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「平凡パンチ」か大橋歩か―① [昭和ガラクタ箱]

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 倒れた男の脇に拳銃をあしらったトランプはJOKER。これは某秘密結社からの暗殺指令か……。
 
1枚のトランプの絵柄から受けたそんなイメージから、身の回りにある小道具を集めておあそびで撮ったのがこの写真。よくある手ですが、結構キマってるでしょう。
 
このトランプのイラストを見ただけで、私たちの世代にはそれが誰によって描かれたものかすぐに分かってしまう。大橋歩(おおはし・あゆみ)。
 種を明かすとこのイラストはトランプのために描かれたものではなく、「平凡パンチ」の表紙に使われたイラスト
52枚に、ハートやダイヤなどのマークと数字をあしらってトランプに仕立て上げたものなのです。

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●東京オリンピックの年に刊行された「平凡パンチ」
 
「平凡パンチ」といえば、1964年(S3910月に東京オリンピックが始まるその直前の5月に、平凡出版(現・マガジンハウス)によって発売されたヤング向け男性週刊誌です。もうそれまでにいろいろなジャンルの週刊誌が出尽くした感がありましたが、若者をターゲットにしたファッション週刊誌は初めてでした。その表紙を飾ったのが気鋭のイラストレーター大橋歩なのですが、描かれたのはアイビー・ルックを基調としたアメリカン・カジュアル(アメカジ)を身にまとった男の子たちでした。
 
実はその裏に、当時好調のヤング向けファッションメーカー「ヴァンヂャケット」の存在があり、VANブランドが提唱するヤングの新しいファッションスタイルこそがアメカジだったのです。その意味でこれは、アパレルと出版という異業種コラボレーションによる、アメカジ浸透拡大のため新趣向のマーケティング戦略ではなかったかと思います。
 

P1070186-2.JPG●「平凡パンチ」創刊号表紙と新聞広告
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●クルマとスポーツとセックスが売りのヤング向けファッション誌ということが一目瞭然。
 執筆陣に五味康祐、今東光、戸川昌子、笹沢左保、吉行淳之介の名が見える。

表紙をトランプにしたすてきな発想
 
ところでこのトランプですが、ユニークなのはカバー。トランプ幅の帯状の鋼を白いビニール樹脂でコーティングし、U字形に曲げたもので、これにトランプを挟み込むと1冊の書籍に見えるように工夫されています。それに、作品ごとに作者のコメントがついた「絵と言葉」、「ラミー・ゲームズ」というトランプ遊びの小冊子、更に携帯用のビニールケースが付いたセットになっています。

 
当時、パステルで描かれた若者のモダンなスタイル画は「平凡パンチ」創刊時から評判となり、「平凡パンチの大橋歩か」「大橋歩の平凡パンチか」といわれたくらいに反響を呼んだものです。それは、ファッションなどにおよそ縁の無い私までもがとりこにされてしまうほどのインパクトと親近感を持っていました。その彼女の表紙絵が52枚も揃ったトランプのアイディアがこれまたうれしくて、とても気に入っているものです。
 
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●表紙イラスト52点大集合のレアものトランプ。大橋歩さんの解説つき 

1巻が1年分の表紙絵全集。ただし2巻以降は?
 
このトランプは平凡出版(現・マガジンハウス)とエーストランプの共同企画になっていますが、いつ発行されたかがどこにも記されていません。
 大橋歩さんの「平凡パンチ」表紙イラストは
1964S39)年5月の創刊号から1971年(S4612月号まで390週続きますが、冒頭の「JOKER」に付けられた彼女のコメントに『「ナポレオン・ソロ」のヒーロー、ソロやイリアが…』とあるところを見ると、このテレビドラマがNTVで放送されていた1965S40)年頃と思われます。
 ということは、「平凡パンチ」創刊のほぼ
1年後に発行された記念誌的なものではないかと思います。
 
また、トランプを収めるカバーとビニールのブックケースにはNo.1と記されているところを見るとシリーズで作られたものでしょうか。私はNo.2以下のトランプを見たことが無いのですが、そんなことはどうでもよく、私にとってこのトランプは青春時代につながるとても大事なツールなのです。                      つづく

