SSブログ

ほめない父のほめ言葉 [「動画」の自分史]

P1030925b-3.JPG  動画の自分史-8 

IMGP4234.JPG
●1948(S23)東芝5球真空管式ラジオ受信機 文芸春秋「ノーサイド」より

ほめない父のほめ言葉 

 家庭の娯楽の中でもっとも大きな比率を占めていたラジオ放送に民間放送が加わったのは1951(S26)年から。けれどもそれを聴けるのは電波経路の整った大都市に限られ、長岡では相変わらずNHKしか聞くことができませんでした。
 
ちなみにNHKではこの年の正月3日に第1回紅白歌合戦が開かれたと資料にありますが、司会は加藤道子さんと藤倉修一アナ。藤山一郎、東海林太郎、近江俊郎、渡辺はま子、菅原都々子、暁テル子、赤坂小梅といった人気歌手たちが一堂に会して歌を競ったこのステージは、さぞ全国のお屠蘇気分で盛り上がるお茶の間をにぎわしたことでしょう。NHKのラジオは第一放送と第二放送と2局あり、第一は娯楽志向、第二は教養志向の番組が組まれていたように思います。

 当時のラジオの人気番組は、子供も大人も圧倒的に野球と相撲でした。人気は巨人軍で、水原監督の元に別所、川上、与那嶺などが活躍していましたが、子供たちにとっての人気者はやはり赤バットの川上と青バットの大下でした。相撲では横綱千代の山と鏡里。ボクシングでは日本初の世界チャンピオンとなった白井義男の試合を手に汗握って応援しました。どれもアナウンサーの実況放送を耳で聞くだけで画像で見ているわけではないのですが、名調子を聞くとその場の光景がはっきりと見て取れたような気がしたのは、今思うと不思議です。また、父の好きな浪曲や講談も聞きました。

  これは、私が学校から帰ると勉強もそっちのけで、毎日のように手作り紙フィルムを作って遊んでいた1952(S27)年、小学5年生の頃のことですが、夕方になるといつも軽快な歌声が聞こえてくる子供番組がありました。サトウハチロー作「ジロリンタンものがたり」。サトウハチローという作家は「少年倶楽部」に熱血小説を連載していた佐藤紅禄という作家の子息だと聞いており、私が愛読していた「幼年クラブ」「少年クラブ」などに詩を書いていた人なので、その人の連続ドラマということでよく聞いていました。ストーリーはまったく覚えていませんが、テーマ曲の旋律は今でも頭に入っているくらいですから、よほど熱心に聴いていたのでしょう。

  ところがある日、その旋律を口ずさんでいるうちに、いつの間にか歌の歌詞とは別の言葉が浮かんできました。そこで、忘れないように書き留めていくうちにどんどん発展し、替え歌による物語が出来上がりました。それは現代ものの「ジロリンタンものがたり」とは似ても似つかない時代物でした。
 
一部を今も覚えていますが、恥ずかしながらこんな具合です。

「壷はどこかと 旅に出た、 
 
てく助テクテク 山道を、
 
歩けば怪しい 話し声、 
 
山賊組が 三人で、
 
ヒソヒソコソコソ 泥棒を、 
 
しようと話をしてました」

 
…と始まって、いよいよてく助と泥棒たちの間に剣劇の火蓋がきって落とされるのですが、その決着が付くまでのいきさつが延々と10番以上続くのです。
 
「壷」とは丹下左膳のこけざるの壷から思いついたものでしょう。山賊の発想は、兄たちが読んだお下がりの、宮尾しげを作「団子串助漫遊記」中島菊之介作「日の丸旗之助」「○□さんゝ介さん(まるかくさん、ちょんすけさん)」の単行本からの影響がありそうです。剣劇シーンの立ち回りはチャンバラ映画の影響があることは明白です。

