輝く、ということ [あんなこと、こんなこと]
あんなこと、こんなこと―39
輝く、ということ
私がフリーになりたての頃。偶然のめぐり合わせですが、二人のかけがえのない方々と出会いました。
お二人ともフォトグラファー。はっきりとした信念をバックボーンに、自分から積極的に働きかけて周りに行動を促す、強いパワーをおもちの方たちでした。
●原爆の跡を記録した写真家、林重男さん
前回お話ししたデザイナーのIさんは私よりずっと年上で、元は東映動画でテレビアニメ「狼少年ケン」などのアニメーションに携わっていた人なのですが、その後大きなデザインスタジオを経てフリーのデザイナーとして活躍されていました。そのIさんのパートナーが、目黒に写真スタジオを持つ写真家の林さんでした。
Iさんが、「とても愉快な人だから」と案内してくれたのは、1975(S50)年のことだったと思います。バス停からすぐ近くがご自宅で、1階の応接間以外は全部、写真スタジオと現像などのバックヤードになっていたと思います。豪放磊落を絵に描いたような明るいお人柄で、ひところは芸能誌「平凡」などのグラフィックページで美空ひばりなどを撮っていたこともあったようですが、その時はIさんが受注したパンフレットの写真の打ち合わせでした。
それをきっかけに、まだ暇だった私はちょくちょく一人で林さんのスタジオに遊びに行きました。そんなある日、とても忙しそうなところへ顔を出してしまいました。写真展の準備中だったのです。「原爆だよ原爆」と言って見せてくださったのは、爆撃で一面の焼け野原になった街の写真です。「写真展は8月の恒例行事でね。それ広島だよ。360度のパノラマ写真を作るんだよ」と言われて覗き込んだ私の脳裏に、中学生の頃学校で見に行った丸木位里・丸木俊夫妻による「原爆の図」のあの衝撃的な描写が重なりました。
林さんは原爆投下の2ヵ月後。終戦直後の1945(S20)年10月中旬に原爆調査団の一員として現地に入り、広大な瓦礫の原と化した悲惨な状況を写真で記録したその人だったのです。その時の様子を話していただきましたが、林さんの顔からはあの人懐こい笑顔は消え、怖いほど厳しい表情に変わっていました。これがたった一発の爆弾の威力とは到底信じられなくて、しばしその場に立ちすくんでいたそうです。
林さんたち調査団が撮影した原爆被害の写真は、8月終戦のシーズンが到来すると全国各地の平和祈念催事で不可欠のものとなりました。海外にも広く伝えられ、原爆の悲惨さと平和の尊さを訴え続けています。1994(H6)年には、林さん撮影の、12枚をつないだ見事なパノラマ写真は、広島市で新装成った「平和祈念資料館」の壁面いっぱいに飾られることになりました。
その前にお孫さんにあたるお嬢さんの就職が決まったそうです。林さんにとっていちばんうれしかったこと。それは、お祝いを何にしようかとたずねたところ「広島へ行きたい。じいじのした仕事を見たいから」と言われたことだといいます。林さんは自分の伝えたいメッセージが、確実に次の世代に引き継がれていくことを確信されたと思います。
●マザー・テレサの慈愛のこころを伝える沖守弘さん
1976(S51)年8月。企画プロダクションのD社で、林野庁(当時)のPRスライドを作るということで、沖守弘さんという写真家とコンビを組みました。全国の児童に植樹を奨励するねらいで、1泊で茨城県に出向き、私のシナリオを元に小学校とその周辺で植樹風景などを撮影しました。沖さんも私よりずっと年上で、社会派のカメラマンでしたがとても物静かな方でした。
その仕事が終わった後も時々D社でお会いしましたが、ある時「明日からインドへ行ってきます」と言われました。マザー・テレサという人を撮りに行くというのです。初めて聞く名前でした。そのはずです。1979年にノーベル平和賞を受賞することになるその人の名は、この沖さんが日本にはじめて紹介した人だったのですから。
沖さんは1974年にカルカッタの古本屋で見つけた書籍からマザー・テレサという人を知り、写真家のテーマとして不足はないということで、すでに何回かインドに渡り、ようやくマザーの許可が得られたと意気込んでおられました。その時の成果が1978(S53)年に紀伊国屋ホールで開催された「マザー・テレサとその姉妹たち」という写真展でした。私も見に行きましたが大盛況で、展示写真で編纂された写真集も大好評でした。
沖さんはその後もマザー・テレサとインドの風土に魅せられて80回もインドへ出向かれることになのですが、マザーに接するたびに、最初片隅に抱いていたご自分の狭小な功名心が洗い流され、この貧困の現状を世界に伝えなければ、という気持ちが深まっていったということです。