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●一人遊びも5倍楽しいクロンダイクゲーム                 

★次回はトランプに描かれたイラストの数々をご紹介します。  

平凡パンチの三島由紀夫  平凡パンチ1964 (平凡社新書) 平凡パンチの時代―失なわれた60年代を求めて

「平凡パンチ」か大橋歩か―② [昭和ガラクタ箱]

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「平凡パンチ」か大橋歩か―② 
描かれたのは
1960年代後半の若者の願望
 

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●三面鏡の前で男の身だしなみ                ●ハネムーンは新幹線からジェット機へ

   
大橋歩描く「平凡パンチ」の表紙イラストを展望すると、1960年代後半のヤング世代のライフスタイルが見えてきます。 

●世界の銀座で、女の子よりもおしゃれな男の子
 
まずファッション。日本女性にミニスカートをもたらしたツイッギーの来日は1967S42)年秋ですから、1964年(S39)創刊の「平凡パンチ」のイラストに描かれた女の子のスカート丈は、まだ当時全盛のロングスカート。ブランド物を持つ時代でもありませんから、洋服にもそれほどおしゃれ感はありません。ごくプレーンなワンピースかツーピース。カジュアルでも半そでシャツとかセーターで、今から見ればあまり変りばえのしないタイルです。
 
一方、男の子の方は、そんな冴えない女の子を自信たっぷりでエスコートするかのように、俄然おしゃれに、颯爽と描かれています。イメージリーダーは世界のファッションストリート・銀座のみゆき通りを根城とした「みゆき族」で、その後ろ盾は「VAN」ブランドの創始者・「ヴァンヂャケット」の石津謙介でした。

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●東京オリンピック(1964.10)に向けて、銀座も道路工事だらけ

 
VANのベースはアメリカ東部の名門大学グループ「アイビーリーグ」にあり、1954(S39)年に「アイビールック」として売り出したのが大当たりし、若者層に圧倒的な支持を受けて広がっていたのでした。
ほぼ大学生である彼らは当時の私と同年輩でしたが、すでに就職して結婚したばかりだった私から見れば、親のすねをかじっているいいところのお坊ちゃんにしか見えず、そんな別世界で生きているリッチな人種も世の中にはいるのだな、という感覚でさほどうらやましいとも思わずにいました。けれども大橋歩のイラストは大好きだったのです。 

●描かれているのはファッションのTPO
   
ファッションを語るときによく使われるTPOという言葉。これを提言したのが実は石津謙介といわれていますが、「平凡パンチ」と「ヴァンヂャケット」とのつながりの中で、大橋歩の表紙イラストには、この思想が見事に反映されて描かれています。
 つまり、時(
Time)、場所(Place)、場合(Occasion、またはOpportunity)に合った生活シーンの演出法です。
当時は世を挙げてバカンス時代。バカンスとはレジャーより一回り規模の大きい休暇を意味した言葉なのですが、収入と休日の増加に後押しされて膨れ上がった欲求のはけ口のことです。(とは言っても、正月休みと夏休みの長期休暇の他に、年に3連休が5回、5連休が2回もある現在から見たらかわいいものですが) 

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●レジャーより一回り大きいバカンスの過ごし方。ゴルフ、ヨットは経済的にちょっと無理かな。

●現実と願望が半々のシーン描写
 
トランプ52枚のうちの多くはスポーツのイラストです。ボウリング場は全国津々浦々に、それこそ雨後のタケノコのように目白押しに林立し、夏でも滑れるアイススケート場や屋内スキー場が都会のあちこちに誕生していました。スポーツ音痴の私でさえ、東神奈川のアイススケート場へよく通ったものでした。
 
ところが、いくらバカンス時代といっても、オープンカーでのドライブや、ヨット、サーフィン、トレッキング、ゴルフ、カーレースや球技の観戦などは、若者にとってはまだ一般的ではなかったはずなのですが、こういったシーンがたくさん描かれています。これらの場所での彼らは、シャツやブレザー、ジーンズやコットンパンツといった思い切りカジュアルスタイルです。

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●マイカー時代到来で試験場は大盛況。でも、乗るのは親父の車だったのでは?

