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手作り紙フィルムに明け暮れた少年時代 [「動画」の自分史]

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●おもちゃの35ミリフィルム(左手)と、手作り16ミリ紙フィルム(手前から右手)

手作り紙フィルムに明け暮れた少年時代

 おもちゃの16ミリ映写機が欲しい。欲しくてたまらない。けれども買ってもらえない。
おこづかいもない。それならばせめて動く写真の秘密の一つであるフィルムだけでも、と小学高学年から中学生時代、私の映画に対する興味は異常なほどにフィルムに向けられていきました。

 とはいっても、本物のフィルムは簡単に手に入りません。それなら自分で作ろう、ということで、紙テープを探してそれに万年筆で絵を書き込むことにしました。その絵を動かすためには、一コマごとに少しずつ動きを違えて書いていけばいいことは、教科書の隅に書いたパラパラ漫画で実証済みです。問題は細いテープですが、和服の縫製にちょうど16ミリ幅ほどの薄茶の紙を使うようで、母からもらってそのテープに等間隔に横線を引き、ひとコマごとに絵を書き込み、16ミリフィルムらしきものを何本も作りました。


  では、その手書きフィルムは動くのか。これが立派に動くのです。画が動くのは残像現象によるものですから、ひとコマずつ瞬間的に止めて見ればいい訳です。つまり、テープフィルムを一コマ分だけ引き上げる感覚を掴んで、一定のスピードでそれを繰り返すのです
。これには若干の訓練が必要ですが、慣れると自分の書いた絵がちゃんと動いて見えました(動画参照)。そのうち16ミリ幅では大した絵がかけないので、薄手の画用紙を35ミリ幅に裁断してつないだ35ミリ紙フィルムも何本か作りました。

「機関車の衝突」無音)

 この当時「少年クラブ」に連載されていた手塚治虫の「ロック冒険記 1952(S27)」の画風が大好きで、物語は自分で考え、そのキャラクターに動いてもらいました。
ちなみに、手塚治虫の「鉄腕アトム」が始まったのは1951(S26)年で、当時私は小学4年生。アトムは私が読んでいた「少年クラブ」のライバル誌「少年」に連載されていたため、私にはなじみがありませんでしたが、1952(S27)年、1年遅れで少年クラブは手塚治虫を「ロック冒険記」で登場させたのでした。

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●手塚治虫「ロック冒険記」1952(S27)ロック少年がとにかくカッコ良かった。
 
下部には子持ちのヒョータンツギ。
 初め名前が分からなくて、勝手にブタトン草と呼んでいました。


  このように、休日は朝から晩まで紙フィルム作りに明け暮れていましたが、そんな私を兄たちは「フィルム気違い」と呼んでいました。「気違い」という言葉も差別用語ですが、私のことを言ったものですから構わないでしょう。今風に言えば「フィルム狂」「フィルムフリーク」と言うほどの意味合いでしかありません。


 とにかく、自分で書いた紙フィルムの絵が動いて見えたものですから、手元にある本物のフィルムの切れ端も同様な手法でひとコマずつ引っ張って写真が動くことを楽しんだことは言うまでもありません。下の写真はそのための手動式超簡易動画装置?ですが、このマッチ箱の隅をコンパスの足で1コマずつ引っかいている様子を見たら、誰だって「フィルム狂」に見えたことでしょう(動画参照)。 


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●写真左上/超簡易ビューア マッチ箱の裏はくり抜いてあり、窓ガラスに当ててコンパスで1コマずつ引っかいて見るのです。
●写真右上と下/漫画映画のフィルム 両方とも「日の丸旗之助」のように見えますが、キャラクターはかなり違います。両方とも中国戦線を戯画化したもののよう。


