SSブログ

勉強は授業と試験のときだけ。その代り良く働いた [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG あんなこと、こんなこと―10

中学校時代 1953~1955(S28~30)一③
勉強は授業と試験の時だけ。その代り良く働いた 

山中.jpg 
●1977 長岡市立山本中学校「創立30周年記念誌」より

 
ここしばらくは「動画の自分史」が続き、「あんなこと、こんなこと/中学校時代」が中断していました。けれどもブログの全体的な流れとしては、「動画の自分史」の中で中学生時代のことを書き進めてきました。
 
さて世間では、誕生したばかりのテレビ放送が、都内の駅前広場などで力道山の大活躍を街頭テレビに映し出し始めました。マリリン・モンローがディマジオ選手と新婚旅行で日本にやってきました。映画はシネスコより更に大画面のシネラマが誕生。音楽は陽気なチャチャチャやマンボが大流行。神武景気に便乗した家電メーカーのPRで、憧れていた文化生活が身近に考えられるようになってきました。でもそれはあくまでも山のはるか彼方の東京の話。テレビ電波の届かない長岡の片田舎では、そうした変化は新聞やニュース映画で知るだけで、そんな優雅な生活は夢のまた夢でした。
 

●春は田植え、秋は稲刈りのための休みがあった
 中学生になると、農家では労働力として一人前の扱いになります。特に農繁期には「田植え休み」「稲刈り休み」があるので、どの家も一家総出が当たり前。何かと理由をつけて手伝いをサボろうとしたり、2階の屋根から柿の木を伝って逃げ出したこともありましたが、毎日その手は利きません。仕方なく引っ張り出されると、今度は腰が据わってすばらしい活躍をするのです。
 
私が中学生から高校生に掛けての頃は家族がいちばん揃っていた時期で、戦力にならない最年少の弟を除いて両親・兄弟全部で7人の手がありました。耕作面積は約2町歩(2ha)。それを1週間くらいで植え終わらなければなりません。もちろん田植え機などなく、全部手植えです。当時はまだ「こしひかり」はなく、「農林21号」「北陸○号」などが一般的だったようです。

 
前日に水を抜いた田に、まず長兄が、横1間半(2.7m)のゴロと呼ぶ正6角形の柱状の木枠をパタパタと転がして行きます。田の泥の上に1尺(30cm)平方の木枠の跡が付き、その交点に苗を植えるのです。田んぼの広さは1反が10間×30間(18m×54m)。家族全員が一列に並び、それぞれが横に4~5株(1.2~1.5m)の範囲を受け持って前進しながら植えていくのですが、5株では中学生には広すぎるので4株を受け持ちました。

 
田に入る前に、まず腰に結わえ付けた竹篭に苗をぎっしり詰めます。かなりの重さです。けれどもそれだけでは往復108mの行程を植えながら戻るには足りません。そこでまず、あぜ道に積んである苗を自分のコースの前方に思い切り遠くまで、できるだけたくさん投げておいてから田に入り、それを拾いながら植えて行くことになります。ですから、なかなか腰の籠の苗は減りません。その上、長岡の田は深く粘土質です。ひざの辺りまで潜って、足を引き抜くのが大変です。おまけに腰を曲げたままの姿勢です。時々腰を伸ばすのですが、そんな状態で何往復もする訳ですから、夕方にはくたくたです。それが毎日続くのでした。

IMGP8798b-2.JPGP1020430.JPGP1020437.JPG
●下段右は山本中学校から見下ろした越後平野。帰省の際の8ミリ映画より(1977)。
 収穫期には
このすべての道路に沿って、屏風のようなハゼが立ち並びました。

 秋。稲刈りは大の苦手でした。1株ずつノコギリ鎌で刈って行くのですが、汗ばんだ両腕に稲の葉がこすれる時の痛さと不快さといったらありません。刈り終えたら一束ずつ束ねたものをハゼ(稲架・はさ)に掛けます。長岡のハゼは高さが4.5mもあり、稲束は8段掛けです。10月には標高300Mの山本中学校のグランドから、広い越後平野を埋め尽くして屏風のように林立するハゼを展望できるのですが、その景観は実に見事なものでした。
 ハゼではこうしてほぼ1週間、自然乾燥させるのですが、途中雨になればその分先延ばしです。またこの時期、必ずといっていいほど台風があり、豪雨の中でハゼが倒れないようにする作業を手伝ったものでした。
 

●夏休みの奉仕活動は薬草採集、ノルマは3.75キロ
 
小学生時代、学校での奉仕活動は秋の「イナゴ採り」でしたが、中学生では夏休みの薬草採集です。採集する薬草は、ヨモギ、ドクダミ、ゲンノショウコの3種と決まっていて、夏休み明けに乾燥させた状態で一人1貫目を収めることになっていました。カサカサ状態で3.75キロというのは大変なことです。雨が降らない限り毎日薬草摘みに出掛け、採ってきたものはすぐ庭に干し、早く乾燥させるために毎日裏返しにします。