 スポーツ以外のアウトドアでは通学やショッピング風景。都心のあちこちは1964年の「東京オリンピック」に向けての工事中だらけ。けれども、歩道を行く男たちはおそらくVANプランドのアメカジ(アメリカン・カジュアル)で颯爽と風を切っています。新入社員だってスーツは上下色違いのトラディショナルで決めていて、決してドブねずみルックではありません。
 
デートシーンとして多く描かれているのはパーティやコンサートです。新年やクリスマス、誕生祝などの内輪のパーティから、女の子たちもドレスアップした華やかなダンスパーティまで。コンサートはジャズやハワイアン。楽しんだ後はフルーツパーラーでお茶、といったスタイルです。これなども、実情の上を行くものでしょう。
 
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IMGP6137-2.JPG●パーティいろいろ

60年代は男がおしゃれに溺れた時代
 
室内のイラストでは、ガウン姿でソファに掛けてLPを聴く男性は、「風呂場」ではなく「バスルーム」から出てきたのでしょうし、三面鏡の前でおしゃれに熱中しているのは、なんと女性ではなく男性です。1963S38)年に資生堂が発売した男性化粧品「MG5」のコンセプトは「男の身だしなみ」でしたが、それさえも昭和16年(1941)生まれの私には、いよいよ男も化粧品を手にするような軟弱な時代になったのか、と嘆かわしく思えたものでした。

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●くつろぎのひとときには、断然ソファが必需品

 
ところがそれ以上にびっくりしたのは1968S43)年。男が平気で赤やピンクの色物おしゃれを楽しむカラー満開の「ピーコック革命」と呼ばれる時代がやってきたのでした。化粧の先には色物おしゃれ…そうした流れはファッションメーカーとマスコミが仕組んだものでしたが、その土壌として社会の風潮がもうそのように出来上がっている訳で、その方向性を示されると簡単にその手に乗せられてなびく男性の軟弱さが情けなく、もう世も末だと思ったものでした。(「男らしさ」の消滅はここに始まる、と思っています) 
そんな感覚ですから、未だに赤系の色物シャツは着られませんし、まして、シャツをパンツ(ずぼん)の外にはみ出させて着る格好など、逆立ちしてもできないのです。

IMGP6164.JPG●後ろに靴磨きの少年が…

●こうして、バランスの良いファッションセンスが定着した
 
話がわき道にそれましたが、トランプにはハネムーンを描いたカードもあります。すでに新婚旅行のルートが新幹線による国内旅行を離れ、グアム、ハワイを目指すカップルが出現しだしたこともあってか、ジェット機内で寄り添う新婚らしき男女は画面の片隅にあしらわれ、大きく描かれているのは花形職業として人気上昇中だったエア・ホステスです。
 
また、あまり華々しく描かれていない女の子も、和服姿は意外に多く、それはほとんどパーティシーンでの晴れ着姿だったりします。このあたりに大橋歩さんの日本人としてのアイディンティティを見たような気がします。

 
トランプに描かれた若者たちのトレンディなファッションライフ。それはお金持ちにはすぐに楽しめるセレブリティなライフスタイルの提案になっていますが、あとの半分は現実ではありません。貧乏人には、努力すれば手に届くかもしれない半歩先の願望が描かれているのです。大橋歩さんは60年代の若者が思い描く夢をイラストにして見せてくれていたのです。そしてそのイメージが、40年後の今では現実のものになっていることに驚かされるのです。 

  考えてみると、このイラストレーターという職業名はこのころから急に脚光を浴びてきたように思います。ご存知のようにイラストレーターは、主として広告、出版、映像など、ビジュアル分野のクリエイターとして位置づけられますが、カタカナ職業として認知されたのは比較的早かったと思います。それも大橋歩さんの功績ではないかと思います。

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●1960年代は、若者に、明るく楽しい、すばらしい未来が約束されていました