  残念ながら途中はさすがに忘れてしまいましたが、最後は
「…コウモリすいと 空を飛ぶ 
  行方も知らない 旅の空、

  たった一羽の 旅がらす」
…と、長谷川伸作「一本刀土俵入り」のような股旅物もどきになって決着するのでした。

 この替え歌物語を書くことに熱中しているところに、野良から父が帰ってきました。いつも言うこと聞かない悪い子だった私は、父の姿を見るとすぐに逃げ隠れしていたのですが、その時は夢中だったので逃げそびれてしまい、ゲンコツが飛んでくることを覚悟で床の上にかしこまりました。父は床に広がった鉛筆と紙片を見て私が何をしていたかを確かめると、「見せてご覧」と手を伸ばしました。仕方なく恥ずかしい思いでその紙を手渡しました。すると父はひと通り読み終え、「お前は文章を書くことが上手だね」、と言ってくれたのです。

  てっきり怒られると観念していた私には、それはとても意外なことでした。なぜなら、今まで父にそのようないい方で褒めてもらった経験が無かったからです。だから、父の言葉は私の胸に響きました。父がこんな文章を褒めてくれた。そのことが、もしかして自分は物書きみたいな職業に向いているのかもしれない、という気にさせました。滅多に褒めない父の言葉は、小学5年生の息子にはそのような重さで届いたのでした。


nice!(9)  コメント(8)  トラックバック(0) 

nice! 9

コメント 8

furukaba

sigさんの少年時代の映像を見ているような文章の流れ。
特に父親に褒められた最後の処がいいですね。




by furukaba (2008-05-20 22:17) 

sig

furukabaさん、ありがとうございます。
furukabaさんのSF MOVIEにはびっくり!
京都と宇宙とどう結びつけたらいいか分かりません。(笑)
ところでこのBlogですが、今回初めて、UPしたとたんに四角のフレームが付きました。でも、全ページを頭から下に辿ると本文が全部ブルーになっているのです。下手にいじるとどうなるか分からないので困っています。
htmlを勉強しないとダメですね。
by sig (2008-05-20 23:42) 

sig

Chinchikoさん、いぬさん、kemmさん、
いつもご来館ありがとうございます。
by sig (2008-05-21 11:47) 

ChinchikoPapa

わたしが親父から言われたのは、おだてりゃ勉強するとでも思ったのか、「絵を描くのがうまい」・・・というものでした。
おかげで、高校を卒業するころまで勘違いがそのままつづき、絵の学校を受験して浪人するハメになってしまいました。罪作りなひと言だったのですね。絵ばかり描いて、ほとんど他の科目の勉強をしないまま、高校のときの成績は惨憺たるありさまでした。しょせん絵の才能なんてあるはずもなく、浪人中にようやく気づいて、大急ぎで付け焼刃の方向転換をしたしだいです。(^^;
by ChinchikoPapa (2008-05-22 17:33) 

sig

ChinchikoPapaさん、コメントありがとうございます。
やはり絵を学ばれたんですね。それが十分に活かされているから素晴らしいと思います。
私の場合、父の一言はあくまでも選択肢の一つを示してはくれましたが、その道で生きていけるかは別の問題ですから、あれこれ迷って、結局ものすごい遠回りをしてしまいました。
ところで今の子育ては、ほめてほめて褒めまくるやり方みたいですね。
どの子も誰でもが、思ったことは何でも可能と自信を持てば、日本国全児童・スーパーマンと化して、きっと日本の未来は明るいものとなるでしょう。
by sig (2008-05-22 19:42) 

sig

いぬさん、kemmさん、corradoさん、八犬伝さん、TAKAさん、
ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-05-23 00:38) 

銀猫

お早うございます
ブログにまでご訪問ありがとうございました m(_ _)m
sigさんは府中の方だったんですねー わたしは武蔵野です。
素敵なエピソードですね♪ 惹きこまれてしまいました。
わたしは『潮騒』も山口百恵世代なので、年代的には20年ほど後なのですが
なんだか懐かしい気持ちになりました。
また後日ゆっくり訪問させていただきます ^^
by 銀猫 (2008-06-02 06:47) 

sig

銀猫さん、ご来館ありがとうございました。
このブログは「自分史ブログ」と名づけて、自分の恥をさらしているジコチュー・ブログです。
でも、ふた周りも離れた世代の方とこうしてお話ができるのはとてもうれしいです。共通点、相違点など感じながらお読みいただけたらうれしいです。
これからもどうぞよろしく。
あ、それからsigは府中ではありませんが、多摩のあちこちに出没させていただいております。


by sig (2008-06-02 11:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。