形がなんとしても必要でした。そこでかねてから自分が考えている都市博イメージをたたき台として提案することにしました。
●構想中の自分用アイディアフラッシュ。模造紙を壁に張り、アイディアを書き込ん
でいく。構想がまとまるとワープロで清書して企画書の体裁にレイアウトする。
最初の構想は予算や可能性などにとらわれずに大きい程いいのです。それは刷り合わせていくうちに落ち着くべきレベルに落ち着くはずだからです。
私が描いていたイメージは、あと数年で迎える<21世紀先取り体験ゾーンとしての都市博>でした。つまり「都市博」会場全体を近未来の都市生活シミュレーションの場として展開するというものです。分かりやすく言えば、お台場、青海のウォーターフロントに、都が考え推進している近未来の東京の姿を民間企業と共同で具体的に提示して見せる、いわば原寸大の都市生活のショーケースです。
そうすれば、東京都側から与件として提示されている建設中の「テレコムセンター」や「お台場ウォーターフロント」は情報拠点、レジャー基地としてそのまま「都市博」の中に取り込むことができますし、既設のゴミ処理施設「クリーンセンター」も「都市博」関連施設と位置づけることができます。こうして、「都市博」関連の交通、情報、エネルギー、廃棄物処理、資源リサイクルまでのインフラを包含した<東京近未来独立特区>というコンセプトが生まれました。
●「テレコムセンター」 ●「クリーンセンター」
●実験都市で21世紀の都市生活を
私の試案の第一の特徴は、大学生の起用です。<東京近未来独立特区>は東京都と企業、それに大学を加えた官・産・学のコラボレーションで運営に当たります。「都市博」の会期予定は1996年3月24日から10月13日までの204日間で、春休み、夏休みを含むことから、次の東京を担う大学生の参加シーンを多く設定しました。
「都市博」会場は言わば独立国ですからその象徴としての首長が必要です。都内の大学の協賛を仰いで、まずは大学生を対象に「都市博市長(仮称)」の立候補受付を行います。同時に、社会人と大学生を対象に男女のアテンダントを募集します。
当然都市博市長は「都市博」開催以前に選挙で決める必要があり、各大学における選挙運動自体をマスコミと連動させ、話題づくりのプレ・キャンペーンに仕立て上げます。
また、アルバイトを数歩進めた実際的な社会活動の場として大学生による「博覧会運営スタッフ」を編成。所属学部によって情報、エネルギー、エコロジーを始めイベント運営、流通・販売、救急・介護などの部署に配置して、実習の場として機能させます。
会期中は当然、プロによるステージショーやコンサート、路上パフォーマンス、港湾部におけるウォーターショーやファイアーワーク、東京湾クルーズ連動イベントなど、連日楽しいプログラムが展開することになりますが、大学関係では学園祭、音楽祭、演劇祭などの学校行事や学園生活の一部を「都市博」会場のステージや広場、緑地などを使って行えるプログラムを用意して、若々しい躍動感で会期中の賑わいを作り出すように考えました。
●以上は「都市博」のイメージイラスト 実施企画以前の構想の段階で描かれたもの
試案の第二の特徴は企業参加のかたちです。従来型のパビリオン出展はもとより、ここでは企業秘密は無理として、各企業が開発中のもの、試作したものを実物で出展してもらい、来場者に体験してもらうライブ・ショールームです。
例えば交通関係ではすでに決定している「ゆりかもめ」のように、最先端ハイブリッドカー、エコカー、電気自動車による会場内トランスポート。車の追突・衝突事故を避ける自動制御システムの体験試乗。住宅関係では情報化時代の先進オフィスとして、エレクトリックコテージ(サテライトオフィス)に滞在しての実際業務体験。太陽光発電とオール電化住宅での家族ぐるみ体験宿泊。東京湾海洋レジャーコテージの家族ぐるみ体験宿泊などなど。
●当時、各企業が開発中のいろいろな技術ニュース。都市博ではこれらを参考にして
現実性の高い実験都市の構想を描き上げた。
これらはあくまでも1992年に立案したもので、インターネット以前の時代の企画です。すでに一部は実現したものもあります。「都市博」ではまさに、今日の都市生活を先取りする場として構想したのでした。
◎その他、運営に関して
・警視庁協賛で、本物の「都市博交番」を設置。
・「会場シンボル」および会場エネルギーの一助として、風力発電のプロペラを数機設置
・会場施設に太陽光発電を設置 レストラン等のエネルギーを補う。
