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教えることは、学ぶこと [キャラメル・エッセー]

P1030925b-3.jpg 「新潟日報」連載・10年後の復刻
キャラメル・エッセー 回転ドアの向こうには-11
教えることは、学ぶこと 

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●このエッセーは1998年7月20日付「新潟日報・せいかつ欄」に掲載されたものです。
●「キャラメル・エッセー」の全体テーマは「生涯学習」。10年後の復刻として全14回を随時掲載させていただいております。なお、ここでは「生涯学習」を文字通り「生涯が学びの場」とひろくとらえています。
●記事は当時のままです。場合によっては現在の認識とズレがあるところが出てきても、そのまま掲載しております。

 
「TAMA市民塾のプロモーションビデオを作りましよう」。事務局にそう申し出た私の腹の中には、ちょっとした計算があった。その二年前の平成五年。東京の西部・多摩と呼ばれる地域は、東京都移管百周年を記念して、半年間にわたる「TAMAらいふ21」と銘打った「三六五万人のまちづくり運動]で盛り上がった。行政の枠を超え、多摩全域のあちこちを舞台に、同時多発的に市民主体のイペントや地域活動が展開された。

 TAMA市民塾は生涯学習関係の活動の中で構想され、会期終了後、財団の後押しのもとに新しく誕生したばかりの事業だった。
 TAMA市民塾は、講師も運営も多摩地域在住・在勤・在学の人たちで、ということで、七人の運営スタッフも公募によって決められた。私はスタッフ募集を見落としたが、その後の「市民講師募集」を新聞で見て、早速ビデオ議師として応募した。

 「十五講座の編成を考え、そのために講師の応募は最低三十人は欲しいと思いましたが、実のところどのくらいの反応があるかは見当もつきませんでした」と、開設準備を進めてきた事務局の私市(きさいち)豊さんは発足当時を語る。
 結果は応募総数百十二人。期待以上の反響だった。講座は一期六カ月間。初年度前期は二十の講座が選ばれ、私の出番は後期と決まった。

 講師も運営もポランティアだが、企画も仕事にしている立場から見るといろいろな点が気になる。何かと運営にも口を出しているうちに、運営スタッフにも組み込まれた。映像制作にも関与している者として、市民塾の内容を多摩全域の人たちに分かりやすい映像で伝えたかった。もちろん予算はないから業務用機材やスタジオは使えない。ホームビデオ仕様で作ることにして、市民講師の中から共感者を募った。

 「地域交流、世代交流、国際交流」を基本理念とするTAMA市民塾には、すばらしい人材が集まっていた。「演劇講座」の高垣葵(まもる)さんは、往年の名作ラジオドラマ「一丁目一番地」のシナリオライターで、劇団主宰者。「野生動物ウオッチング」の熊谷さとしさんは、学習漫画家として手がけた書籍は百冊以上という売れっ手。女性では「話し方講座」の堤香苗さん。テレビキャスターで、会社の社長さんでもある。シナリオ、撮影、作画、ナレーションと、本職によるスタッフ編成が実現した。

P1080405-2.JPG●TAMA市民塾はこのビルの6階

 TAMA市民塾は、多摩地域三十一市町村を対象とする広域的な生涯学習の場である。といっても、資格の取得、けいこごと、同好会といった内容とは趣を異にし、営利を目的としないという点で、カルチャーセンターとも異なる視点を持っている。「教えることは、学ぶこと」をモットーに、「生涯学習」という同じ立場で交歓し合うという姿勢も新しい。

 バレリーナのNさんは「おとなとこどものバレエ」。美術館学芸員のSさんは「日本やきもの史」。互いに別の設計事務所を営むMさんとSさんは合同で「住まいと街づくりのワークショップ」。植木職で造園指導員のHさんは野外をステージに「樹木観察」。中国の留学生Sさんは「中国の歴史と中国語」。日本語教師のFさんは、外国人との交流に必要な「日本語の教え方」。大学教授でもある塾長の高原北雄さんは「科学技術日常使いこなし術」。みんな本職のノウハウを、ボランティアで提供することに躊躇(ちゅうちょ)しなかった人たちである。

