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フィルムフリーク、中三で映写技師になる。 [「動画」の自分史]

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フィルムフリーク、中三で映写技師になる。 

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●長岡市立山本中学校の航空写真(
1977/S52「創立30年記念誌」より) 
 山中坂(写真下方)を上り詰めると正面が職員玄関。生徒は左の体育館入口にある
 玄関から入ります。
  

 1953年から55(S28~30)年にかけての中学生時代。学校の授業で定期的に映画の時間が設けられていました。文部省選定の教育映画、文化映画、記録映画といったものを見せられたのですが、岩波映画、学研映画、英映画社、桜映画社(順不同)などの優秀な作品が配給されていました。また時々は東映教育映画部製作の児童向け劇映画もありました。 

 
人気が高かったのはやはり劇映画でした。東映映画はもっぱら映画館で、中村錦之助、東千代之介、大友柳太郎などの美剣士や、高千穂ひづる、丘さとみ、大川恵子などのお姫様が登場する時代劇でなじみが深かっただけに、映画館で見るのと同じあの暗い海に波が砕ける東映マークが教室のスクリーンに映し出されるのはどこか違和感がありましたが、中学生だけが大勢で無人島生活をする十五少年漂流記のような冒険映画や、野口英世の半生を描いた偉人伝などを観た記憶があります。どれも1時限50分の範囲でちょうど収まる長さに作られていました。(これらの分野から、その後そうそうたる映画人が多数輩出されたのでした)

 映画の時間がある日には、映写機を設置したり、上映前に点検整備したりする必要があって、それも勉強になるということから「映写班」というものが設けられました。私はクラブ活動では「演劇部」に所属し、「放送部」と「図書部」にも関心があったのですが掛け持ちはNOでした。けれども「映写班」はクラブ活動と違って授業中のお手伝いなので、他の部に入っていても参加できるのです。大好きな映写機のそばにいられるなら、と考えてすぐに「映写班」に入ったことは言うまでもありません。
 映写機は16ミリ。映写技師は先生です。16ミリ映写機は学校の備品ではなく、登校路・山中坂のふもとにあった町役場から映写班が借り出して、そのつどスピーカーなどといっしょにリヤカーで学校まで運び上げていました。

 
この頃、別の学校で教師をしていた二番目の兄がたまたま視聴覚を担当していて、16ミリ映写機の説明書やフィルムリストなどがたくさん兄の部屋においてありました。それは私にとってはとてもありがたいことでした。いなかでは簡単に図書館に行って調べるというわけには行きませんし、例え映画に関する専門書が見つかったとしても、きっと難しすぎたと思います。兄の書棚にある16ミリ関係の解説書やマニュアルはその点とても具体的で分かりやすく、毎日興味深く読み込んでいきました。

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●左/これは8ミリ映写機ですが、フィルムを掛ける要領が分かりやすいと思います。
 レンズ部を挟んで上下にあるスプロケット(歯車)にフィルムのパーフォレーション(穴)を合わせて留める際、上下にフィルムのループ(たるみ)を付けることが必須。これが適正でないとフィルムが切れてしまいます。
●右/16ミリ映画フィルムのリーダー部分(カウントダウンの最後は②) 

 
兄の資料は教科書。そして私にとって実技にあたるものが学校の映画の時間でした。
 先生に教わりながら実際に映写機をセットし、電源をつなぎます。フィルムリールから2メートルほどフィルムを引き出し、床に垂れないように肩に掛け、リールを上のアームに掛けます。それから映写レンズとランプハウスの間のプレッシャープレートと呼ぶ部分にフィルムを通すのですが、その上下にスプロケットと呼ぶ歯車があり、その突起にフィルムの穴(パーフォレーション)を合わせてパチンと止めます。その際、適正なループを上下に作らなければなりません。このフィルム装填作業はとても細かくて面倒なのですが、ちょっとしたコツを覚えると楽しい作業に変わります。こうして残ったフィルムの先端を巻き取りリールに巻き付けたあと、スレディング・ノブを指先で回してフィルムを送り、確実に運ばれることを確認します。これで映写準備完了。
 映写レンズの前に手の平をかざして、モーターのスイッチを入れるとフィルムが回り始めます。2秒後にランプを点灯。…8…7…6…と続くカウントダウンの数字を手の平に受けて、2の数字が閃いた直後に素早く手を引くと、ジャーン、と格好良く、ちょうど頭から映画がスクリーンに映し出されます。
 この映画が始まるまでの助走時間(リーダーフィルムの規格)は国際的に決まっているのです。これら一連の作業がうまくいくと、自分が映写技師になったようで、本当にうれしい気分でした。