・エントランスゾーンに、サテライト形式の「案内・情報センター」を設置。
・「都市博通貨」を兼ねたIDカードによる入場料、宿泊費、購買費などの清算。または会場だけで通用する通貨の発行。
・会場内で回収したドリンク用アルミ缶のリサイクルプロセスを見せながら「来場記念メタル」をその場で作ってプレゼント……など。
●204日間の長期を埋めるイベント施策も抜かりなく
「都市博」は春に始まり秋に収束する長期イベントです。その間動員を保つためにいろいろな話題提供や集客動員策を講じなければなりません。オープン時や季節の節目に行うスペシャルイベントや「海外都市フォーラム」といったアカデミックなイベント。あるいは、海外参加都市祝祭デーと銘打った華やかなステージイベントなど。
また、会期中を通して毎日行うイベントとしては、陸海空の3つの「都市探検コース」を設定しました。
「陸の探検コース」の目玉は「テレコムセンタービル探検」と「共同溝/地下インフラ探検」。
「海の探検コース」では「東京湾水中観察」と「東京湾岸発見クルーズ」。
「空の探検コース」では係留熱気球による「都市博会場と東京湾 鳥の眼観察」です。場合によっては「ヘリコプター基地」からの東京遊覧飛行や「スカイスポーツ」の実施も。
●腱鞘炎のため、文字はメタメタ。覚え書だから自分が読めればそれでいい。
下は提出した会期中のイベントスケジュール案
●消滅の前に、いつの間にかストップしていた「都市博」
このようにこの構想では、参加型・体験型・滞在型プログラムを多数用意しています。
この試案はD社での企画会議で検討されましたが、意図的に飛躍させたこともあって、試案の検討はいつの間にか「都市博」そのものが「本当にやれるのか」という話題に移行していました。
こうして私が広げた大風呂敷の試案も深く検討されないうちに年が変わり、翌1993年に入ってからは「都市博」打ち合わせの連絡すら途絶えてしまいました。
私はフリーの立場での参画でしたから最後に知ることになったようですが、高まる「都市博」中止の世論の中で、都知事選の結果を見るまではストップという状態になったと思われます。
●東京都広報 1994.8.1
●青島新都知事はバブルの救世主ではなかった
やがて迎えた1995年4月の都知事選では、「都市博中止」を公約に掲げた青島幸男氏が都民の圧倒的な支持を受けて当選します。バブル崩壊の実感は国民全体に広がっていましたが、都民の多くは青島氏を救世主のように見ていたようです。
その中で都議会は、すでに進行している「都市博」の中止は多大な損失を生むとの見解が多く、100対23の圧倒的多数で開催続行を可決します。しかし結果的に青島都知事が立候補時の公約を果たすために都市博中止を決断。都議会決議を向こうに回して、いかに公約のためとはいえ、その決定には孤立無援で大変苦慮されたことでしょうが、いずれにしてもこうして「都市博」は瓦解してしまうのです。
●「都市博」中止直後のお台場 1995.11
青島都知事の裁量にはいろいろな見方がある訳ですが、中止によって仕掛かり中の作業に支払われた金額は610億円。開催された場合の予算額を200億円以上下回ったということです。けれどもそれは全額、用を成さずに無駄に消えたことに変わりはありません。
「都市博」中止の影響で、多くの企業がビッグバン状態のバブル崩壊の渦に飲み込まれていきました。フリーでやってきた私などひとたまりもなく、以後今日まで迷界(冥界)をさ迷い続けることになるのです。
貴重な資料 興味深く拝見いたしました。
by kurakichi (2010-06-06 06:24)
おはようございます。
事業の見直しって、本当に大変なんですね。
今の事業仕分けは、本質をきちんと思慮した上での
見直しなんでしょうかねぇ。
3兆ひねり出す、なんて大言壮語していたけど。
by hayama55 (2010-06-06 06:55)
そういえば都市博ってありましたね。
この気にも留めてなかったです(汗)
by くまら (2010-06-06 10:06)
こんにちは。 なんだかスゴいお話でした。
最先端の事業に関わっていらしたんですね・・・
by yakko (2010-06-06 11:32)
そういう結果やったんですね....記憶に残らないハズです。
たくさんの企業や、そこに関わってきた方々のことまでは、
ニュースのこちら側には伝わってきません。
多分...新しい都知事が、無駄遣いにストップをかけた!