 私たちはニカ月かけて十五の講座をくまなくめぐり、講師や塾生のみなさんに取材し、撮影した。つまり、すべての講師と接触する機会を得たわけである。「多摩のオピニオンリーダー」との交流のきっかけづくりにビデオ制作のノウハウを生かしたい。これこそが私の計算だったのである。

 完成したPRビデオはそれなりに評価していただいた。講師のみなさんとは顔見知りになった。私の作戦は成功した。それからいろいろな方々とのお付き合いが始まった。そこからまた、私の知らなかった世界が開かれてくるのである。

多摩全域は現在30市町村。総人口は約410万人で、東京都の総人口のおよそ40%が住んでいます。
現在の塾長は横田至明さんです。
TAMA市民塾は、現在開設15周年を迎えています。


天才ひばりを科学する [キャラメル・エッセー]

P1030925b-3.jpg 「新潟日報」連載・10年後の復刻
キャラメル・エッセー 回転ドアの向こうには-12
天才ひばりを科学する 

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●このエッセーは1998年8月17日付「新潟日報・せいかつ欄」に掲載されたものです。
●「キャラメル・エッセー」の全体テーマは「生涯学習」10年後の復刻として全14回を随時掲載させていただいております。なお、ここでは「生涯学習」を文字通り「生涯が学びの場」と広くとらえています。
●記事は当時のままです。場合によっては現在の認識とズレがあるところが出てきても、そのまま掲載しております。

 
東京は渋谷の「ウィスタリア」と聞いて、すぐに「ああ、あの…」と納得がいく方は相当の訳知りにちがいない。その小綺麗(こきれい)なカフェレストランを借り切って、過日、風変わりなコンサートが催された。スペシャルプログラムは、ハーモニカのスーパースター・大石昌美さんの名演奏。曲目も「お祭りマンポ」「悲しい酒」「塩屋崎」ときたら、体の震えが止まらなくなる人もいるはずだ。

 主催は「美空ひばり学会」 。関東地方を中心に、現在、北は青森から南は長崎まで、着々と会員数を増やしている話題のグループである。ひばりちゃんのフォトギャラリを擁するサロン風のフロアで、続いて展開したのはカラオケ大会。それもこの会では、ひばりちゃんの歌以外は歌ってはいけない。ひばりちゃんより上手に歌うこともご法度という厳しいおきてが定められている。貸し切りの店内。大型ビデオ映像のひぱりちゃんをパックに、会員の磨き抜かれた美声(?)が流れる。

 とはいえ、美空ひばり学会は単なるファンクラブではない。学会を標ぼうしている通り、趣旨は極めてアカデミックである。いわく、「天才と謳(うた)われた希代の歌手・美空ひばりを、人間学的、社会学的に探究する中で、彼女が輝いていた『戦後昭和』という時代性を解明する」ということが創設者・竹島嗣学(しがく)氏のねらいである。

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竹島嗣学さんによる美空ひばりのエンピツ画 画才も確か。
 たくさんの絵の中から、お正月らしい絵柄を選ばせていただきました。


葉隠れの里・佐賀市生まれの氏は、元新聞編集記者の経歴をもつ。「歌舞音曲に縁の無い土地柄で、ひばりちゃんの歌声に魅せられました。IQ(知能指数)が問われた時代から、EQ(こころ)の時代へ。ひばりちゃんこそEQの権化。目に見えないEQを体現した人です。彼女が醸し出すカリスマ性を解明するには、『カオスの残影』とも言うべき戦後という時代性と、天才、神秘、人気、魅力といった、いわゆるファジー(あいまい)な事柄について学ぶ必要があるのです」とのお言葉通り、竹島氏は「美空ひばり学」を複雑系の科学の中に位置づけている。

 と言うと難しそうだが、乱暴に言えば「美空ひばりを理知的に考察することで、俗物性と全(まった)き知牲との両立を目指す」ということなのだろうと、顧問を仰せつかっている私は単純に認識している。

 スター以前の美空ひばりを俗物と評した知識階級が、スターの呼び声の高まりとともに、手のひらを返すように称賛の声を上げるようになったというエピソード。そこに、知識人・文化人と呼ばれた人々の高慢さ偏狭さ、人間としての底の浅さが露呈するのだが、そうした輩(やから)をちゃかし、遊びごころで人間社会学を楽しもうということなのである。

