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半世紀前の、秘密の日記 [あんなこと、こんなこと]

P1030925b-3.JPG  あんなこと、こんなこと―17
高校時代 1956~1958(S31-33)-④
半世紀前の、秘密の日記

  
なぜ日記をつけるのか。いろいろな答えがあると思います。現在の私は手帳に予定と結果をメモ程度で書き込んでいるだけ。これは日記とはいえません。けれども高校生の頃には極めて熱心に日記をつけるようになりました。それには、日々の出来事の記録と同時に、自分の心の整理をする意味が強かったと思います。

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  ここに古びた日記帳があります。今日に至るまで10回以上引越しをしています。そ
の騒動を潜り抜けて、まだ手元にあります。このブログで高校生時代を詳述できるのは、この日記と卒業記念アルバムと学生手帳があるからです。
 日記をつけるようになったのは高校2年生からでした。今から51年前です。日記帳の扉には、あたかも高校2年生は波乱万丈の年になることを予感したかのように、張り詰めた口調の次の記述が見られます。恥ずかしいのですが、ご披露します(写真)。まず最初の扉には、青インクで次の「宣言」が書かれています。

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「この日記は神聖である。
 
しかるに、我以外の何人もこれを紐解くことを禁ず。
 
昭和32年(1957)1月5日」

 そして次の扉には

「日記は他人に見てもらうものではない。
 
反対に他人に見せるものでもない。
 
私はこのささやかな一冊の日記帳に、
 
私の毎日の悩み、苦しみ、楽しみをすべて打ち明けるつもりだ。
 
(中略)
 
神聖なこの日記帳に、嘘を記すことはできない。
 
このささやかな日記帳は、
 私の思春期の感情を
後々まで永遠に残すことだろう」

 
いやはや、なんとも大げさな話です。
 
けれども、今思い当たることがあります。それは高校生になって、中学生とは違うんだということを自覚したときから芽生えた意識でした。「昔なら元服。もう子供ではない」。そういう自覚でした。この日記をつける決意は、自分自身の内面の儀式であったのです。日記をなぜつけるのか。それは決して過去を懐かしむためだけでなく、自身の心理の成長過程を記そうとしていたのでした。まさにもの想う年頃でした。

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この日記は1ページを上下段に分けて2日分を記載できるようになっているのですが、書くことが多すぎてほとんど毎日、何枚ものメモ用紙を貼り足してあります。日々の出来事を単に記録しておくのではなく、場合によっては手書きの地図を加えたり、実際に交わした会話をそのまま記述するなど、実にこと細かく書いてあるからです。今見ると気恥ずかしくて読むに絶えない箇所だらけです。でも、その時は本気で書き残そうとしていたのです。

 この日記を今、大人の目で客観的に辿ると、取るに足りない些細な出来事に戸惑い、悩み、思考する思春期真っ只中にあった自分をリアルに思い出します。
 

●「絶対に怒らない」という誓い
 
中学生の頃の自分は、かなり短気でした。甘やかされて育てられたわけではないのに、自分の考えることはすべて正しい、と頭から信じ込んでいました。ですから、自分の考えと同様の意見以外は受け入れられなかったし、反対の意見は理解できませんでした。
そのような人間に疑問を感じさせてくれたのは、周りの空気でした。
 
 ある時、自分の意見は必ず支持されると信じて疑わなかったことが、覆りました。それまで必ず通っていた自分の考えが否定されたのです。これはものすごく大きなショックでした。いわゆる大きな壁にぶち当たったのです。
このショックが初めて自分を振り返らせるきっかけとなりました。

 自分が正義と信じて疑わないことがどうして否定されたのか。「なぜだ」「どうしてだ」。この苦悶の中から、私ははじめて、正義は自分ひとりだと勘違いしていたことに気づかされました。中学校では「自分が正しいと思うことを行え」ということは習いましたが、「正しいものはいくつもある」とは教わらなかったのでした。正義は一つではない。人の数だけ、それぞれが自分の正義を持っているのだ。それを自分の考えが通らないことに腹を立てていたお前は一体何様だ・・・。
 それまで自分はみんなの前でいかに倣岸に振舞ってきたことか。それに気づいたとき、私は本当に眼から火が出るほどの恥ずかしさを覚えました。穴があったら入りたいとはこのことです。この経験が私に初めて、人はそれぞれの立場で考え、それぞれの信念のもとに行動するものなのだということを教えてくれたのでした。