こうして沖さんの写真展、出版活動は水紋のように広がり、マザー・テレサの慈愛に満ちた崇高な行いは全世界の人々に知られることとなりました。
マザーの晩年、1997(H9)年。ご自身の病を抑えながら病床のマザーを見舞った沖さんのテレビドキュメンタリーでは、マザーの姿こそ映りませんでしたが、それはまさに神としもべの光景を見る思いがしました。
その後も沖さんの活動は、バルセロナのサグラダ・ファミリアで写真展を行うなど、現在も精力的に続けられています。
林さんは 破壊による悲劇 を写真に写し取られました。
沖さんは 慈愛による救済 の姿を写し取られました。
私はお二人の写真は表と裏でつながっているような気がします。
お二人は仕事を通して神を見た人だと思います。
その時からそれは仕事ではなくなった。
神の啓示を受けたように、それを世界に伝えることを使命と感じ、自ら伝道者となって一生をささげようとの決意を持つほどに、その体験は深いものがあったのだと思います。
そこに私は、まさに男子の本懐とも言うべきみごとな生き様を見るのです。
輝く、ということ
私がフリーになりたての頃。偶然のめぐり合わせですが、二人のかけがえのない方々と出会いました。
お二人ともフォトグラファー。はっきりとした信念をバックボーンに、自分から積極的に働きかけて周りに行動を促す、強いパワーをおもちの方たちでした。
●原爆の跡を記録した写真家、林重男さん
前回お話ししたデザイナーのIさんは私よりずっと年上で、元は東映動画でテレビアニメ「狼少年ケン」などのアニメーションに携わっていた人なのですが、その後大きなデザインスタジオを経てフリーのデザイナーとして活躍されていました。そのIさんのパートナーが、目黒に写真スタジオを持つ写真家の林さんでした。
Iさんが、「とても愉快な人だから」と案内してくれたのは、1975(S50)年のことだったと思います。バス停からすぐ近くがご自宅で、1階の応接間以外は全部、写真スタジオと現像などのバックヤードになっていたと思います。豪放磊落を絵に描いたような明るいお人柄で、ひところは芸能誌「平凡」などのグラフィックページで美空ひばりなどを撮っていたこともあったようですが、その時はIさんが受注したパンフレットの写真の打ち合わせでした。
それをきっかけに、まだ暇だった私はちょくちょく一人で林さんのスタジオに遊びに行きました。そんなある日、とても忙しそうなところへ顔を出してしまいました。写真展の準備中だったのです。「原爆だよ原爆」と言って見せてくださったのは、爆撃で一面の焼け野原になった街の写真です。「写真展は8月の恒例行事でね。それ広島だよ。360度のパノラマ写真を作るんだよ」と言われて覗き込んだ私の脳裏に、中学生の頃学校で見に行った丸木位里・丸木俊夫妻による「原爆の図」のあの衝撃的な描写が重なりました。
林さんは原爆投下の2ヵ月後。終戦直後の1945(S20)年10月中旬に原爆調査団の一員として現地に入り、広大な瓦礫の原と化した悲惨な状況を写真で記録したその人だったのです。その時の様子を話していただきましたが、林さんの顔からはあの人懐こい笑顔は消え、怖いほど厳しい表情に変わっていました。これがたった一発の爆弾の威力とは到底信じられなくて、しばしその場に立ちすくんでいたそうです。
林さんたち調査団が撮影した原爆被害の写真は、8月終戦のシーズンが到来すると全国各地の平和祈念催事で不可欠のものとなりました。海外にも広く伝えられ、原爆の悲惨さと平和の尊さを訴え続けています。1994(H6)年には、林さん撮影の、12枚をつないだ見事なパノラマ写真は、広島市で新装成った「平和祈念資料館」の壁面いっぱいに飾られることになりました。
その前にお孫さんにあたるお嬢さんの就職が決まったそうです。林さんにとっていちばんうれしかったこと。それは、お祝いを何にしようかとたずねたところ「広島へ行きたい。じいじのした仕事を見たいから」と言われたことだといいます。林さんは自分の伝えたいメッセージが、確実に次の世代に引き継がれていくことを確信されたと思います。
●マザー・テレサの慈愛のこころを伝える沖守弘さん
1976(S51)年8月。企画プロダクションのD社で、林野庁(当時)のPRスライドを作るということで、沖守弘さんという写真家とコンビを組みました。全国の児童に植樹を奨励するねらいで、1泊で茨城県に出向き、私のシナリオを元に小学校とその周辺で植樹風景などを撮影しました。沖さんも私よりずっと年上で、社会派のカメラマンでしたがとても物静かな方でした。