そのくらいのイメージでしかなかったでしょう。
sigさんの仕事まで、泡にされてしまったのですね?
by みかっち (2010-06-06 14:46)
こんにちは・・・ご無沙汰していました。
過去記事押し逃げご免なさい。
by あら!みてたのね (2010-06-06 16:00)
なるほどなあ
人の生活を左右する
難しい問題でもあったのですね。
by 八犬伝 (2010-06-06 16:55)
素直に、中止後のsigさんのその後を読みたいと思いました。
by thisisajin (2010-06-06 17:06)
先進的なプロジェクトが消滅、ご努力とご苦労に対し、言葉がありません。
by SilverMac (2010-06-06 17:38)
xml_xslさん
ブラザーボブかきもとさん
m6324さん
SORIさん
よーじっくさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 20:59)
kurakichiさん、こんばんは。
お恥ずかしい。これまでの成り行きで、こんなものまで。
15年以上も手元に置いておいたのですから、思い入れはあるようです。笑
by sig (2010-06-06 21:02)
c_yuhkiさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:03)
hayama55さん、こんばんは。
事業の見直しは躊躇していたら何も出来ないでしょうね。
切り捨てたらどうなるかなどと考えていたら、なにも進まないでしょう。
この都市博のように、敢然と切り捨てるべきでしょうね。切り捨てられた側の人間がこういうのはおかしいでしょうか。笑
by sig (2010-06-06 21:07)
kaika-tさん
KIHA283さん
kjislandさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:10)
bee-15さん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:11)
dorobouhigeさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:12)
くまらさん、こんばんは。
これは東京都のイベントですから、他のエリアではあまり話題にならなかったと思います。
by sig (2010-06-06 21:14)
takemoviesさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:14)
yakkoさん、こんばんは。
広告の世界の企画という仕事は夢を追っているようなものです。たとえひとつのイベントが終えたとしても、建設業のように確たる形で残ることもないのです。懇意にしている校長先生から「よく生活できるね」なんて言われました。私はフリーですし、霞を食って生きているように思われたらしいです。堅実な職業から見たら、そんな風に見えるのでしょう。笑
いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:25)
めぇさん
えーちゃんaaaさん
キナコさん
りぼんさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:27)
みかっちさん、こんばんは。
東京のことは大阪ではそういった感じで当たり前だと思います。
その通り、青島さんが無駄遣いを切り捨てたのでした。大英断でした。
後のことをあれこれ考えたら何もできませんから、正解だったのではないでしょうか。ただ、バブル崩壊は時代の流れであって、都市博を中止したからといってどうだったのか、という気持ちはありますね。青島さんもお亡くなりになったし、今となっては笑い話ですけど。
by sig (2010-06-06 21:34)
okin-02さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:35)
あら!みてたのねさん、こんばんは。
たくさんのnice、ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:36)
花火師さん
レオぱぱさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:37)
八犬伝さん、こんばんは。
江戸の昔も21世紀の今日でも、政治の陰で泣く人、笑う人、全く変わりはありませんね。笑
by sig (2010-06-06 21:38)
thisisajinさん、こんばんは。
私はフリーの立場ですから、極端な影響を受けたわけではありませんが、仕事は減りました。その時間は自然に地域活動に向けられました。仕事でやってきたことを地域で生かせないかというわけで、企画や映像に関してボランティアで動くようになりました。その辺のことは「キャラメル・エッセー」カテゴリーの後半で書きました。
