世間知らずは怖いもの知らず [あんなこと、こんなこと]
あんなこと、こんなこと―35
世間知らずは 怖いもの知らず
私の映像修業-②
●シナリオコンクールの選考結果が掲載されている「シナリオ」誌 1973~1977
日活ロマンポルノと東映やくざ路線の全盛期 自分には書けない世界でした。
●グラフィックスの知識もひと通り
二度の転職のうち、最初の職場であったデパートからの転職先は六本木のデザインスタジオでした。1969(S44)年の話です。
出来たばかりの会社ですが、CMやPR映画なども受注していました。ただ何分小さいスタジオですからデザイナー以外は私一人。文章が私の役目でしたから、企画書づくりではプランナー、カタログではコピーライター、映像ではシナリオライター、と必然的に一人何役。時にはカメラを持ってレポーター、などということもありました。
またパソコンの無い当時の印刷は、写真製版といって、印刷原稿にする版下というものをデザイナーのレイアウト通りに手作りしなければなりません。タイプライターのお化けのような機械で打った写真植字をラバーセメント(ゴム糊)で版下台紙に切り張りするという細かい手作業でしたが、定規とカッターナイフとピンセットを器用にこなしました。特に1文字の誤植を張り替えるときなどは、アクセサリーの象嵌(ぞうがん)のような作業になります。まさに職人芸で、上手に出来るとうれしかったものです。
●上左/写真植字機 上右/写真植字(写植)のフォントデザイン
下 /写真製版用カメラ B全版だと6畳間縦半分くらいの巨大さ
この2台分の作業を、今ではパソコン1台で行えます。
写真は3点とも平凡社「国民百科事典」より
このように、ここでは仕事を通して実地に、広告活動の本質、それにグラフィックスのノウハウを学ぶことが出来ました。一方、映像はまだビデオに替わる前の時代で、全部フィルムによる映画です。それも会社はデザインがメインでしたから、時折入るCMや簡単なPR映画くらいしかありません。ところがそれがかえって私の修練に大いに役立ちました。
●映画づくりの流れと演出法は仕事の現場を通して
映画の仕事の流れは、私の所属するデザインスタジオが例えばある企業のPR映画を受注したとすると、それは専門の映画プロダクションにこちらから発注して作ることになります。
先方が何倍も大きな会社なのですが、こちらは発注元ですからそのプロデュースをしなければなりません。それも私の役目です。どのような映画を作るかのクライアント(発注先)との打ち合わせや企画書は自分で進めていますから、その流れで私がシナリオを書き、先方のOKを得られたらクランク・イン(撮影開始)です。
初めは何も知らない名ばかりのプロデューサーだったのですが、PR映画のロケ現場で、録音スタジオで、製作プロセスの一部始終を見ているうちに、仕事の進め方や要領が分かってきます。プロデューサーは撮影や編集機材の操作ができる必要はありません。(原理原則は分かっていなければなりませんが)。演出は演出家、カメラは撮影監督、照明はライトマン、録音は音効(音響・効果の略)さん、とそれぞれの分野のプロフェッショナルに任せて、完成までの総合的な業務管理が仕事です。(これはあくまでも当時の話。現在は制作費を抑えるために最小限のスタッフで、それこそ一人何役です)
●スタジオでのCM撮影
現場で私が特に関心をもって凝視していたのは演出法でした。作品によっていろいろな監督に依頼しましたが、私のシナリオを元にそれぞれの監督がどのような絵づくり(画面構成)を考えるか。撮影現場でスタッフにどのような指示を飛ばすか。それをじっくり見ていました。
撮影後の編集段階で特に親しくさせていただいたのは、1955年に京都大学が行ったカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の記録「カラコルム」(1956 S31)などドキュメンタリー映画の名編集者・大峰晴さんでした。大峰さんからは直接、編集室や録音スタジオで、モンタージュ(カットのつなぎ方)の考え方や編集における細かい指示の仕方などを教えてもらいました。
こうして私は、普通の映画製作現場では何年も助監督を勤めて初めて認められる演出の役を数年で手にすることになります。ただしそれは劇映画ではなく、あくまでもPR映画でのことですが、PR映画でも俳優を起用した劇仕立てもあればアニメを使うものもありました。
●シナリオも書けてこそ、の演出家