その仕事が終わった後も時々D社でお会いしましたが、ある時「明日からインドへ行ってきます」と言われました。マザー・テレサという人を撮りに行くというのです。初めて聞く名前でした。そのはずです。1979年にノーベル平和賞を受賞することになるその人の名は、この沖さんが日本にはじめて紹介した人だったのですから。
沖さんは1974年にカルカッタの古本屋で見つけた書籍からマザー・テレサという人を知り、写真家のテーマとして不足はないということで、すでに何回かインドに渡り、ようやくマザーの許可が得られたと意気込んでおられました。その時の成果が1978(S53)年に紀伊国屋ホールで開催された「マザー・テレサとその姉妹たち」という写真展でした。私も見に行きましたが大盛況で、展示写真で編纂された写真集も大好評でした。
沖さんはその後もマザー・テレサとインドの風土に魅せられて80回もインドへ出向かれることになのですが、マザーに接するたびに、最初片隅に抱いていたご自分の狭小な功名心が洗い流され、この貧困の現状を世界に伝えなければ、という気持ちが深まっていったということです。
こうして沖さんの写真展、出版活動は水紋のように広がり、マザー・テレサの慈愛に満ちた崇高な行いは全世界の人々に知られることとなりました。
マザーの晩年、1997(H9)年。ご自身の病を抑えながら病床のマザーを見舞った沖さんのテレビドキュメンタリーでは、マザーの姿こそ映りませんでしたが、それはまさに神としもべの光景を見る思いがしました。
その後も沖さんの活動は、バルセロナのサグラダ・ファミリアで写真展を行うなど、現在も精力的に続けられています。
林さんは 破壊による悲劇 を写真に写し取られました。
沖さんは 慈愛による救済 の姿を写し取られました。
私はお二人の写真は表と裏でつながっているような気がします。
お二人は仕事を通して神を見た人だと思います。
その時からそれは仕事ではなくなった。
神の啓示を受けたように、それを世界に伝えることを使命と感じ、自ら伝道者となって一生をささげようとの決意を持つほどに、その体験は深いものがあったのだと思います。
そこに私は、まさに男子の本懐とも言うべきみごとな生き様を見るのです。
深いです。
総じて、sigさんとの出会いも
あるべくしてあったものだと思いました。
by Ja-Kou66 (2009-06-11 00:16)
Ja-Kou66さん、こんばんは。
3000niceの きりばんでしたよー。どうすればいいのかな。
とりあえず ありがとうございま~す。
なぜか私の知り合いはカメラマン(フォトグラファー)の方が多いんですよ。
やっぱり文字は写真にかないませんね。
それに、この生き方には太刀打ちできません。
いつもコメントありがとうございます。
by sig (2009-06-11 00:35)
sigさん(*´・ω・)ノ†ぉはょぅ†ございます。
本当、、、出会いって素敵ですよ(o^-')b
出あった事で影響受けたり、知識を得たりします。
広い世界でめぐり会った事を大切にしたいと
思っています。
by チョコシナモン (2009-06-11 08:20)
sigさんおはようございます。
二人の写真家との出会い素晴らしいですね。沖守弘さんのマザーテレサ写真集は私も見ました。二人のカメラマンとの出会いはシナリオライターとしての生き方が方向付けられたのでしょうね。
by カメキチ (2009-06-11 10:04)
素敵な出会いですね。
人の縁って本当に大切だなぁと思います。
広島は小学生の頃初めて行ったのですが、原爆資料館での衝撃は今でも忘れられません。
今、アメリカも核縮小の動きを見せているようなので、日本がもっと被爆国としてリーダーシップがとれると良いですよね。
by キク (2009-06-11 10:05)
チョコシナモンさん、こんにちは。
1億2千万人の中の一人との出会いですからね。
結婚もそうだし、このブログもひとつの出会いですよね。
いい人との関係は大切に。
でも、ためにならない人とは早く縁を切りましょう。笑
by sig (2009-06-11 10:09)
カメキチサン、こんにちは。
このお二人の生き方は、まるで神様のようです。
自分の目先のことにしか考えが及ばない私のような凡人は、とても足元にも及びません。
でも、世の中にはすごい人がいるのだということが、私のどこかで支えになっています。
とにかく、写真はすごいです。
ライターへの道は挫折の連続です。次回あたり、それを書くことになるでしょう。これはサクセスストーリーではなく、挫折の自分史なのですから。
by sig (2009-06-11 10:15)
kakashisannpoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-11 10:16)
キクさん、こんにちは。
原爆の被害写真が世界の人たちに与えた力は本当に大きいでしょうね。
林さんは破壊による悲劇を写真に写し取られました。
沖さんは慈愛による救済の姿を写し取られました。
私はお二人の写真は表と裏でつながっているような気がします。
そんなお二人に会えたということも、偶然ではないような気がするのです。
それが何かは分かりませんが・・・
コメントありがとうございました。
by sig (2009-06-11 10:21)
人との出会いは人数の多少ではないですね、
これは偶然だけじゃなくてsigさんと出会うべくして出会った人のような気がします。
私は個人的な体験のみで人に伝えることなどできない凡人ですが1978年にインドに長期旅行をして以来、数度インドに行き日本と大きく異なる文化に衝撃を受けて今でもそれは人生の大きな糧になっています。
by いっぷく (2009-06-11 11:03)
ChinchikoPapaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-11 11:31)
いっぷくさん、いろいろコメントありがとうございます。
お二人に啓発されて、もっとましな人間になっていればいいのですが・・・
でも、何かの時に、お二人ならこの場合・・・と考えることがありますね。
いっぷくさんもインドの大ファンでしたね。観光旅行と長期旅行とは最初の目的から質的に違うはずで、いっぷくさんも大きなものを得てお帰りになったことと思います。
by sig (2009-06-11 11:39)
漢さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-11 12:18)
素晴らしい方達との出会いがあったんですね。
こういう方々から受ける影響は相当なものだったように思えます。
類は友を呼ぶと言います。
sigさんが出会われたのも必然だったんだと思います。
by ちゃこちゃん (2009-06-11 15:09)
すばらしい出会いですね。
by U3 (2009-06-11 15:32)
ヨタ8さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-11 16:06)
ちゃこちゃん、こんにちは。
どうもありがとう。
私は相変わらず俗世界の人間ですが、何かの時にお二人の考え方を尺度にすることがありますね。到底かないませんけどね。
by sig (2009-06-11 16:16)
U3、コメントありがとう。
次回からはまた元に戻って、下世話な話になります。W
by sig (2009-06-11 16:19)
sigさん こんにちは
とてもスケールの大きい方たちですね
僕などは小さな箱を作り これで良いやと自己満足で
満足してしまう人間
憧れますが 器が違います
by いぬ (2009-06-11 17:03)
いぬさん、こんばんは。
いえいえ、いぬさんだって、こういう機会に出会えば分かりませんよ。
こういうものは人間を変えるくらいの強力なインパクトを持つものだと思いますから。
いぬさんにも、これからそういう機会が訪れるかもしれませんよ。
by sig (2009-06-11 19:39)
shinさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-11 19:39)
こんばんは、拝見していて、写真家、林重男さん、そして
沖守弘さんのお二人ご立派な刀のですね。
感じ入りました。
ご訪問頂き有り難う御座いました。今後とも宜しく願います。
by 吉之輔 (2009-06-11 19:46)
吉之輔さん、こんばんは。
原爆といえば林さん。マザー・テレサと言えば沖さんというくらいに写真の世界では著名な方です。当然、その関係ではなくてはならない人なのです。
お二人の爪の垢でも飲ませていただけば良かったのですが、どうも・・・W
by sig (2009-06-11 20:50)
原爆の悲惨さを伝えるのは、大事なことだと思いますが、
実際に見たら、悲惨どころではないのでしょうね・・・。
by Yuki (2009-06-12 00:45)
>神の啓示を受けたように、それを世界に伝えることを使命と感じ、自ら伝道者となって一生をささげようとの決意を持つほどに