by sig (2010-06-06 21:45)
SilverMacさん、こんばんは。
優しいお言葉、ありがとうございます。バブル崩壊では多かれ少なかれ、みんないろいろな面で影響を受けているでしょう。ここでは自分史の一端として書いたまでですが、もちろん中止は残念でした。中止したらバブル崩壊が止まったというのであればいいんですけれどね。笑
by sig (2010-06-06 21:50)
fuzzyさん
flutistさん
タケルさん
モカさん
アヨアン・イゴカーさん
yannさん
furukabaさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-06 21:52)
こんばんは、
資料を現在まで保管されているということに、
sigさんの当時の思い入れを伺い知ることができました。
お気の毒です。
by corrado (2010-06-06 23:54)
disneyworldさん
soneさん
ChinchikoPapaさん
ほりけんさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-07 00:31)
corradoさん、こんばんは。
ありがとうございます。
企画という仕事は紙っぺらしか残らないのですよ。イベントなんかは特に、終わったら現場には何も残さないんですから。ただ、都市博の場合は違って、残して実際に都市機能として生かす予定でしたけれど。
企画書は保管に場所をとらないだけが取り柄なんです。笑 これが建設関係なんかだと、あれは俺が建てた橋だよ、とか言えるんですけどね。
by sig (2010-06-07 00:39)
大きなプロジェクトが動くと
大勢の人に影響がでますね。
地上げって言葉は久し振りに聞きましたが
ほんとあの頃はドラマでもガラの悪い地上げ屋がでてきてましたよね。
中止によって大損害になる話は最近のダム建設中止と似てます。
by 響 (2010-06-07 02:17)
都市博は大いに期待していました。その企画段階で、参加されていたことは素晴らしい体験だったと思います。残念ながら青島都政で没になったことは私も残念でした。しかしこのようなプロジェクトに参加されたことは誰にでも出来ることではなく、人生の一ページとして刻み込まれた事柄として羨ましい限りです。
by カメキチ (2010-06-07 10:22)
mid24さん、はじめまして。こんにちは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-07 10:59)
響さん、こんにちは。
当時の新宿西方の地上げは過激でしたよ。新宿に限ったことではありませんでしたが。
「中止」というのは、地方でも国会でも、政権交代の場合の最高のアピールポイントですね。ダムも全くその通りですね。
by sig (2010-06-07 11:04)
カメキチさん、こんにちは。
「都市博」の企画に参加する以上は実施以外に考えられませんから、がんばりましたね。
どっちにしても企画というのは、残るのは企画書だけなんですよ。捨てずに置いたのはやはり思い入れがあったからでしょうね。
by sig (2010-06-07 11:07)
これ程までに大きい話ではないですが…
新製品の試作が終了して、発売の発表が秒読みになっていたときに
突然の企画中止ということを経験しました。
あの事はなかなか忘れられないです。
by うに (2010-06-07 12:40)
うにさん、こんにちは。
それはまた残念でしたね。中止を決断するほうも大変なことでしょうが、
ゴール間際でのストップは辛かったでしょうね。バブル以前はそんなことは無かったと思います。
by sig (2010-06-07 14:06)
こんなに具体的に進んでいたのですね。100対23とは
苦渋ですね、青島もこれだけが実績でしたね。
よかったんだか悪かったんだか今以て分かりません。
by OMOOMO (2010-06-07 17:59)
ばんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-07 18:13)
OMOOMOさん、こんにちは。
100対23で実施が決まったのに、鶴の一声でひっくり返せる都知事とは、すごいものですね。新しく組閣される大臣はもっとすごくて、首相はそれ以上にすごいんでしょうね。
by sig (2010-06-07 18:16)
shinさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-07 20:26)
小林さん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-07 20:27)
この場所は!