一方で、シナリオの習作も書き続けていました。シナリオとはどのようなものかを知るために最初に手にしたのは、毎年刊行される「年間代表シナリオ選集」でした。掲載されているシナリオを読んで大体の体裁を感じ取ると、無謀にも、映画化を想定してかねてから構想を練っていたネタの執筆に取り掛かかりました。書いているうちに要領が分からない部分が出てきて、書店に行ってハウツー本を探しました。そこで見つけたのは「シナリオ作法考-その二十講」。この1冊が私のシナリオ修業の先生になりました。
●上は私のシナリオ修業時代のバイブル 他に新藤兼人監督の「シナリオ修業」など
●「シナリオセンター」通信教育の教本
不朽の名作「傷だらけの天使」(1974/S49)ずいぶん刺激を受けました。
かなり書き進んだ頃、月刊「シナリオ」誌で映画シナリオコンクールの募集を知りました。折角ここまで書いたのだからどんなものか応募してみよう。何とかがんばれば締め切りに間に合うかもしれない。それからの1週間、仕事のあとはほぼ徹夜の状態で、朦朧としながらようやく書き上げたのが締切り当日でした。郵送では間に合わないので赤坂のシナリオセンターまで直接届けました。
数ヵ月後に第一次選考通過。更に第二次選考通過。最終選考で7編の内に残りました。選考委員は笠原和夫、石森史郎、田波靖男、大和屋仁、国弘威雄、沢村勉、白坂依志夫、大工原正泰、小川英(順不同・敬称略)…といった第一線で活躍中のそうそうたるメンバー。「めくら、蛇におじず」とはこのことでした。とにかく先生方から講評を頂き、気をよくして、それからコンテストには4回連続応募。みんな最終選考まで到達しました……が入賞には至りませんでした。
●審査員の講評が掲載されているコンクールの発表誌
ところがある日、テレビで「太陽にほえろ」「大江戸捜査網」のシナリオを担当されているO先生から電話をいただきました。先生は先のシナリオコンクールの選考委員でした。目黒のご自宅に伺うと「書いてみないかね」というお話。とてもうれしかったのですが、その時の私の立場は上記のデザインスタジオのNo.2(これも名ばかり)で、まもなくロスへの出張を控えていたのでした。デザインスタジオもようやく回転し始めたという段階で、どうしてもシナリオに専念する訳にはいきませんでした。結局数本お手伝いしただけで終わってしまいました。
けれども私にはそれで十分でした。私の作品がシナリオとしての文体をなしていることが一応認められたのです。それもこれからの現場で、仕事を通して磨いていこうと思いました。
●ダンボールいっぱいの習作シナリオ この処分どうしよう?
世間知らずは 怖いもの知らず
私の映像修業-②
●シナリオコンクールの選考結果が掲載されている「シナリオ」誌 1973~1977
日活ロマンポルノと東映やくざ路線の全盛期 自分には書けない世界でした。
●グラフィックスの知識もひと通り
二度の転職のうち、最初の職場であったデパートからの転職先は六本木のデザインスタジオでした。1969(S44)年の話です。
出来たばかりの会社ですが、CMやPR映画なども受注していました。ただ何分小さいスタジオですからデザイナー以外は私一人。文章が私の役目でしたから、企画書づくりではプランナー、カタログではコピーライター、映像ではシナリオライター、と必然的に一人何役。時にはカメラを持ってレポーター、などということもありました。
またパソコンの無い当時の印刷は、写真製版といって、印刷原稿にする版下というものをデザイナーのレイアウト通りに手作りしなければなりません。タイプライターのお化けのような機械で打った写真植字をラバーセメント(ゴム糊)で版下台紙に切り張りするという細かい手作業でしたが、定規とカッターナイフとピンセットを器用にこなしました。特に1文字の誤植を張り替えるときなどは、アクセサリーの象嵌(ぞうがん)のような作業になります。まさに職人芸で、上手に出来るとうれしかったものです。
●上左/写真植字機 上右/写真植字(写植)のフォントデザイン
下 /写真製版用カメラ B全版だと6畳間縦半分くらいの巨大さ
この2台分の作業を、今ではパソコン1台で行えます。
写真は3点とも平凡社「国民百科事典」より
このように、ここでは仕事を通して実地に、広告活動の本質、それにグラフィックスのノウハウを学ぶことが出来ました。一方、映像はまだビデオに替わる前の時代で、全部フィルムによる映画です。それも会社はデザインがメインでしたから、時折入るCMや簡単なPR映画くらいしかありません。ところがそれがかえって私の修練に大いに役立ちました。
●映画づくりの流れと演出法は仕事の現場を通して
映画の仕事の流れは、私の所属するデザインスタジオが例えばある企業のPR映画を受注したとすると、それは専門の映画プロダクションにこちらから発注して作ることになります。