 
身近なのはどこにでも生えているヨモギ。でもこれは、新芽の部分に限定されているので意外に量を稼げません。ゲンノショウコは湿っていてムカデやヘビが出そうな場所にしか生えない上、茎は細いし葉も小さいので、乾燥させたらほんの一つまみです。ドクダミなら群生しているところを見つければ集め易いし、根まで丸ごとOKなのでいちばん量が稼げます。それで、私は毎年ドクダミを集めることに決めていました。

 
ヨモギは心臓、肝臓、腎臓など内臓の活力を高める万能薬。ゲンノショウコは胃や腸を整える健胃整腸剤、ドクダミは高血圧、動脈硬化などに効くといわれているのです。
  夏休みが終わった二学期の最初の登校日に、大きな袋いっぱいに詰め込んだ薬草をみんなが担いで登校します。体育館の半分ほどを埋め尽くして山のように積み上げられると、漢方薬局のような香りに満たされます。それもつかの間、待っていた製薬会社のトラックが残らず引き取っていきました。この奉仕で得られる売り上げが、学校の備品購入などに使われたのでした。 

IMGP4965.JPGIMGP4619-2.JPG
●ヨモギ                      ●ドクダミ
IMGP4754-2.JPG●ゲンノショウコ     

●学校林の植樹と手入れは、いつも暑い日 
 これも奉仕活動だったのか、また、全国的に行われていたものかどうかわかりませんが、山本中学校には、離れた山地に「学校林」と呼ぶ山林がありました。そこで年2回、1年生から3年生まで合同の「学校林手入れ」と呼ぶ活動が行われていました。
 
1回目は5月頃。スギの苗を植える「植林」があります。2回目は9月頃。伸びた雑草を刈り、杉苗の成長を助けるための「下草刈り」が行われます。その日は全校生徒が校庭にスコップや鎌を持って集まり、おにぎりを携えて遠足気分で出かけるのですが、当然天候を選びますので、いずれも暑い日よりになります。

 
山はかなりの急斜面です。春はむせるような新緑の中でみんなで横一列になってスコップで穴を掘り、苗を植えて行きます。所々に竹筒のように太いスカンポが生えていて、みんなのおやつになりました。秋の下草刈りでは、まだ1mにも満たない杉苗を覆うように雑草や雑木が伸びているので、それらを根元から刈り取って上げなければなりません。

 一度、2mほどの若い桐の木の葉の上にヘビの影が映っていたことがありました。ちょうど頭の真上でした。「ヘビだ」と叫んで身を引きましたが、そういう時は腕白たちの出番です。桐の葉ごと棒で叩き落すと、なんとそれはマムシでした。その時腕白少しも騒がず、生木を裂いてマムシの首をぐっと挟みこんで事なきを得ました。当時の緊急医薬品は、怪我には赤チンかヨーチン、メンタムくらいしか用意してなかったはずですから、もしマムシに噛まれでもしたら大変なことになるところでしたが、みんな手馴れたものでした。かなり大きかったそのマムシは、理科室の標本になりました。
 
IMGP4687.JPGIMGP4690.JPG
●1956「山本中学校 思い出のアルバム」より(卒業記念アルバム)


●雪の日、作業場はすずめのお宿。わらの中には七面鳥ならぬ…
 ヘビの話でもう一つ。うちには母屋から少し離れたところに脱穀や精米をするための作業場がありました。冬休みにはその2階で、父に教わって縄綯(な)い機を操作して、細縄を綯う手伝いなどをしていました。
 
ある年の冬、かなり吹雪いているので作業場の様子を見に行くと、2階の障子戸が破れてバタバタしています。入ってみたらバサバサッと大きな音がして、頭上を何かが飛び交いました。何と雪に降り込められたスズメたちが何十羽も飛び立ったのでした。
 2階には脱穀したあとのわら束が高く積んであり、スズメたちはてんでにその中にもぐりこんだりしています。そこで一抱えほどあるわら束を一つどけてみてびっくりしました。なんとその下のわら束の上に大きな青大将がとぐろを巻いていたのです。すぐにわら束を元通りにしてあげましたが、冬眠中だったのでしょうか。それとも時々起き出してネズミやスズメで空腹を満たしていたのでしょうか。どうか春まで元気でね、という気持ちになりました。