今ではテレビ局を中心としたイベントが頻繁に行われていて賑やかですが中止直後の用地は寂しそうでしたよね(^_^)
by tomickey (2010-06-07 20:59)
今晩は!
まるで、政権交代によるマニュフェスト実現の為に行われた民主党の
パフォーマンスのプロセスを裏側から見せて頂くような顛末の推移です。
全ての事柄が参画した人々の心を満足させる結果に
なるかどうかは難しいようですね。
その後のご活躍も是非拝聴したいものです。
また訪問させていただきます。
by 文旦 (2010-06-07 22:03)
すでにエコテクノロジーも考慮に、やってみるだけの価値はあったでしょうね!
財源などの問題で納税者にNoと判断された、と言うよりそう言う風潮を煽り立てたのはマスコミだったような・・・
国政の問題もそうですが、マスコミのその場だけの批判行為、もうぼちぼち止めてもらいたい気がするのですが。
by 路渡カッパ (2010-06-07 23:31)
tomickeyさん、こんばんは。
お台場は初めからテレビ局などが決まっていましたが、その他の青海地区は、予定していた企業がやめてしまったり、都市博中止後もなかなか形が見えませんでしたね。
都市博で広大な埋立地にコースを作ってフェラーリ・フェスティバル、やりたかったですね。
by sig (2010-06-08 00:49)
ごんちゃんさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 00:50)
文旦さん、こんばんは。
マニフェストのことは、たまたま時期が重なってしまいました。笑
このあとはもう、活躍の場はありません。老兵は消え去るのみ、です。笑
コメント、ありがとうございました。
by sig (2010-06-08 00:55)
いっぷくさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 00:55)
路渡カッパさん、こんばんは。
私自身、21世紀を迎えることにとても大きな期待がありましたし、意気消沈ムードを多少でも高めるために、夢のあるものを実現したかったですね。
マスコミは民衆扇動の張本人ですね。そしてきわめて無責任。味方につけたら強いでしょうが、すぐに手の平を反されてしまうことには気をつけなくちゃね。いつもコメント、ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 01:01)
漢さん
abikaさん
うつマモルさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 18:02)
にゃんぷさん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 23:06)
月夜さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-08 23:07)
あんれにさん
キクさん
釣られクマさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-09 15:46)
siroyagi2さん、はじめまして。こんにちは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-09 15:47)
横浜博には行きましたが、この都市博のことは知りませんでした。
sigさん随分熱心にされていたのに、残念でしたね。
by Esther (2010-06-09 16:28)
sanaさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-09 19:15)
Estherさん、こんばんは。
そうでしょうね。この博覧会は消滅しちゃったものですから。
ただ、自分としてはいろいろな夢を織り込んだものだったので、忘れられないものなんです。
by sig (2010-06-09 19:17)
ぼんぼちぼちぼちさん
Nyandamuさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-10 14:59)
kontentenさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-11 17:38)
Greenさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-12 23:09)
NO14Ruggermanさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-13 08:53)
今、現在も迷い続けていらっしゃるのですね…
by hi−ragi (2010-06-13 15:53)
hi-ragiさん、こんにちは。
ははは・・・。不惑とは40歳を言うそうですが、50才頃のバブル崩壊ですから、やっぱりそれ以後も、とても不惑とは言えませんね。
by sig (2010-06-13 17:16)
Ja-Kou66さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-14 09:56)
最初の構想から落ち着くところに落ち着くあたりが
すごいと思ってしまいます。
私の場合、風呂敷を広げると完全にたためなくなります><
by gyaro (2010-06-15 22:41)
gyaroさん、こんばんは。
企画は計算だと思いますから、頭に浮かんだアイディア項目をどう仕分けし、つなぎ合わせて組み立てるか、というところがありますね。
言ってみればパズルのようなもので、うまくはまると気持ちいいですね。
by sig (2010-06-16 00:35)
4geさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-06-19 09:42)