1968年のカレンダー [昭和ガラクタ箱]

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1968年のカレンダー
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 私は子供の頃から、動くものや立体的なものに興味があったので、ガラクタ箱にはいつの間にかそういったおもちゃやクラフトが貯まっていました。そんなあれこれを何回かに分けてご紹介しましょう。 

 今回は何と、1968年、42年前のカレンダーです。当時、デパートで仕入を担当していた時に、化粧品、アクセサリーなどといっしょにカレンダーも受け持ちでした。
 カレンダーは前年の春から夏にかけて業界が催す展示会で発表され、私たちは取引先が展示しているたくさんのカレンダーの中から、売れそうな作品を選んで仕入れるわけです。そこで目に付いたのがこのカレンダーでした。「いいなあ」というと「どうぞ」ということで、お土産に頂いたものです。このアイディアとグラフィカルなセンスが気に入って、今日までガラクタ箱の中で生き延びてきたものです。
 立体部分を開いてみたのは写真撮影をするための今回が初めてです。メーカー名、作者名は入っていないのですが、「実用新案出願中」とあるところを見ると、日本製だと思います。

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●ロンドン バッキンガム宮殿


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●ハンブルク市街


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●ローマ スペイン広場


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●ベニス ゴンドラの船着場


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●ウィーン郊外 プラター遊園地


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●ノートルダム寺院

 骨董品でもなく、
 名も無いデザイナーの作品だけれど、
 このカレンダーは、42年も私の手元にあるのです。

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カレンダーは1年先の未来です。
誰もが良いことが起こることを期待して手にします。

1968年。結果的にこの年は、実は大変な年になりました。
海外では、ベトナム戦争でアメリカが解放戦線にサイゴンを攻略され、危機に瀕していました。
5月にはパリ5月革命。8月、ソ連軍プラハ侵入。

日本は「明治100年」の年に当たりましたが、東大安田講堂占拠に始まる全共闘の東大闘争は日大にもおよび、この紛争は年末まで続きました。そして暮れには三億円事件。
そんな暗い街の空に、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」や、ピンキーとキラーズの「恋のしずく」が流れていました。

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魔法の動く絵本 [昭和ガラクタ箱]

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            魔法の動く絵本        

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 全国各地の「トリックアート美術館」が人気を集めているようですね。実際は平面なのに飛び出して見えたり、動くはずが無い図形が動いて見えたりするものです。
 錯覚や錯視という現象が大好きですから、エッシャーやマグリットも好きな作家です。今回は絵画ではありませんが<動く絵本>の一つをご紹介しましょう。

●モアレを応用したモーション・ピクチャー 
 紗のように透けて見える織物を2枚重ねてゆっくり動かすと、いろいろな縞模様の動きができますね。モアレと呼ばれる現象ですが、モアレは織物のような線状の場合と印刷の網点と呼ばれる点状の場合でも見られますね。この面白い現象を絵に応用したおもちゃは、ずいぶん昔から作られていたようです。

IMGP8554.JPG●「魔法の動く絵本」1898 
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●印刷では赤・青・黄・黒の四色の点が合わないとモアレを生じる。これはOK。 

 
この「魔法の動く絵本」は1980年に渡米の折、デトロイト郊外デアボーンのヘンリー・フォード博物館のスーベニ―ルで購入したものです。 オリジナルは1898年、ロンドンのブリス・サンズ社の出版ですが、これはニューヨークのドーヴァー・パブリケーションズ社による復刻版で、その出来立てほやほやをタイミングよく入手したものです。 

●シートをゆっくり動かすと…… 
 この絵本は銅版画タッチで描かれています。その絵の上に、付属の透明プラスチックシートを乗せて見るのですが、シート全体には細かい横縞が刷り込まれていますから、シートをゆっくり上下にずらすと、絵のタッチと干渉しあって、いろいろな動きが発生するのです。横縞が細かいので、速く滑らせると動きは生まれません。ほとんど分からない程度の早さです。
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●左の絵にシートを斜めに載せただけで水車と水にモアレが生じているところに注目。