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●映写班のメンバー 1~3年生で編成
 写真撮影の時、16ミリ映写機がなかったので、スライド映写機を急きょ用意。

 
さて、授業がなくなるのでみんなが楽しみにしている映画の時間なのですが、ある時、<今日は女子だけ、男子は自習>ということがありました。いつもは映写窓越しに壁を隔てた隣の教室に映画を映すのですが、その時は映写機を隣の教室の中に据えるように言われました。その日はそれで「映写班」はお払い箱です。こちらの教室には、好奇心の強い腕白坊主たちだけが取り残されたかたちで蚊帳の外。自習にも打ち込めず、「どうして女子だけなんだー」と映写窓から覗こうとしましたが、窓は内側から厳重にふさがれておりました。当時、あの方面の教育は、学校ではこの程度で済まされていたようでした。

 
この頃、中学校に初めて録音機(テープレコーダー)が導入されました。メーカーは当時「東京通信工業(東通工)」と名乗っていたSONY(このネーミングは1955年から使用)でした。東通工がテープレコーダーを初めて発売したのは1950(S25)とありますから、それから5年後。価格もかなりこなれて、学校での導入が可能となったものでしょうか。機体はみかん箱を一回り大きくしたような重量級です。録音テープのベースは紙製で、そこに茶色の磁気粉を塗布したものでした。
 学校では録音機導入記念として「音楽部」の演奏などを録音したように記憶していますが、私の所属していた「演劇部」では放送劇をやることになりました。みんなで話し合ってトルストイの「コーカサスの虜(とりこ)」に決め、選曲ではレコードを何曲も聞き比べた結果、荒涼とした風景やストーリーのイメージにいちばん近いと思われた「中央アジアの草原にて」に決めました。テスト録音で自分の声を聞いたとき、何か別人の声のように変わって聞こえたことがとても不思議だったことを覚えています。

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●東通工(現ソニー)、日本初のG
型録音機  1950(S25) 講談社「昭和」⑨より
 私たちが使ったのはこの5年ほどあとなので、デザインも機能も進化していました。

 
高校生になってからのことですが、同窓会をやることになりました。幹事が集まって中学校の教室を借りることになり、その件を打診するために中学校を訪れました。話が済んだあと懐かしい校舎の中を見せてもらいました。応対してくださった方は新しい先生でした。「放送室」にも入れてもらいました。
 部屋はすっかり替わり、機材も新しくなっていました。そこで「中学時代にこの部屋で放送劇を作ったんですよ。当時は録音テープが紙でした」という話をすると、案内してくださった先生が突然、「そう言えばこの前、昔の放送劇のテープが見つかったとか聞いたなあ。紙テープだというんで、学校ではちょっとした話題でしたよ」と言われました。当然、聞かせてください、と頼んではみたのですが、「さあ、どこにしまわれたか、ちょうど夏休みで誰もいないし、私には…」とのことでした。もし残っていれば、ぜひ聞いてみたいものです。といっても、それから数えても、もう50年も経ってしまいました。
 

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●社会人になってから手にした「16ミリ発声映写機操作講習終了証」。
 数字の50は昭和50年(1975)のこと。

  
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sig

takemoviesさん、ご来館ありがとうございました。
by sig (2008-06-10 09:35) 

sig

furukabaさん、いつもご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-10 19:11) 

furukaba

ムービーと共に築きあげた青春ですね。羨ましい!。
by furukaba (2008-06-10 19:25) 

花火師

山本中学校・・・見附の近くでしたっけ?
by 花火師 (2008-06-11 00:48) 