先方が何倍も大きな会社なのですが、こちらは発注元ですからそのプロデュースをしなければなりません。それも私の役目です。どのような映画を作るかのクライアント(発注先)との打ち合わせや企画書は自分で進めていますから、その流れで私がシナリオを書き、先方のOKを得られたらクランク・イン(撮影開始)です。
初めは何も知らない名ばかりのプロデューサーだったのですが、PR映画のロケ現場で、録音スタジオで、製作プロセスの一部始終を見ているうちに、仕事の進め方や要領が分かってきます。プロデューサーは撮影や編集機材の操作ができる必要はありません。(原理原則は分かっていなければなりませんが)。演出は演出家、カメラは撮影監督、照明はライトマン、録音は音効(音響・効果の略)さん、とそれぞれの分野のプロフェッショナルに任せて、完成までの総合的な業務管理が仕事です。(これはあくまでも当時の話。現在は制作費を抑えるために最小限のスタッフで、それこそ一人何役です)
●スタジオでのCM撮影
現場で私が特に関心をもって凝視していたのは演出法でした。作品によっていろいろな監督に依頼しましたが、私のシナリオを元にそれぞれの監督がどのような絵づくり(画面構成)を考えるか。撮影現場でスタッフにどのような指示を飛ばすか。それをじっくり見ていました。
撮影後の編集段階で特に親しくさせていただいたのは、1955年に京都大学が行ったカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の記録「カラコルム」(1956 S31)などドキュメンタリー映画の名編集者・大峰晴さんでした。大峰さんからは直接、編集室や録音スタジオで、モンタージュ(カットのつなぎ方)の考え方や編集における細かい指示の仕方などを教えてもらいました。
こうして私は、普通の映画製作現場では何年も助監督を勤めて初めて認められる演出の役を数年で手にすることになります。ただしそれは劇映画ではなく、あくまでもPR映画でのことですが、PR映画でも俳優を起用した劇仕立てもあればアニメを使うものもありました。
●シナリオも書けてこそ、の演出家
一方で、シナリオの習作も書き続けていました。シナリオとはどのようなものかを知るために最初に手にしたのは、毎年刊行される「年間代表シナリオ選集」でした。掲載されているシナリオを読んで大体の体裁を感じ取ると、無謀にも、映画化を想定してかねてから構想を練っていたネタの執筆に取り掛かかりました。書いているうちに要領が分からない部分が出てきて、書店に行ってハウツー本を探しました。そこで見つけたのは「シナリオ作法考-その二十講」。この1冊が私のシナリオ修業の先生になりました。
●上は私のシナリオ修業時代のバイブル 他に新藤兼人監督の「シナリオ修業」など
●「シナリオセンター」通信教育の教本
不朽の名作「傷だらけの天使」(1974/S49)ずいぶん刺激を受けました。
かなり書き進んだ頃、月刊「シナリオ」誌で映画シナリオコンクールの募集を知りました。折角ここまで書いたのだからどんなものか応募してみよう。何とかがんばれば締め切りに間に合うかもしれない。それからの1週間、仕事のあとはほぼ徹夜の状態で、朦朧としながらようやく書き上げたのが締切り当日でした。郵送では間に合わないので赤坂のシナリオセンターまで直接届けました。
数ヵ月後に第一次選考通過。更に第二次選考通過。最終選考で7編の内に残りました。選考委員は笠原和夫、石森史郎、田波靖男、大和屋仁、国弘威雄、沢村勉、白坂依志夫、大工原正泰、小川英(順不同・敬称略)…といった第一線で活躍中のそうそうたるメンバー。「めくら、蛇におじず」とはこのことでした。とにかく先生方から講評を頂き、気をよくして、それからコンテストには4回連続応募。みんな最終選考まで到達しました……が入賞には至りませんでした。
●審査員の講評が掲載されているコンクールの発表誌
ところがある日、テレビで「太陽にほえろ」「大江戸捜査網」のシナリオを担当されているO先生から電話をいただきました。先生は先のシナリオコンクールの選考委員でした。目黒のご自宅に伺うと「書いてみないかね」というお話。とてもうれしかったのですが、その時の私の立場は上記のデザインスタジオのNo.2(これも名ばかり)で、まもなくロスへの出張を控えていたのでした。デザインスタジオもようやく回転し始めたという段階で、どうしてもシナリオに専念する訳にはいきませんでした。結局数本お手伝いしただけで終わってしまいました。
けれども私にはそれで十分でした。私の作品がシナリオとしての文体をなしていることが一応認められたのです。それもこれからの現場で、仕事を通して磨いていこうと思いました。
●ダンボールいっぱいの習作シナリオ この処分どうしよう?
すごいですね!太陽にほえろのシナリオですか!