 だから会員の顔ぶれがすこい。雑誌「平凡」創業者を父にもつノンフィクション作家、元大阪梅田コマ劇場総支配人、ひぱりちゃんゆかりのレコード店「ヨコチク」社長、「平凡」でひばり付きを務めた元記者、元コロムビアレコード文芸部員、現役放送局制作部員。そして、知らない歌はひとつもない、CDやビデオなら何でもござれ、というチョーひばりファンまで、玉石混交(失礼)のメンバー構成である。

 学会の活動だが、竹島氏の著作「美空ひばり学入門講座」の出版以来マスコミに喧(けん)伝され、いろいろな方面から問い合わせや講演依頼が寄せられるようになった。竹島氏自身による「美空ひばり学講座」を筆頭に、「美空ひばりの歌とその時代」「昭和の歌謡と戦後世相史」「カリスマ・美空ひばりの世界」など、会員自身が得意の分野を生かして制作した講座やイペントなど、数々のプログラムを各地に請われて実施している。

 昭和が終わって早くも十年。美空ひばり学会は、遠ざかる戦後昭和を引き寄せて、自分たちが生きてきた道程と社会構造を検証しようとする。こうした活動は、生涯学習が単に自己実現の道にとどまらず、社会的広がりを持つ新しい流れをつくっていく可能性を示唆したものと言えるのではないだろうか。

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●学会活動から生まれた「美空ひばり学会」2冊のバイブル 
 左/竹島嗣学著「『美空ひばり学』入門講座」     1997 日新報道刊
 
 右/同会事務局長・想田正著「美空ひばりという生き方」2009 青弓社 刊

「美空ひばり学会」は前回紹介したTAMA市民塾の講座から生まれました。
 私は市民塾開設当初から全体の運営に関わっていた関係で、
 
不肖ながら昨年まで顧問を仰せつかっていました。

■「美空ひばり学会」に興味をお持ちの方、お問い合わせは下記へ。
〒350-1257 埼玉県日高市横手220-1
      美空ひばり学会事務局 川田正美(想田正)
      Tel./Fax.042-982-0340

セピア色の言葉たち [キャラメル・エッセー]

P1030925b-3.jpg 「新潟日報」連載・10年後の復刻

キャラメル・エッセー 回転ドアの向こうには-13

セピア色の言葉たち


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●このエッセーは1998年9月21日付「新潟日報・せいかつ欄」に掲載されたものです。

●「キャラメル・エッセー」の全体テーマは「生涯学習」。10年後の復刻として全14回を随時掲載させていただいております。なお、ここでは「生涯学習」を文字通り「生涯が学びの場」と広くとらえています。

●記事は当時のままです。場合によっては現在の認識とズレがあるところが出てきても、そのまま掲載しております。

  この十五日、東京・渋谷の「東急ゴールデンホール」である出版記念会が催された。頂いた案内状には「お召し物」の指定。「大流行の下着ルックから、雅子さま風にロープ・デ・コルテまで自由ですが、中を取って普段着でどうぞ」。
 
差出人は著作者の代表・石川静恵さん。石川さんはいつも、普通の言葉では語らない。ひとひねりある。それもこのようにとてもユーモアに富んでいる。

 書名は.「セピア色の言葉たち」。乙女チックなひびきの中に、言葉に対する愛情といたわりのこころが伝わってくる。主婦グループの著作が、全国一般書店の店頭で販売された。快挙である。

  石川さんが「グループ万華鏡」を結成したのは二年前。五〇代から七〇代までのセピア世代の文学少女が集まって、エッセーを書いたり新聞に投稿したりという活動を続ける中で、最近あまり使われなくなった言葉が結構多いことに気がついた。いわゆる「死語」である。それを「セピア色の言葉」と名づけ、書き留め始めた。

 「満艦飾」「相合傘」「銀幕」など三百語ほど集めた言葉に、自身の体験を加えた解説をつけ、昨年九月、「忘れな草紙」と名づけた小冊子にまとめ上げた。

 ワープロ、印刷、製本まで全部手づくり。挿絵まで入った五十二頁の立派な冊子の誕生は数多くの新聞に取り上げられ、頒布を希望する問い合わせが殺到。それをきっかけに、女性だけだった「グループ万華鏡」に男性会員も加わり、言葉談義も急にうるさ<なった。