シマンテックストアデル株式会社伊勢丹 オンラインショッピング 「I ONLINE」アフィリエイトならリンクシェア
タグ:教育 中学生
nice!(14)  コメント(20)  トラックバック(0) 

nice! 14

コメント 20

sig

カメキチさんからメールを頂きましたので、下記に転載させて頂きます。
 
ブログ楽しく拝見しています。
私の小学校時代は薬草摘みはありませんでしたが、どんぐり拾いが義務つけられていました。毎年秋には南京袋2杯くらいのどんぐりを拾い集めたものです。
中学時代の2年間は愛知県の農家に疎開し、農業学校に転校しました。疎開先の農家の手伝いと、学校の農園、勤労動員で農家に宿泊、田植えの手伝いをしました。田植えは生まれてはじめての経験で、腰の痛みを実感したものです。
また稲の苗を籠に入れたものを天秤で担ぎ、これも初めてで腰がふらつき小川の橋を渡りそこね、小川に転落したという思い出があります。 カメキチ
by sig (2008-06-20 12:53) 

sig

カメキチさん、いつもコメントありがとうございます。
たくさん集まったドングリは、どのように利用されたのでしょうか。
農家での田植えはとても貴重な体験でしたね。屈みっぱなしで植え続けていると、腰が伸ばせなくなりますからね。昔のお百姓さんには随分腰の曲がった方が多かったのですが、あの労働の辛さは経験した者にしか分からないものですね。
by sig (2008-06-20 13:02) 

sig

Chinchiko Papaさん、こんにちは。いつもありがとうございます。

by sig (2008-06-20 15:08) 

Qoo

新潟に行って一面の稲穂を見ると
帰ってきたな~って実感します
昔は、あの広大な田んぼを手作業で刈ってたのですよね
凄い事ですよね
by Qoo (2008-06-20 15:33) 

sig

Qooさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
Qooさんという同郷の理解者を得て、とてもうれしいです。
機械化が進んだ今から見ると、自分でも従事した経験がありながら、信じられない気がします。特に私が田舎にいた時には耕運機さえまだなかった時代ですから、何から何まで手作業でしたね。

今思い出しましたが、夏休みに自家の田に水を導くための水番をやらされんです。すると他の田の大人がやってきて、脅されて水の流れを変えられてしまうのですが、江戸時代の水争いのようなことがまだあったのです。
by sig (2008-06-20 17:43) 

sig

xml_xslさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-20 22:19) 

チョコシナモン

sigさん(*´・ω・)ノこんばんわぁ~幼い頃の風景が・・・田植えは今より植えるのが遅かったように思います。苗を投げているぅ?見た事があります。私は農家じゃないので手伝うって事はなかったけれど、よく田植えの絵を描いた記憶があります。現在のような暮らしではなかったような・・・今思うと可笑しいですよねぇ~
by チョコシナモン (2008-06-20 23:07) 

sig

チョコシナモンさん、こんにちは。
長岡あたりの農家は昔はほとんど専業農家でしたから、農繁期にはそれこそ猫の手も借りたいくらいの忙しさだったんですね。
田植えの情景を思い出していただいたとのこと、うれしいです。
ほんとは稲刈りのプロセスも、台風や洪水のときのことも詳しく書きたかったんですけれど、あまり長くなっても・・・と思ってやめました。
by sig (2008-06-21 11:57) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
ひざの具合はいかがですか。脹れは引いたのでしょうか。
くれぐれもお大事に。
by sig (2008-06-22 11:40) 

sig

みかっちさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-22 16:46) 

ねこじゃらん

こんにちは。興味深く読ませていただきました。^_^
by ねこじゃらん (2008-06-23 13:59) 

sig

こんばんは、ねこじゃらんさん。ご来館ありがとうございます。
ここでは昔話を書いています。あと少しで中学時代が終わります。
どうぞまた遊びに来てください。
by sig (2008-06-23 18:37) 

TAKA

こんばんは
お恥ずかしいことですが、私はどれも経験がありません。
母方の田舎では、米も作っていたのですが、夏休みか春休みくらい
しか戻れないので、できませんでした。
夏休みに戻っている時にやったことと言えば、おじいさんが炭を
焼いていたので窯に、クヌギやナラの木を運び込んだり、あと、
専売公社の煙草の栽培をしていましたので、葉を干していたのですが、
雨が降ったら急いで、納屋にしまわなければならないのですが、
煙草の葉を触ると、粘り気と臭いがついてとても嫌でした。
将来こんなものを吸うようになるとは、この時は思っていなかったようです。

by TAKA (2008-06-23 21:06) 

sig

TAKAさん、コメントありがとうございます。
ここに書いたような、学校で奉仕活動をしていた時代は、わたしたちの世代くらいまでだと思います。
TAKAさんは春休みや夏休みで、いろいろお手伝いされた方ではないでしょうか。
炭焼きや煙草の仕事はわたしには経験がありませんが、いずれにしても自然環境の中での大人の手伝いというのは、生きた教育だったと思います。

by sig (2008-06-23 22:22) 

sig

kemmさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-24 13:10) 

sig

バズー☆ さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-25 00:17) 

sig

もこもっとさん、たくさん見てくださってありがとうございます。
by sig (2008-06-25 00:18) 

sig

銀猫さん、ご来館ありがとうございます。
もういいのですか。くれぐれも無理をなさらないように。
by sig (2008-06-27 18:16) 

sig

kontentenさん、こんばんは。ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-07-03 22:32) 

sig

leoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-10 10:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。