そちらの方面にも進まれたんでしょうか?
処分なんてもったいない!
大事に保管してください♪
by ちゃこちゃん (2009-05-28 00:29)
sigさんのなさっていたプロデューサーの仕事、やはり総合的な業務なのですね。いくつもの要素が総合されて、一つの仕事として完成してゆくのは、ご苦労も多かったと思いますが、楽しかったのではないでしょうか?
シナリオも書いていらっしゃったんですね。素晴らしいです。
by アヨアン・イゴカー (2009-05-28 08:31)
sigさんすごい!
この道をきわめてらしたんですね
もしかしたら太陽にほえろの次作のシナリオなんかを手掛けて他かも知れないんですね~
sigさんの情熱と才能が開花した瞬間だったのですよね
シナリオは財産ですよ~ 処分なんて勿体ないです
by Qoo (2009-05-28 09:34)
ちゃこちゃん、こんにちは。
この先に書くことになるかと思いますが、人生にはいくつもの岐路があります。私はひとつのことを深く追求していくタイプではなさそうなんです。シナリオだけで、という資質に不安もありましたし、結局トータルで映像をつくる演出の方へ向かいました。昔、仕事の合間を縫って書いた習作は読むに耐えませんが、自分のその時代が塗りこめられているので、捨てられません。
部屋がなかなか片付きません。W
by sig (2009-05-28 09:38)
xml_xslさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 09:39)
paceさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 09:40)
takemoviesさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 09:40)
以前、お話しさせて頂いたかも知れませんが・・・
西澤實先生と仰る、NHK(ラジオ)専属の脚本家の方がみえます。
その方は、ラジオの黄金期に沢山のシナリオを作ってみえます。
今でも、音声表現だけのシナリオを作っておられ、話芸集団・朗読集団の
主宰もされております。
また、色々な文学作品のシナリオも手掛けられております。
ただ、拝聴して思う事は、一通りな人生経験では難しい
多種多彩な知識が無いと書けないと思いました。
私のライフワークは、芥川龍之介の【杜子春】をシナリオ化する事
いえいえ、ライフワークと言っても、まったくの手付けず^^;Aアセアセ
今は、いろんな杜子春(原典版等)の本を探し研究中です。
by kontenten (2009-05-28 09:46)
アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
仕事の立場としてプロデューサーというのは大げさなんです。やっていたことはアヨアン・イゴカーさんとよく似ていると思います。
プロデューサーの最重要項目は、ご承知のようにお金の管理と人の手配だと思います。予算の範囲内で、期限までに、問題なく納める・・・これですよね。ですから監督に対しても役者に対しても注文を出す必要が出てくるのです。監督はその作品の責任者ですが、プロデューサーは利益を上げる必要がある、というところが大きな違いだと思います。
ただその時の私は、あくまでも立場上プロデュースをやらざるを得なかったのですが、進みたい方角は演出でした。ですからすべて独学ですがシナリオも書いていたのです。
by sig (2009-05-28 09:52)
Yukiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 09:53)
Qooさん、こんにちは。
そんなおおげさなー。結局は他にできることがなかったということですよ。
あるいは逆に、やりたいことが多すぎて絞り込めなかったというもあるかも。
矛盾してますよね。でも人間とは矛盾の塊なんですよね。
書き溜めたシナリオは家人にとっては全くのゴミですね。W
by sig (2009-05-28 09:59)
kontentenさん、こんにちは。
だんだんこちらのボロが見えてくるのですが、自分史ブログとした以上、仕方ありませんね。こんなことまで書くつもりはなかったのですが、ここまで書き進めてくると、その延長上の事柄を抜くわけに行かなくなりました。
西澤實先生はお話し集団で現在もすばらしいお仕事をなさっておられますね。シナリオを書くには「一通りな人生経験では難しい」…その通りだと思います。挫折を体験する必要があります。挫折が思慮を深くすると私は思います。(えらそうに W)