TAKA

こんばんは
映写班で、映写機に触れて楽しかったでしょうね!でも、お兄様が
映写機の説明書等をお持ちでなかったら、なかなか大変だったかも
しれませんね。

私も、小学校時代のことを思い出しました。小学校の時、SLを撮るのが
趣味の先生が担任になりました。教室にはあちこち自分で、引き延ばした
力強く走るSLが飾られていて、人吉のD51、3重連の話や、C62の
つばめの話など、SLの話はさることながら、カメラや写真の話をしてくれ
ましたの、で今思うと、中学時代、写真に興味を持ったのは、
おそらくこの先生の影響だと思っています。
また、この先生は、いろんなことを私たちに提供してくれました。
小学校のクラブ活動なのですが、科学部なるものを作って、
手品のタネや、化学の実験、そして一番印象に残っているのは、
軽自動車を1台、どこからか調達してくれて、「さあ分解するぞ!」と
いって、本当にエンジンから何から何まで、分解したことを覚えています。
あの頃、本当に楽しかった...先生がいてくれて
by TAKA (2008-06-11 01:42) 

銀猫

sigさんは昔のこと詳しく覚えてらっしゃいますよねー
わたしなんて一年前のことすらアヤシイのに ^^;
そういえば、高校の時八ミリ映画らしきものを撮ったことがありました。
文化祭用の短い映画です。
わたしは出演する方でしたが、フィルムの編集は手伝いました。
すっかり忘れていました(笑)
by 銀猫 (2008-06-11 05:44) 

sig

花火師さん、こんにちは。
山本中学校は見附の長岡寄りで、浦瀬町にあります。
花火師さんは見附ですか。
トッテツのことはご存知ですか。近いうちに書くつもりです。
by sig (2008-06-11 11:47) 

sig

TAKAさん、いつもご来館ありがとうございます。
sigもこのブログを書いていて確信的に思うようになったことは、あくまでも私の持論ですが、人生の基盤はすべて小・中学生時代にある、ということです。
ところがその頃は本人はまだ自分自身どこへ向かえばいいかを把握できませんから、あれはどうか、こんなのもあるよ、という家庭や学校でのアプローチがとても大事だと思うのです。
その意味で、自分自身が興味を持ち、好きなことを情熱を持って語り、示してくれたTAKAさんの先生の教育は本当にすばらしいと思います。


by sig (2008-06-11 12:07) 

sig

ようこそ銀猫さん、こんにちは。
ソネフォトの【シベマニア】大躍進ですね。楽しませていただいております。
昔のことをよく覚えている訳ではなく、忘れたことは書いてないだけの話です。(笑)。
高校のとき8ミリ映画を作ったとなれば、もうこのブログからは離れられませんよ。これからは8ミリ映画の話ばっかりになりますからね。
銀猫さんは女優さんに選ばれたわけですね。そしてフィルムの編集も。映画作りは楽しかったでしょう。今はビデオの時代ですが、ソネフォトと並行してビデオも楽しみませんか。
by sig (2008-06-11 12:19) 

ChinchikoPapa

sigさん、こんにちは。
わたしの小学校時代は、科学系の記録映画がよく学校に来ていたように記憶しています。中でも、タイクツで死にそうになった作品に、市川箟監督の『東京オリンピック』がありました。(^^; あの映画を「素晴らしい、優れた作品ですごくよかった」と作文に書いた、勉強のできる優等生に対し「ウソツケ!」と、10歳足らずのわたしは反感を覚えたのをいまでも憶えています。(笑)
劇映画では、なぜか古いモノクロの阿部豊監督『戦艦大和』が上映されて、体育館で観た記憶があります。学校側としては、反戦映画として上映したのでしょうが、父母の間から「なんで戦争映画などを見せるのだ!?」と、反発が起きていたようです。まだ父母たちの間でも、戦争の記憶がナマナマしい時代だったのですね。
by ChinchikoPapa (2008-06-11 12:31) 

