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「食」満ちて、野に山に、元気百倍。 [あんなこと、こんなこと]

あんなこと、こんなこと

「食」満ちて、野に山に、元気百倍。
5.小学生の頃 1948~1953(S23-28)-② 

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●娯楽はラジオと蓄音機

  小学校に入るとラジオの楽しさが分かるようになり、「二十の扉」というクイズや「とんち教室」「話の泉」など、今で言うバラエティ番組を家族といっしょに聞くようになりました。ダイヤルに触れるとガリガリとノイズが入るようなラジオでしたが、結構家族団らんの中心的役割を果たしていました。音楽を聞きたい時は蓄音機です。さすがにラッパ式ではありませんでしたが、ハンドルでスプリングを巻く動力方式は変わらず、針も竹製のものがありました。レコードは78回転の大盤です。それも父が好きだった広沢虎三や三門博といった浪曲ばかりで、唯一子供が楽しめたのは、「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」などの昔話を歌にした童謡でした。兄たちが買ってもらった同名の講談社の絵本を開きながら、それこそ溝が擦り切れるまで聞いたものでした。この蓄音機もまもなく調子が悪くなると、新しく登場した「電蓄(電気蓄音機)」に変えられました。 

●楽しみだったサーカスと相撲の巡業

 当時は教室での授業はどの先生も優しく、民主的で穏便でしたが、それをカバーするかのように、大抵どこの家庭もスパルタ教育で厳しく子供をしつけていたと思います。私は学校ではいい子、うちに帰るとまったく言うことを聞かない悪い子でした。この悪い子は中学生になってから更に悪くなるのですが、それはまだ先のこと。父はとても怖いのでできるだけ避けていましたが、その父も、田植えが済むとやってくる「木下大サーカス」や相撲の巡業に連れて行ってくれました。木下サーカスはトラやライオンが演技したり、地球儀の中をバイクが走り回る荒業を当時からやっていて度肝を抜かれた記憶があります。また、3年生の時(1950年)には長岡で開催された「新潟県産業復興博覧会」にも連れて行ってくれました。少し教育的なものを、という積りだったのでしょうが、興味を引かれたものはあまりありませんでした。広い街区がそのまま会場に仕立てられ、会社や学校など既成の建物がいわばパビリオンとして使われていましたが、地面は土のままでした。 

●遠足のお昼は茶碗4杯分

 春は学校から近いところへ写生遠足。秋にはかなり遠くまでの遠足がありました。お弁当は母の手作りおにぎりですが、特徴はその作り方です。まず茶碗に平らにご飯をよそい、真ん中に大きな梅干を乗せ、その上にもう1杯分のご飯をてんこ盛りにして、塩をまぶした両手で回しながら固めます。それをまな板の上にあけ、海苔1枚をそのまま使って包んで出来上がり。つまり、おにぎり1個は大人用茶碗で2杯分のボリュウム。それを2個持って出かけるのです。お昼は、道の脇にアサヅキやノビルが生えているところを選んで座ります。それがおにぎりのおかず。別に用意してきた味噌や塩をつけて食べるのです。それは飢餓からではなく、野趣を楽しむということで、この頃はもうご飯を腹いっぱい食べられる時代になっていたのです。 

●蛍の光、窓の雪

 家から1分も歩けば田んぼでしたから、蛍が出る時期になると毎日のようにホタル取りに行きました。口に含んだ水をプッと吹きかけたほたる草をサイダーのビンに入れて持っていきます。街灯などは無く真っ暗なので、田んぼ脇の小川で飛び交うホタルの点滅がとてもくっきりとしてきれいです。それをうちわで追って捕まえ、ビンに入れます。取ってきたホタルを蚊帳の中に放すとそれは幻想的で、蒸し暑さを忘れていつしか眠りについているのでした。「蛍の光、窓の雪」という歌詞を試してみようと、実際に本のそばにホタルを近づけてみたり、冬の夜、窓際の雪明りに本をかざしてみたことがあります。何匹ものホタルを使うと、交代で光り続けるのではっきり本が読めましたし、雪明りでも目が慣れれば読むことができました。 

●紅いちょうちんを下げてお墓参り

 お盆は旧盆で8月です。お盆には家の前庭から県道に出る小道の上に縄を張り、兄姉たちが描いた絵を張った四角い短冊形の提灯を下げます。すぐ上の兄がある人の似顔絵を書きました。その下に「ONE MAN」と描いたのを「オネマンって何?」と聞いたら「ワンマンと読むんだよ」と教えてくれました。ワンマンとは時の首相・吉田茂のことです。ローマ字読みをしたのですから4年生の時でしょう。当時は4年生からローマ字を教わったのでした。夕食が済むと家族みんなでお墓参りです。浴衣姿で、子供たちは小さい盆提灯を下げて行きます。提灯の上はぼかしをかけたピンクで、下にはハギの絵が描かれています。県道はお墓参りの人たちが行き交い、賑わいます。提灯の明かりでほんのりと照らされた足元は小砂利の道。乾いた下駄の音。そんなお墓参りの趣が大好きでした。アスファルト舗装も無く自家用車も無い時代のことです。 