ドラマのシナリオは、自分で設定した登場人物を動かすわけですが、それは自分の分身ですから、自身が希薄だと希薄な台詞や行動しか起こしてくれません。作品が薄っぺらになる所以ですね。
kontentenさん、ライフワークなどと気長に言わずに「杜子春」に取り掛かってみましょうよ。書きながら考えるのがいちばんいいと思いますよ。まず書き上げて、まずければ書き直しを繰り返す。それが私流の進め方でした。
by sig (2009-05-28 10:15)
SILENTさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 10:15)
お茶屋さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 10:16)
敬服!先年、亡くなった下川辰平氏は……同郷の先輩でした……合掌。
by 漢 (2009-05-28 10:56)
漢さん、こんにちは。
そうでしたか。温かみのある方でしたね。
漢さんはその後継者ですね。
by sig (2009-05-28 11:04)
版下作業は少し手伝いでやったことあります。
先のとがったピンセットでやりました。
by yann (2009-05-28 12:21)
ヨタ8さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 12:29)
写植機!懐かしいな、私も随分お世話になりましたよ。
版下作業も長くやってました。
by 路渡カッパ (2009-05-28 12:31)
yannさん、こんにちは。
あはは・・・経験おありですか。細い先が曲げてあるピンセットでしたね。
by sig (2009-05-28 12:33)
路渡カッパさん、こんにちは。
版下作業は細かくて根気のいる仕事でしたね。
パソコンが出始めの頃、フォントをたくさん搭載しているのを見てまず思ったことは、写植屋さんはどうなるんだろうということでした。まあ、うまく方向転換されたとは思いますが。
by sig (2009-05-28 12:39)
Qちゃんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 13:49)
プリンさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 13:50)
こんにちは。
わたしは、いまだに映像分野の仕事が入ってくると、ディレクションを映像エキスパートのメンバーにお任せしています。WebがらみのFlash映像でも、システムの世界と映像の世界とでは、目には見えませんが制作姿勢に大きな違いがありますね。システム畑出身のFlashコーディネータとは、お話が通じることが多いのですが、映像畑からの方だと映像そのものの捉え方について非常に専門的で、わたしの浅知恵ではまったくついていけません。^^;
シナリオのご執筆、すばらしいですね。唯一、高校3年生の文化祭のとき、演劇用のシナリオを書いたことがあるのですが(受験勉強などせず、こんなことばかりしてました)、難しくてそれ以来チャレンジしたことはありません。シナリオは、常に脳裏へ明確な映像イメージ(連続する具体的な画コンテ)が浮かんでこないと、なかなか難しいですね。もっとも、想像力が求められる分野だと思います。
by ChinchikoPapa (2009-05-28 15:55)
shinさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 16:39)
kakashisannpoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 16:40)
ChinchikoPapaさん、こんにちは。
映像づくりは世代にもよるのではないでしょうか。撮影所でたたき上げてきたいわゆるアナログタイプの「職人」さんと、学校で映画を学んだデジタル世代とです。
後者は例えば1960年代のヌーベルヴァーグに見るように、既存の作り方にこだわらず、むしろ新しい方法論を持つ層です。最近の日本映画が面白くなっているのは、その辺りにあるのでは、とおもっているのですが。
こうした層であれば当然、これからの映像はデジタルだし、またパソコン世代でもある訳ですから、WebがらみのFlash映像に対する理解も知識も感性も備えていると思います。
前に書いたのですが、困ったことに私には、ちょっとかじってみて分かればそれでいいというところがすべてにおいてあるようなのです。ここには書きませんでしたが、「TVドラマでは正味45分で事件を解決しなければならない。犯罪者は根っからの悪人。それでいい」といわれたあたりがちょっと引っかかりました。まあ、当時からアメリカ映画はそういう描き方でしたね。