 
こうした反省のもとに、高校生になると私は一つの誓いを立てました。それは「絶対に怒らない」ということでした。短気な性格を改造しようというのです。いかにも未熟者の考えそうな右から左への極端な転換ですが、真っ正直に「とにかく高校1年生の1年間、どんなことがあっても怒らない」という目標で臨むことにしました。もちろん、自分の思い通りに行かないことはいろいろ発生しました。怒らないことで軽く見られるようなこともありましたが、そのつど「ここが正念場」と思って我慢しました。

 
こうして1年間の誓いを守り通してみたら、いい友達にも恵まれ、楽しくやれることに気づきました。そのあとは誓いを守り通す難しさは次第に薄れて、人の話を聞いたあとで自分の意見を言えるようになりました。
 そして3年後、なぜか分かりませんが、自分が一回り大きくなったような感じ。高校生になって自分は確実に成長したみたい。そういった実感を覚えることが出来たのでした。逆にギンギラギンの正義感が薄れてしまったという一抹の寂しさもありましたが・・・。

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「長岡まつり」大花火大会まで、あと2週間!

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 8月2日・3日の「長岡まつり」では、正三尺玉、大ナイアガラ、フェニ
  ックス花火など、びっくり仰天のスケールで今年も話題をさらいます。
  詳細は下記長岡市のHPを。
 
http://nagaokamatsuri.com/index2.html
 「長岡まつり」から「2007年のようすはこちら」「これぞ長岡花火」
 と辿ると、呼び物の超大型花火の動画(4種)が見られますよ。
 ぜひご覧ください。



 
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チョコシナモン

sigさん おはようございます。人は年齢を重ねるごとに成長して行くのだと思っていたのですが、今だ丸くならない我が身を感じます。悩んだり、嫌な事があると他人に聞いてもらうのは恥だと思いノートにやたら書いたりしています。これってヘンなのかなぁ?わり合い本人はスッキリするのですが・・・時を経て読み直すと「へぇ~なるほど」と甘い自分に気がつくような、つかないような・・・人間としてはまだまだのようです|*゜∀`*)ノ「・・・笑」
by チョコシナモン (2008-07-18 08:25) 

sig

チョコシナモンさん、ご来館ありがとうございます。
人はトシごとに成長することは確かだと思いますが、必ずしも丸くなる必要もないし、人間なんて神様ではないのですから未完成のままでいいのでは、と思います。悟りが開ければそれはそれで結構だと思いますが、要は納得できる生き方が出来たかどうかということではないかと思います。私の場合は、日記をつけることで事柄を整理し、自問自答を繰り返してきたような気がします。チョコシナモンさんが時折(毎日?)ノートに記される行為もそういうことではないのでしょうか。「書く」ということは「残す」ということであり、「再読」で完結します。その時間経過の中で物事がプラスに転じていたら、それはすてきなことですよね。
by sig (2008-07-18 10:51) 

sig

カメキチさんからメールを頂きましたので転載させて頂きます。 sig

例によってブログの投稿が出来ませんので、メールの投稿です。
日記・・・私も一度は書き始めました。中学3年生の時でした。きっかけは恥ずかしながら初恋でした。当時まだ男女交際のままならぬ時代、思いを日記に託したのです。今思えば何と軟弱な・・・です。その日記も初恋に破れた時点で終了しました。正に三日坊主です。現在簡単な日記をつけています。10年日記という日記帳で、一冊で10年分が書けるのです。現在二冊目の5年目に入っており、合計15年になります。簡単なことでも15年間のシニアの記録として、遅まきながらの自分史です。                                             カメキチ

by sig (2008-07-18 12:56) 

sig

カメキチさん、メール、ありがとうございます。
日記は中学3年の初恋をきっかけに書き始めたとのこと。やはりそういう大きな精神面での変化が日記を始める動機になっているのですね。
いまでは10年日記が2冊目の15年目とか。立派な自分史ですね。それは家宝ですから、どうぞ大事に保管してくださいね。私のこの日記だって、50年も経過した今、その当時のことを本当にはっきりと思い出すことが出来るのですから
by sig (2008-07-18 13:05) 

