「少年倶楽部」から「少年クラブ」へ [昭和ガラクタ箱]
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「少年倶楽部」から「少年クラブ」へ
ところが家では、私が「活動(かつどう)」と発音すると、ひと回り以上年上の予科練帰りの長兄は、「かつどうだって。気取って」と茶化したものです。長兄に言わせれば、「くゎつどう」という発音以外は耳障りだったのでしょう。また、田舎なのにどこか都会っぽい感じがするこの発音に違和感を感じたのかもしれません。「映画」も「えいが」ではなくて「えいぐゎ」なのでした。
今、手元にある古書の「少年倶楽部」を紐解いてみると、兄たちが愛読した<血沸き肉躍る冒険譚>や時代活劇、明智小五郎と金田一耕助に代表される探偵小説などでは、その表現が大時代なことに驚かされます。例えば、山中峯太郎の熱血小説「敵中横断(わうだん)三百里」の語り口は「絶大の武勲も此処に空しく埋もれて、遂に五勇士は…」と講談調で大変調子のいいもので、こうした口調が一段と少年たちの血をたぎらせたのでしょう。
一方の「幼年倶楽部」「少女倶楽部」では、「クラブ」に変わってからも「おとうさま、おかあさま」「おっしゃいました」「なさいました」という言葉づかいや、「おいでなさい」「お入りなさい」「ご覧なさい」というように、とても丁寧な言い回しで書かれています。これはこどもが親に対する話し方であり、親がこどもに接する際の話し方です。そのお手本として書かれているのでしょうが、当時は親子間や学校でも日常的に、「目上を敬う」「弱いものをいたわる」「相手を思いやる」という感情がしっかり息づいていたと思います。こうした社会認識の元に、父親からも母親からも本当に慈しまれて育てられてきたことに熱い郷愁を覚えます。「目上・目下」とか「男の子は男らしく、女の子は女らしく」などという言い方はとっくの昔に死語になり、今では差別用語だそうです。いやはや。では「父親の役割は? 母親の役割は?」。は?、平等ですか。でも平等って、果たして真っ二つに割るってことだけでいいのかな。
「少年倶楽部」連載、山中峯太郎「敵中横断三百里」完結 1930年(S5)9月号
おはようございます。
回し読みをした時代を懐かしく思います。
by furukaba (2008-01-29 07:10)
ほんとに当時は月刊誌を毎月買ってもらえなかったですからね。
一カ月おきとか、新年号の後は4月号までおあづけとか。年間契約している人はほとんどなかったですね。
by sig (2008-01-30 20:21)