私には、心理描写を細かく書き込まなければならない小説や、場面が限定される戯曲は大儀で苦手です。
映画は時空間を自在に飛躍できますし、台詞を書き並べるだけで、主人公の感情を観客(読者)に委ねればいいシナリオの方が簡単で楽なのですよ。W
by sig (2009-05-28 17:18)
NOBUさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 17:19)
こんばんは、私の知らないことばかり、でも凄く物知りに
為りそうですよ。
お訪ね頂き有り難う御座いました。今後も宜しく。
by 吉之輔 (2009-05-28 18:41)
チョコシナモンさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 18:45)
lamerさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 18:45)
吉之輔さん、こんばんは。
いえいえ、こちらこそ。
日舞については全く知らない私にとっては、吉之輔さんのブログはとても参考になりますよ。
そのように励ましていただくと元気が出ます。W
by sig (2009-05-28 18:49)
sigさん こんばんは
シナリオコンクールで入賞していたら このブログ拝見できなかったかもしれませんね
by いぬ (2009-05-28 19:45)
りぼんさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 21:44)
いぬさん、こんばんは。
あははは・・・。
でもね、どっちにしても、もう引退の年なんですよ。
だから、どっちみちブログは始めたかもしれませんね。
by sig (2009-05-28 21:51)
disneyworldさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 21:52)
私も演劇の世界に20年ほどおりまして
版下からお願いしチラシ印刷してました
なつかしい
台本はみなさん言うように捨てるなんて!
by keysun (2009-05-28 22:51)
八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 23:18)
うにさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-28 23:19)
keysunさん、こんばんは。
今でも演劇人をお続けでしょうか。私もひところ狂いました。W
いろいろな人格に変われるところが魅力でした。その経験は映像演出で役に立っていると思います。
書き溜めたシナリオについて暖かいお言葉、ありがとうございます。
今までどおり、納戸にしまっておきたいと思います。
by sig (2009-05-28 23:25)
sigさんすごーい!
シナリオ、数本お手伝い… とありますが、書かれたってことですよね?
じゃあ、sigさんのシナリオの太陽にほえろ、見た事があったのかなぁ ^^
「太陽にほえろ!」といえば、ロケを見に行って
雪の中で銃を撃たせてもらいました。空砲ですが(笑)
sigさんのオリジナルのシナリオ、読んでみたいです *^-^*
by 銀猫 (2009-05-29 07:55)
leoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-29 09:35)
PAPAさん、はじめまして。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-29 09:36)
銀猫さん、こんにちは。
「太陽」と「大江戸」の場合には作家グループが構成されていてました。私は駆け出しでしたから、主にストーリーを考える二軍の役割でした。私の書いた本もレギュラーのライターの手が入りました。お手伝いとはそういう意味です。
自分にシナリオライターとして立つ意志があればそちらに舵を切ったでしょうが、上に書いた通り他にやらなければならないことがあったのでした。人生におけるひとつの岐路ではあったかもしれませんね。
by sig (2009-05-29 09:54)
「太陽にほえろ!」すごい〜!!
うまく行ってる時は人生の選択肢が多くて恵まれてるようで迷ってしまいますよね。
by キク (2009-05-29 11:33)
sig さん、こんにちは!!