 では、実際の様子を動画でご覧ください。下のQuickTimeの画面は小さくて動きが良く分かりませんので、その下のURLをクリックしてeyevioでご覧ください。


http://eyevio.jp/movie/341252 ← 大きな画面で
見られます。2分

 トラクターの車輪が回転し、火山から溶岩が流れ出し、機関車が豪雪を掻き分けて進み、炎上する大火災に向かって果敢に消火活動を続ける消防士の姿がご覧になれましたか。

  私はトリックが大好きです。好きな映画自体、静止画の連続を動画として見せるトリックのようなものですからね。1898年といえば映画が誕生して3年後ですが、家庭ではこんなかたちで身近に動画を楽しんでいたのでしょうね。

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●こんな絵もあるのですが・・・


●おまけ

 モアレではありませんが、絵画のトリックをご覧になりたい向きは下の
 YOUtubeをどうぞ。マグリット風の絵が続いたあと、最後はエッシャーで
 す。
 http://www.youtube.com/watch?v=UPb0VYP-3i0

DSC00127b-2.JPG●「昭和館」のシクラメン

                                                                                                                                                                                                                          
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おなじみ、赤青めがねの3D <第一弾>  [昭和ガラクタ箱]

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おなじみ、赤青めがねの3D<第一弾>


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 昨年末に封切られ、今月8日のアカデミー賞発表で作品賞受賞の話題も高い3D映画「アバター」。もうご覧になりましたか。
 今年はこれから次々と立体映画の公開が決まっているようですが、この「昭和館」で取り上げたいのは、その元祖ともいえる立体写真です。


●一つの画面で立体視を実現した赤青めがね方式

 立体写真は、ダゲールの写真技術「ダゲレオタイプ」の誕生から20年ほど経った1860年代に、早くも考案されています。写真が現実の姿を記録できものなら、より本物に近い立体で記録したい、と考えられた結果であることは言を待ちません。
(その延長線上に「動く写真」~「色彩を持つ写真」~「声を持つ写真」~「広い視野を備えた写真」…つまり「映画」が登場するわけですが)


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●青と赤の2色による立体写真の上映 1890 眼鏡を掛けて見入っている観客

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●初期の立体写真 慣れた人はこの写真を裸眼で立体視できる。

 当時の立体写真は、二つのレンズを持つカメラで撮影された一対のモノクロ写真を、ステレオスコープと呼ぶ眼鏡様のビューアーで覗き見るものでした。人気があったのは外国の情景を写したものだったようです。現在のように簡単に海外旅行ができなかった時代でしたから、肉眼で見る通りに浮き上がって見えるカルナック神殿、タージマハール、ノートルダム寺院、ニューヨークの摩天楼などに心躍らせたことでしょう。この、ある種トリックのような不思議なイメージはマルセル・デュシャンや萩原朔太郎を魅了し、その創造活動にも刺激を与えたといわれています。


IMGP8577.JPG●ステレオスコープ

 もっともポピュラーな赤青めがねを使う立体写真は、右目と左目用に並べられた
2枚の写真を1枚に重ねて見せるというアイディアから生まれたものです。この発想がなかったら、一つの画面で立体視を実現する今日の立体映画も生まれなかったことでしょう。


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 今回は1978年にサンフランシスコで出版された「STEREO VIEWS」をご紹介します。出版は新しいですが、ルーズベルト大統領(1932)や、単葉機「スピリット・オブ・セントルイス」で大西洋無着陸横断に成功したチャールズ・リンドバーグ(1927)なども取り上げられていますから、撮影された時代は、第一次世界大戦を挟んだ1910年代から1930年代のものと思われます。
 赤青めがねをお持ちの方はこのままお楽しみいただけますが、興味のある方は
100円ショップで赤青セロファンをお求めの上、簡単なめがねを作ってお楽しみください。
 掛けるときは、左目に赤。右目に青。お間違いなきよう。

 <第一弾>と記しましたから、次回は<第二弾>を用意いたします。

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●上/リンドバ-グ(左)とスピリット・オブ・セントルイス号
 下/ルーズベルト大統領

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シマンテックストア
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