●上の右のフィルムを手動で動かしてみます。
猟師が撃った鉄砲の弾が大砲の弾のように大きくなって旗之助に迫ります。旗之助はその弾につかまり、空へ飛んで行きます。

  少年時代にある、こうしたある種偏執狂的傾向は、現在ならゲーム機やケータイなどに向けられるのかもしれません。私たちの場合はそこにある完成品で遊ぶのではなく、鉱石ラジオにしても模型ヒコーキにしても、それを組み立てる過程で多くの失敗を重ねながら、創意工夫でよりよいものへと作り上げていくプロセスを経なければなりませんでした。それだけに、うまくできたときの達成感は大きいものでした。

★上記の紙フィルムについては後日談がありますが、お話しするのはまだまだ先のことになります。

「毎日が発見ネット」モノマニア / 株式会社リツメイ・コーポレーション
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sig

●石原さんから、このスペースにコメントの書き込みができないということで、メールを頂きました。下記に転載させて頂きます。
石原さんのコメントの内容に関するお話は「映画技術おもしろ発達史」の中で若干触れるつもりでおりましたが、紙フィルムを油に浸して透明感を出した試みは、映画史上、実際に考案されたことなのです。すばらしいです、石原さん。

面白いものを見せていただきました。マッチ箱の映画館、初めて見ました。
やはり映画狂ならではですね。私は映画ではありませんが、スライド(当時は幻灯)でした。この幻灯フィルムを友人たちと自作していました。それはパラフィン紙を35ミリ判フィルムの大きさに細長く切り、36ミリおきに線で区切り、その一こま一こまに万年筆で絵を描き、出来上がったものにミシン油のようなものを塗ります。するとやや透明感が出て、映写をすると絵がやや良く見えるようになるのです。それをやはり手作りの幻灯機で写すのです。夏の夜など近所の小どもたちを集めて映写会をやったものです。1947年頃の話です。
石原 恙逸

by sig (2008-05-13 11:18) 

いぬ

sigさん こんばんは
素晴らしいですね
素晴らしくするも しないのも自分次第なのは
わかっているのですが
僕は みんな中途半端なのです

by いぬ (2008-05-13 18:26) 

sig

いぬさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
中途半端で来たのは、むしろ私の方です。このブログでそのことがどんどん明かされると思います。
生き方(行き方)には「広く浅く」か「狭く深く」かの両方があると思うのですが、中途半端は悪いことではなく、物事を広く見ていくために止むを得ない姿勢ではないかと思います。私がそうですから。(笑)
by sig (2008-05-13 19:27) 

sig

sasukeさん、niceありがとうございます。
by sig (2008-05-13 22:33) 

TAKA

こんばんは
素晴らしいですね!ないなら自分で作る。物を創造するという
ことが、重要なことだと思います。
物がありふれた今の時代には考えられないことです。
形は違いますが、パラパラ漫画はよくノートの端に
書いていました。でも、sigさんのフィルムへの思いとは似ても
似つかぬ物ですし、たまたま面白いから描いていたくらいに
過ぎません。
by TAKA (2008-05-13 22:57) 

sig

TAKAさん、いつもご来館/コメントありがとうございます。
私はただフィルムの絵が動くことを確認したかっただけで、そのための機械を作ったわけではありませんから創造などと言えるものではありません。言えるとしたら、フィルムを書くための物語を考えたことだと思います。空想にはお金は掛かりませんからね。(笑)


by sig (2008-05-14 00:27) 

TAKA

こんばんは
チャット状態ですいません。
ものを考え、予想していた通りに動作したり、
思っていた通りなものができる。これが創造だと
思っています。sigさんは、パラパラ漫画で、絵が
動くことをご存じで、フィルムのように連続した絵を
送り続けることにより、パラパラ漫画と同じように
絵が動くことを証明されたこと。これが大事だと思います。