月間シナリオ・シナリオ教室は、私もたくさん持っています!
(年代はかなり違うかもしれませんが・・・)
書かれた脚本が実際に映像化されたのですね、すごいです!
私は現在も城戸賞などに応募を続けて腕を磨いている段階です。
某シナリオコンクールでは、3回ほど最終選考に残りましたが、
まだ入選には至っておらず、でも、これからも続けていこうと思っています。
記事を読みすすめるに連れて、鳥肌がたちました。
いろんな刺激をありがとうございます。泣きそうです。。。
by gyaro (2009-05-29 13:40)
amiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-29 15:45)
gyaroさん、こんにちは。
城戸賞は1974年からで、私がそうした応募から手を引いた頃生まれた賞なんですね。「もう少し早かったら」と思ったことを覚えています。受賞が仕事に直結するいい賞だと思います。
私が書いていた時代はポルノとやくざの時代でした。それがイヤならそれらを一掃するほどのものを書けばいいのですが、その時はそんな映画界に魅力を感じていませんでした。それと、ライター専業ではやりたくなかったということもありました。そのあたりが私の選択であり、分岐点です。
このブログ自分史は挫折の覚書のようなものです。成功していたらこんなことはやっていないわけでしょうから。けれども後悔はありません。
今の日本映画界は、世代が変わって活気を取り戻したと思います。
城戸賞、ぜひがんばってください。
by sig (2009-05-29 16:09)
サチさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-29 16:10)
Kimukutaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-29 16:36)
キクさん、順番間違えてごめんなさい。
いえいえ、決してうまくなんか行っていないのです。
うまく行かないのは選択肢が絞られていないからなんですよ。
このブログは失敗と挫折の記録なんですよ。
by sig (2009-05-29 17:01)
こんばんは
いろんな昔の機器を見ていて、思ったのですが、昔は、現代のような、センサーが無く、腕すなわち技で、色んな機器を使っていました。
自動調整が、悪いことではないですが、それぞれのプロがいたわけですね。
???
by とらさん (2009-05-29 18:34)
とらさん、こんばんは。
そうですね。昔はそれぞれの分野で細かく分業されていたものが、現在ではパソコンとソフトによって個人でたいていのことをこなせるようになりました。技術的な熟練者が要らなくなった訳ですね。印刷技術は特に大規模な機材と熟練者を必要としていましたが、真っ先に失業者を出した分野ではないでしょうか。
by sig (2009-05-29 19:22)
輝かしい歴史が次から次へと.....*oдO●)オドロィタァ。o○
ウチの父親は、当時、写植の仕事をしておりましたので、
物心ついたときにこんな機械を事務所でみせてもらったことがあるかも....
少し前まで、実家にも○百万も借金して買った機会がありましたが、
パソコンの普及でお払い箱、ただのガラクタになってしまいました。
by みかっち (2009-05-29 20:19)
みかっちさん、こんばんは。
そうなんだー、写植をご存知なんだ。割と共通点がありますね。
パソコンが登場して真っ先に影響を受けたのが印刷関係だと思います。大げさな機械を使わずに、文字を自在に書体を変えてキーボード上で打ち出せるんですからね。また、Macなら製版フィルムまで出力できるのです。
映像関係では1000万円もしていた二次元アニメ用コンピュータが、パソコンの登場でたちまち半額になり、最後は300万まで落ちたあと、パソコンに座を譲りました。パソコンは20世紀の産業革命だったのですね。
私の経歴は決してほめられたものではなく、逆に選択の失敗や挫折の連続なのです。自分の自慢を書ける訳はなく、ここに書いたことも結局は中途半端に終わっています。だから書いています。多分、もっと書くかも。w
by sig (2009-05-29 21:15)
「漢」さんのブログから訪問させて頂いています。最近こういった感じの素晴らしい記事が少なくて、目を凝らして拝見させて頂きました。僕の分野とは違いますが分かる気がします。
僕の父親が京都撮影所で大部屋だったものですから、小さい頃は色々な事を聞いてはいましたが今は覚えていません。
懐かしい~~~です。
by ばん (2009-05-29 21:49)
ばんさん、こんばんは。
ありがとうございます。これは自分史をブログでやったらどんなものになるのだろうということで、自分自身のために始めたものなんです。そうでもしないとこんなもの書き続けられないと思ったからなんです。日記、写真の形式が一般的な中で、こんなに文字が多いものを、また、こんな私的な内容を誰が読んでくれるのだろうと思いながら進めてきて1年5ヶ月になります。毎回推敲のためにプリントアウトして確認しているのですが、それが7cm程の厚さになりました。半分は写真ですが、われながらよく続いていると思いました。継続、蓄積、という言葉をかみしめております。
「映像」と「ステージ」とは無関係ではありません。これからもどうぞよろしく。
by sig (2009-05-29 23:31)
やっぱムービーはいいな~!!!