●夏休みは神社の境内で「朝学習」

 夏休みには学区単位で1年生から6年生までがいっしょに集まる「朝学習」がありました。場所は最寄りの神社の境内です。朝8時に集合して点呼のあと、てんでに境内のきざはしや石垣に腰掛けて「夏休み学習帳」を広げます。国語・算数・理科などで、それぞれ1日1ページの予定でしたが、みんな分かるところはどんどん進めていました。早く宿題を終わらせて出来るだけたくさん遊びたかったからです。 学習が終わると6年生のリーダーの掛け声で、陣取り合戦や戦争ごっこが始まります。社の周りや広い境内が合戦場です。追いかけっこや取っ組み合いは自然に同年齢同士となり、高学年生が全体の動きを上手にコントロールしていたようです。そのままお昼まで境内で遊んでいることもありましたが、時には村はずれの川に泳ぎに行くこともありました。川は田の用水路で子供の背がやっと立つほど深く、水は赤茶色、水中で目を開けると何も見えませんでした。一度頭の真上を大きなヘビが泳いで通り過ぎました。びっくりして顔を上げましたが、ヘビが通った川下は気持ち悪くて、早々に川から上がりました。 

●「稲刈り休み」のメインイベントはイナゴとり

 この当時、小学生と中学生には春休みと夏休みの他に、6月には「田植え休み」、10月には「稲刈り休み」というものがありました。それぞれ1週間程度。農繁期で多忙な家の手助けをするための休みですが、その分、春休みと夏休みの期間は短縮されていたようです。 小学生にとっての「稲刈り休み」は、イナゴを捕まえて学校へ持っていくことが義務付けられていました。10センチほどの長さの竹筒に手ぬぐいでこしらえた袋をゆわえつけたものを持って、早朝、イナゴの動きが鈍いうちに田んぼへ出かけます。たわわに実った稲穂にはイナゴが鈴なりで、行く手をバサバサと遮ります。繁殖期ですから大抵はつがいで、いっぺんに2匹ずつとることが出来、袋はたちまちいっぱいに。それを学校に持参したあと、朝食を済ませて、稲刈りに出かける家人の手伝いです。遊びから家に帰れば、ざるにイナゴが山のように積んでありましたから、よくおやつに食べました。鍋で炒ったものはカリカリ。茹でたものは多少グジュグジュ。とくにうまいと思って食べた訳ではありませんが、さつまいもとイナゴは秋のおやつの定番でした。学校で集めたイナゴは製薬会社などに売られて、今で言う健康食品などに加工されていたのではないでしょうか。 

●大晦日は眠らずに

  小学生にとって何が楽しみと言えば、お正月を待つほど楽しいことはありません。暮れも押し迫った頃の夕方、こたつでラジオを聞きながらうたた寝をしていると、お勝手で餅をつく音が響いてきます。そのうち、もうもうとした湯気も立ち込めてきて、起きだすと、父が炊き上がったばかりのおこわを食べさせてくれます。父と兄が交代で餅をつき、母が反します。お勝手には大きな「塩引き(塩ザケ)」がぶら下がっています。大晦日の夜の食膳は、焼いた餅やらきなこ餅、具だくさんの雑煮と「のっぺい汁」、自家製の納豆、漬け菜(野沢菜の粕漬け)、更には大きな器に山のように盛られたカズノコなどなど、食べ放題。たらふく食べたあとは、兄に「今夜眠ると正月は来ないぞ」といわれたことを真に受けて、眠い目をこすりながらがんばって徹夜した年もありました。


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●今ではイナゴも高級品。多分養殖で、あまり大きくならないうちに加工するのでしょう。昔は小型のバッタ位のものまで食べていました。ハチのさなぎも油が乗っていて、とてもうまかったです。

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kontenten

田舎の珍味?と云えば・・・蜂の子とイナゴですよね(w)
私は、子供の頃からイナゴは大丈夫でした。
また、ノビルもよく母が近所の土手から穫ってきました。
ただ、蜂の子だけは・・・今でも駄目ですね(汗)

by kontenten (2008-03-04 18:11) 

カメキチ

子供のころを本当によく思い出させてくださり感激しています。サーカスには怖い思い出があります。吉祥寺にあるサーカス団が大きなテントを張ってやってきました。同級生の榎本君とサーカス小屋の裏手に入り込みトラの檻に近ずきました。その時彼がトラにちょっかいを出したのです。トラの機嫌が悪かったのかいきなり彼の顔を引っかき彼は大怪我をし、翌日の新聞に大きく報道されたことがありました。サーカスは楽しくもあり、怖い思い出ででもあります。
by カメキチ (2008-03-05 10:25) 

八犬伝

イナゴそうです、確かに昔は今より大きなのを食べていましたね。
好きなんですよ、とても(^^)v
by 八犬伝 (2008-03-13 22:57) 

sig

kontentenさん、コメントありがとうございました。
ようやく返事の入力がokになったようです。
イナゴもノビルもおいしかったですよね。ハチの子も特にさなぎは油っぽくて、うまかったです。
実は去年の夏、家の庭に足長バチが巣を作り、庭仕事の邪魔ということで取り払ったのですが、中にサナギがびっしり。どうしたかお分かりですよね。ところが、そのまずかったこと。きっとハチが、いや、バチが当たったんでしょうね。
by sig (2008-03-14 15:40) 

sig

カメキチさん、やっとお返事が書けるようになりました。コメントありがとうございました。サーカスは楽しいだけかと思っていましたが、そういう怖い体験があると二の足を踏んでしまいますね。
「三つ子の魂・百まで」といいますが、良くも悪くも子供の頃の体験をずーっと引き継いで成長していくんでしょうね。

by sig (2008-03-14 15:46) 

sig

八犬伝さん、コメントありがとうございました。
お里も年齢も知れてしまいましたね。いろいろな問題が起こったりしなければ、何も匿名でブログを書く必要はないのですよね。
ところで写真のイナゴは埼玉のお店から取り寄せたのですが、小型で口当たりが良く、とてもおいしかったです。


by sig (2008-03-14 15:51) 

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