ねこじゃらん

なんて良い話でしょう〜。
「怒らないと誓う」なんて。しかもそれを実践されて。
そして成長されて・・・素晴らしい!
う〜ん、今からでも間に合うかなあ。。(^^ゞ ぽりぽり
by ねこじゃらん (2008-07-18 13:06) 

ChinchikoPapa

こんにちは。
ものごとを整理し、落ち着いて深く考えるようになるには、記述するのがもっとも適した訓練法ではないかと思っています。頭の中で思考する場合も、やはり膨大な言葉や語彙の組み合わせによって、さまざまな論理が組み立てられるのに気づきますね。それを記述すると、さらに整理されて思考の経緯や筋道がハッキリしてくるのがわかります。高校生で日記を欠かさずつけられていたなんて、sigさん素晴らしい。
わたしは、夏休みの宿題で学校から無理やりやらされた「日記」以外、まったく試みたことがありません。^^; やり始めても、飽きっぽい正確ですから3日坊主は間違いないですね。
by ChinchikoPapa (2008-07-18 14:38) 

sig

ねこじゃらんさん、こんにちは。
sigはそれほどコチコチの人間だったのですね。自分の考えることは間違っていない、という思い上がりです。それが、思い通りにならない大きな壁にぶつかってやっと「反省」することが出来たんです。何事もなく成長したら、どうにもならないおとなになっていたのではないでしょうか。完璧な人間にはなれませんが、少なくとも違う立場の話を受け入れ、判断できるようにはなったかな、と思います。怒らないという誓いは、高校生にとってはすごい試練でした。生意気なようですが、自分の意志でその葛藤を経験したことは無駄ではなかったと思っています。
こんな思い出話を「良い話」と言ってくださるねこじゃらんさんは、わざわざこんなことを誓う必要はありませんょ。
by sig (2008-07-18 16:41) 

sig

ChinchikoPapaさん、いつも貴重なコメントをありがとうございます。
おっしゃる通り、書くという作業は、冷静に客観的に取り掛からないと出来ませんよね。その段階で、先ず気持ちが整理され、書くべき事柄が整理され、その経緯の中でポイントがはっきり見えてきて・・・。
ただ日記の場合はあまり冷静で客観的では血が通っていないものになりますから、この私の日記ではその時その時の「感情」をはっきり書いています。ですから「マル秘」とならざるを得ないのですね。
日記を書く習慣は、就職後は眠る時間もなくなり自然所滅してしまいますが、手帳へのメモだけは辛うじて続けて今日に至っております。

by sig (2008-07-18 16:59) 

sig

gankoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-18 17:00) 

sig

八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-18 22:14) 

sig

takagakiさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-18 23:07) 

sig

Takemoviesさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。

by sig (2008-07-19 08:54) 

furukaba

学生手帳を保存してあるとは驚きです。
私事になりますが学生手帳に観た映画の題名を書き込んで
ひどい目にあったことがあります。
それもこれも青春だったのかも知れませんね。
by furukaba (2008-07-19 11:08) 

sig

furukabaさん、こんにちは。
学生手帳はやはり、後年の思い出のために、ということでしまっておきました。それだけ良い思い出が多かったということです。
firikabaさんが映画の題名を記入してひどい目にあったとはよく分かりませんが、見てはいけない映画でも見たのでしょうか。(笑)
・・・としても、今から見れば取るに足りないことなんですよね。
by sig (2008-07-19 13:57) 

sig

kemmさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。

by sig (2008-07-19 20:27) 

sig

symphonyさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-20 19:33) 

sig

yannさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-07-21 11:12) 

みかっち

日記なんて、このブログでさえ思いつきしか書けないのに、
すごいですね。
でも、書くことでより強く自分で意思を固めることが出来るような、、、
そんな気がします♪
by みかっち (2008-07-21 13:59) 

sig

みかっちさん、今晩は。ご来館ありがとうございます。
とに角学生時代は一本気ですから、猪突猛進で突き進んでしまいがちなんですよね。
その場合、行動に移す前にいったん立ち止まってみるということが大事だと思うのですが、私の場合、日記がその効用をもたらしてくれていたような気がします。
今の私は日記をつけていませんが、それは、悩まなくなった、適当になったという証拠だと思いますよ。(笑)
by sig (2008-07-21 19:22) 

sig

lamerさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2008-08-01 12:35) 

sig

kurakichiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2010-10-05 10:45) 

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