by pace (2009-05-30 00:40)
映像関係の色々な仕事に携わり、色々な経験をつまれた上でのシナリオの執筆、そして演出と映像関係の仕事にのめり込んで?行かれたのですね。
by カメキチ (2009-05-30 10:15)
m6324さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 11:19)
花火師さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 11:20)
c_yuhkiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 11:21)
U3さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 11:21)
やまがたんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 11:22)
paceさん、こんにちは。
大型バイクもムービーも最高ですねー。
バイクのムービーなら、もっとサイコー!!
by sig (2009-05-30 11:24)
カメキチさん、こんにちは。
狙いどころは映像なのですが、核心にずばり切り込めないで、周囲を回ってばかりいたのではないかと思います。それは自分の支えとなる自信が無かったからです。自信の無さは無学ゆえです。でもそれが現実ですから、自分が体験したことを何とか統合しようとしていました。その結果がどっちつかずに終わった今の状況なんですね。それがこの自分史の概要なんです。
by sig (2009-05-30 11:32)
すばらしい財産たち、これは永久保存でしょう!(*´∀`*)
by Ja-Kou66 (2009-05-30 13:23)
Ja-Kou66さん、こんにちは。
ありがとうございます。一応、青春時代の模索のしるしとして・・・
by sig (2009-05-30 15:14)
rebeccaさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 19:00)
ねこじゃらんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 19:01)
凄い希少な資料満載ですね!!
特に書体が懐かしい感じがしてなりません~(^o^)
by tomickey (2009-05-30 20:47)
tomickeyさん、こんばんは。
資料とゴミは紙一重なんです。W
写真植字のいろいろな書体以上に、今のパソコンでは豊富な書体を自由に使うことが出来ますね。
この当時はA4、1枚の写植を¥2,000~3,000円で打ってもらっていたのです。
by sig (2009-05-30 23:13)
furukabaさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-30 23:14)
レナさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-31 00:54)
ponchiさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-05-31 01:03)
太陽にほえろ、懐かしいです。
by yuki999 (2009-05-31 15:46)
yuki999さん、こんばんは。
ふだんはTVはあまり見ないのですが、このお話を受けたときだけは一生懸命に見ました。W
もう昔の話になってしまいましたね。
コメントありがとうございました。
by sig (2009-05-31 20:56)
わたしでもシナリオライターになれますでしょうか(=^_^=)
笑わせるだけの文章ならお手の物なのですが(*^θ^*)
by U3 (2009-05-31 22:17)
Uさん、こんにちは。
結果的にシナリオライターにならなかった(なれなかった)私ですから何ともいえませんが、「笑わせる」というベースはアイロニーだと思うので、その点Uさんは有望なのでは。それに有無を言わさぬ筆力もあるし。
特に伊能忠敬の回と最新の記事には、良くぞ書いた、と敬服しました。
シナリオライター(小説も戯曲もでしょうが)を突き動かす原動力は怒りかもしれません。自分の本心をさらけ出し、身を削り血がほとばしるような職業だと言われます。あの文にそれを感じました。それが、表現の仕方によってシリアルになったりファースになったりするのでしょうね。
by sig (2009-06-01 09:11)
いっぷくさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-03 09:13)
Yubarimeronさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-03 09:13)
Nyandamさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-03 18:18)
corradoさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-06 00:05)
kemmさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-14 17:18)