この言葉は、まさに天職という表現に当てはまると思います。そして、そのような仕事ができることは素晴らしいことだと思います。私も、二冊ほどマザーテレサの本は買って読みましたが、崇高な人間を知って、人間もここまでの水準になる可能性があるのだ、と人類について明るい未来を描くことができそうな気持ちになります。
素晴らしい写真家たちとお仕事をされていたのですね!
by アヨアン・イゴカー (2009-06-12 01:00)
八犬伝さん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 01:05)
Yukiさん、こんばんは。
原爆の悲惨さもインドの貧困も、話は伺いましたが、想像を絶する状況ですから口だけでは伝えきれないのですね。
写真を見ればそれがいっぺんで伝わるわけです。写真の訴求力はすごいと思います。
by sig (2009-06-12 01:14)
アヨアン・イゴカーさん、こんばんは。
そうですね。このお二人はまさに天職を得たのですね。
沖さんが書かれたマザー・テレサの本を読むと、「傾倒」を通り越して「マザーの使徒」へ向かった足跡を感じます。人はこんなにまで崇高になれるのかと感じ入ります。私が失業に近いどん底状況でお二人に出会ったのも何かの縁かもしれません。沖さんはすぐに超多忙になりましたので、いっしょの仕事は多くはありません。
by sig (2009-06-12 01:25)
ばんさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 01:26)
おはようございます。
大切なことですが、困難な課題ですね。
世の乱れは、煩悩が、悪いわけではないですが、コントロールが出来ないんですね。
by とらさん (2009-06-12 08:49)
c_yuhkiさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 10:06)
やまがたんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 10:06)
わかって建築家さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 10:07)
とらさん、こんにちは。
原爆も貧困も人災だというところに問題があるのですよね。
解決に向けても問題だらけなんでしょうが、せめて自分の身に置き換えてみたらどうか、と考えることが必要だと思いますね。
by sig (2009-06-12 10:12)
majoramuさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 10:13)
人の出会いとは不可思議なことで
これもまた必然なのだろうと考えている私です
いつもご訪問ありがとうございます☆
by やまがたん (2009-06-12 12:30)
やはり信念を持って、ひとつの業を通す
並みの人間ではできませんよね(><)
ただ、今から始めねば、一生出来ませんものね^^;Aアセアセ
でも、私には・・・orz・・・(^^)。
by kontenten (2009-06-12 13:32)
やまがたんさん、こんばんは。
そうですね。そうなったということは必然といえるのでしょうね。
ただ、こういう崇高な話になると、凡人はついては行けないですね。
by sig (2009-06-12 14:33)
kontentenさん、こんにちは。
ほんとにそう思います。
このブログはまさに信念をもてなかった人間の挫折の記録ですから。
ただお二人のお話を聞くと、こころが洗われました。
by sig (2009-06-12 14:37)
うにさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 17:11)
こんにちは! また遊びに参りました。(^m^)
昭和のくらし博物館、入館料は500円でした。(^^)
博物館自体もステキですが、館長の小泉和子さんにもとても興味が湧きました。
by うに (2009-06-12 18:01)
あ、うにさん、わざわざありがとうございます。
館長さんにもお会いになったのですね。
でも、中を撮影したかったですよね。
ご自宅(元・自宅かな)を博物館として開放しているというのは、
私の「昭和館」と同じですね。あは
このブログは、ちょうどそんな意味なのです。
by sig (2009-06-12 21:09)
ゆずさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-12 21:09)