世の中を作った、研究者や科学者は、こんなものが
作りたい。もしかしたらこうすればできるのでは?
という、試行錯誤の繰り返しにより、便利な物が
生まれ、現在に至っています。
すべては、こんなものが欲しいとか、こうしたい、
ああしたい、もっとよくしたいという、フラストレーションの
解消こそが、想像であると思っています。
石原さんのお手紙にある、油で透明感を出すなどは、まさに
創造だと思います。

by TAKA (2008-05-14 00:58) 

corrado

sigさんの体験は素晴らしいですね。
北杜夫さんの『どくとるマンボウ青春期』を読んでいるようです。
私は子供の頃から飽食の時代だったので、
とても、新鮮に読ませて頂いています。
by corrado (2008-05-14 01:48) 

sig

TAKAさん、的を得たコメント、ありがとうございます。
実はTAKAさんのその前のコメントに対して次のように書き込んだのですが、削除したのです。それは、あとで記事にする積もりだったからです。
「あくまでも個人的見解ですが、生き方の方向性は、小・中学生の頃、何に興味を覚えたかが大きく影響するような気がします。私の場合、パラパラ漫画やフィルム遊びが映像分野へ向かう糸口になったということです。
また、物質的欲求を創意工夫で満たすことにはある程度訓練が必要だと思いますし、精神的飢餓感は自己実現への起爆剤だと思うので、ハングリー精神は大事なことだと思うのです。 ただ、現在はその環境が乏しいと思います」
TAKAさんのコメントは、私が言いたいことの核心を突いておりました。
by sig (2008-05-14 11:16) 

sig

corradoさん、こんにちは。
若い世代にそのように言っていただくと、とてもうれしいです。
これは「ブログによる自分史」の試みなのですが、小さい頃からの環境(時代、自然、家庭、学校、社会)や経験が人生にどのように影響したかを、一つの例として示して行きたいのです。
これからもよろしくお願いします。
by sig (2008-05-14 11:41) 

ChinchikoPapa

すごいです、すごすぎです! sigさんの映画フリークは、小学生時代からだったんですね。ひとコマひとコマ描いていくのには、けた外れの集中力と根気が必要だったと思います。もう、脱帽ですね。
わたしが小学生のころ、偏執狂的に熱中していたものに、ストーリーマンガ描きというのがありました。親父が不要な書類や図面をたくさん持ってきてくれましたので、その裏側に寝ても醒めてもマンガを描いてましたけれど、膨大な量のそれらはとうに棄ててしまいました。いまから思いますと、取っておけば当時の底なしの“情熱”を思い出せて、楽しかったかもしれません。
by ChinchikoPapa (2008-05-14 16:45) 

sig

ChinchikoPapaさん、ご来館ありがとうございます。
再現フィルムとして、ひどいものを載っけてしまいました。
他の人が見たら「何、馬鹿なことやってんだ」と思われるくらい熱中するものを持っているのが少年時代だと思うのですが、ChinchikoPapaさんの場合は、それが絵とか文章だった訳で、現在、やはりその延長線上に極めて成功された形でおられることがとても納得できます。
私のこうした足跡も、30年ほど前の生家の新築で、すべて消滅してしまいました。こちらに取り寄せておけばよかったと、つくづく残念に思います。
by sig (2008-05-14 22:19) 

sig

kemmさん、ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-05-15 19:22) 

sig

八犬伝さん、ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-05-16 00:54) 

ねこじゃらん

すごいです〜。(感嘆・・・)
なんというか、
今の子が「依存」に向かうのに対して、
「創造」に向かっていたのですね。
こんなこと言ったら、偉そうですけど・・・(^^ゞ
by ねこじゃらん (2008-05-19 16:31) 

sig

ねこじゃらんさん、こんばんは。
創造などと大げさなものではありません。ただ、欲しいものが簡単に手に入らなくて、それでもどうしても欲しいということになれば、手に入るまで我慢するか、自分の頭で何とかしなければなりません。私たちの世代はみんなそうして考えたり、無ければ代用品で済ませてきたのでした。それだけに、手にした喜びは何物にも替えがたく、大事に大事に使ったものでした。このブログで自分の恥をさらしてお話したいことは、そういう時代や環境が自分の「想像力/創造力」を培ってくれた源だったような気がします、ということなのです。
by sig (2008-05-19 20:06) 

sig

gankoさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-08-08 18:53) 

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