sig

こんにちは、Chinchiko Papaさん。
「東京オリンピック」は、それまでのいわゆる記録映画の殻を破り、スポーツを軸とした人間賛歌といった視点でまとめた結果、国から文句をつけられたものを監督がはねつけて押し通したというようなことが伝えられていますが、みんながすばらしいと絶賛するものに対して素直につまらなかったというのは勇気のいることだったと思います。それが言えなかったのが戦時中(古い!)だったのですね。
「戦艦大和」という映画は知りません。私は高校生になってから(1950年代後半)でも、まだ反戦をテーマにした演劇をやってましたから、Chinchikoさんが「戦艦大和」をご覧になった頃はその頃ではないでしょうか。
by sig (2008-06-11 13:38) 

ChinchikoPapa

「戦艦大和」が学校に来たのは、小学校の高学年になっていたころですから、1960年代の後半だと思います。「東京オリンピック」の上映と、ほぼ同じ時期だったでしょうか。作られてから、ずいぶんたっていた作品ですね。
そういえば、有賀艦長役は佐々木孝丸がやっていたのを憶えています。
by ChinchikoPapa (2008-06-11 16:22) 

八犬伝

16Mは、働き出してから
旅行説明会を行う時に、いつも使っていましたよ。
今から、僅か20年ちょっと前の事ですが。

一気に時代も変わりましたね。
by 八犬伝 (2008-06-11 22:08) 

sig

Chinchikoさん、調べてみましたら「戦艦大和」は1953年、新東宝の製作。丹波哲郎や高島忠夫などが出演しています。「東京オリンピック」は1965年の作品です。
そんな一般的な劇場映画を学校で授業を割いて上映したのですか。
「東京オリンピック」はともかく、「戦艦大和」を上映したいきさつを知りたい気がします。

by sig (2008-06-12 00:06) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。
旅行説明会で16ミリを利用というお話ですが、もう20年も経っているのですよね。現在はDVDやブルーレイディスクを液晶プロジェクターにつないで上映、というようなケースが多くなりましたね。
このブログでは、ビデオしか知らない世代にフィルムの時代があったということを書き留めておこうと思うのです。
by sig (2008-06-12 00:15) 

Qoo

中学生で映写技師って凄いこと何じゃないですか?
その世界のことは見当も付きませんが
それだけ方向性がはっきりした生き方って格好いい(^^)
by Qoo (2008-06-13 05:21) 

sig

Qooさん、こんばんは。
中学生で映写技師になったわけではなく、真似事をさせてもらったということです。
確かに少年時代は好きなことに一直線で向かうことができましたが、世の中に出てからはそう甘くはなく、10年もの迂回期間があります。私はそれを「失われた10年間」と呼んでいますが、選択を間違ったのは自分ですから、ものごとはなるようにしかならないものだと考え、その失敗をどう生かすか、転んでも只では起きない精神で、その経験を生かすように考えてきました。決して格好いいものではなく、このブログでも恥を晒している通り、むしろ不器用に、不恰好に生きてきましたね。
by sig (2008-06-13 19:12) 

sig

kemmさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-14 08:56) 

sig

猫屋福助(株)さん。ようこそ。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-14 08:57) 

sig

xml_xslさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-15 09:38) 

sig

バズー☆ さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-17 17:38) 

sig

corradoさん
kontentenさん
ねこじゃらんさん
こんにちは。いつもご来館ありがとうございます。
by sig (2008-06-18 15:10) 

みかっち

ブログへまでご訪問いただき、ありがとうございました。

こんなマニアックな青春を過ごして来られたのですねぇ。。。
私は、中学生時代の自分が1番嫌いなので、
こんな熱い中学時代をお持ちで羨ましいです~

by みかっち (2008-06-22 16:24) 

sig

みかっちさん、ご来館ありがとうございます。
私たちの時代は、今のように情報があふれていない分選択肢も狭く、熱中できるものを見極めやすかったのかもしれません。
中学生時代はこんな環境でしたから、周り中「虫無視」「爬虫ハチュ」だらけだったのですが、今は全く何もいなくて寂しい限りです。
by sig (2008-06-22 17:07) 

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