”人との出会い” 素晴らしいことですね。
by furukaba (2009-06-12 22:03)
yannさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-13 00:14)
furukabaさん、こんばんは。
こういう方たちとも出会いましたし、唾棄すべき輩とも出会いました。W
ひところ私もこころを広くもちたいと思いましたが、凡人にはやはり無理のようです。
by sig (2009-06-13 00:31)
カメラを持つことで3つの目でとらえることが出来るって凄い事ですよね!
そういえば撮った後でびっくりする事もあります(^o^)
by tomickey (2009-06-13 08:33)
レナさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-13 13:29)
tomickyさん、こんにちは。
「カメラを持つことで3つの目」・・・すてきな表現ですね。
きっと奥行きの深い映像を写し取ることが出来るのではないでしょうか。
by sig (2009-06-13 13:31)
yuki999さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-13 13:32)
cheeさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-13 13:32)
はじめまして!
マザーテレサを検索してたどり着きました。
紀伊国屋での写真展は覚えています。
遠い昔になってしまいましたが、今でも記憶にあります。
過去記事も拝見しました。昭和という時代が蘇りました。
有り難うございます。
by 翠川与志木 (2009-06-13 14:05)
by 翠川与志木 (2009-06-13 14:07)
翠川与志木さん、こんにちは。はじめまして。
昭和人の端くれとして、自分の恥をさらしています。
何でもありの雑多なブログですが、
よろしかったらまたお立ち寄りください。コメントありがとうございました。
by sig (2009-06-13 14:22)
sanaさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-13 16:49)
読み進めていくうちに鳥肌がたちました。
感動しました。
マザーテレサさんについては、
小学校の時、ビデオを視聴した記憶があります。
林氏と沖氏、そしてsig様、
出会いそのものが人生だとあらためて感じました。
お二人の写真を同時に紹介されることで、
テーマ性を強く感じました☆
by gyaro (2009-06-13 17:43)
さすがgyaroさんですね。
こちらが意図したことを的確に読み取っていただけました。
お二人の何が崇高かというと、「献身」なんですよね。
こうなるともう、お金じゃないんです。
こうした賢人と出会っていながら、情けないことに私は俗のままなんですよ。
by sig (2009-06-13 20:16)
SILENTさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-14 17:23)
kemmさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-14 17:23)
maicatさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-14 23:04)
ねこじゃらんさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-15 15:44)
Nyandamさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2009-06-16 08:45)
すっかりご無沙汰してしまいました
sigさんの周りは凄い方ばかりですね
伝えるって大切なことなんですよね
悲劇を繰り返さないためにも
ジーンと来ちゃった
by Qoo (2009-06-23 06:37)
Qooさん、こんばんは。
Qooさんは音楽で伝えようとしていますし、私は文字で伝えようとしています。文字と音声と、それを統合した映像・・・ブログの世界ではそれができるのですね。いろいろ制約はありますが、これからのメッセージの伝え方として、新たな可能性はあると思っています。
コメントありがとうございました。
by sig (2009-06-23 20:50)