 一方では、「出版したい」という出版社からのラプ・コールも入った。石川さんたちはこうした状況に励まされ、さらに一年間、「セピア色の言葉」の収集を続けた。

 こうして今年七月下旬、「忘れな草紙」の三倍にも上る一千語近くの言葉を集めて再編集したものを出版社が印刷・発行。ここに「セピア色の言薬たち」が生まれたのだった。

 これはニュースだ。セピア世代の励みになる。ということで、出版の話題は、新聞記事に、書評に、コラムに取り上げられ、売れ行きは上々。感想などのりアクションは他府県からもたくさん寄せられているという。

 こうして、東京・町田市に生まれた「グループ万華鏡」は、わずかの期間に一挙に活動の枠を拡大し、市外はもちろん、全国的なネットワークの足がかりを得たのだった。

      × × × ×
 

 「自分さがし」「自己実現」-それを意識している、いないにかかわらず、私たちが求めているものは、日常の充足感である。それは、自分の内部から沸き上がる欲求を満たすことでしか実現できず、他人に埋めてもらえるようなものではないはずだ。

 反論を承知で言えぱ、市民レペルの芸術文化団体や公民館活動に代表される市民活動には、自治体の支援を前提とした甘えが垣間見える。実際に私が広域を対象に演劇活動を計画したき、協力を求めた地元の識者や文化人、活動家たちがまず問題としたのは、「なぜ地元だけで行わないのか」「自治体からの助成金は?」という点だった。
 地元を大事にしたい、というと聞こえはいいが、多くの場合、失敗を恐れるからである。また、確かな資金の裏付けが活動の前提となることは自明の理だが、それを自治体に頼らずに、財団、公共団体、企業などにみんなで働きかけて集めるのだ、と言ったとたん、その計画はとん挫した。これでは、いくつもの自治体の領域にまたがる広域活動など、生まれようはずがない。

 私がいっしょに活動したいと思うのは、「グループ万華鏡」のように、自分の頭で考え、自分たちの手で創(つく)り出していく、そこに喜びを感じる人たちだ。
 そうした人たちは、自分の住む地域だけにこだわったりはしない。むしろ積極的に近
隣の地域を巻き込んだ広範なネツトワークを築いていく。それは、ひとつの考えや思考に共感し合う者同士の自然な結び付きなのだ。
 「独立独歩」「一意専心」「堅忍不抜」などという四字熟語も、いつまでもセピア色にしたくない。


ビデオ、ビデオ、ビデオ [キャラメル・エッセー]

P1030925b-3.jpg 「新潟日報」連載・10年後の復刻
キャラメル・エッセー 回転ドアの向こうには-14
ビデオ、ビデオ、ビデオ

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●このエッセーは1998年10月19日付「新潟日報・せいかつ欄」に掲載されたものです。
●「キャラメル・エッセー」の全体テーマは「生涯学習」。10年後の復刻として全14回を随時掲載させていただいております。なお、ここでは「生涯学習」を文字通り「生涯が学びの場」と広くとらえています。
●記事は当時のままです。場合によっては現在の認識とズレがあるところが出てきても、そのまま掲載しております

 業務用のビデオデッキとモニターが2セット。それに編集機、タイトラー、エフェクター、ミキサー、アンプ…と、特製の棚いっぱいに配置された壮観なメカニズム。それが佐藤好子さんのビデオ編集室だ。
 佐藤さんは、私が関与している都下・府中市に拠点を置く「TAMAビデオクラブ」の会員である。と同時に「ビデオサロン月曜クラブ」「日野遊ingビデオクラブ」の会員でもある。佐藤さんがなぜこのように積極的なのか。それには深い訳がある。

 実はこれらのビデオ機材は、すべてご主人の残されたものである。佐藤さんのご主人は二年前に他界された。突然空虚になった自宅の一角に、好子さんにはチンプンカンプンの複雑な機器群が鎮座していた。

 8ミリ映画の時代から映像を趣味とし、多くの受賞歴を持つご主人に、撮影の被写体として、編集助手として、好子さんはいつも手助けを求められた。
 「これは、主人がNHKビデオ教室の課題で撮影したものなんです」と見せてくださったのは、プロ顔負けのカメラワークと編集により構成されたみごとな作品であった。画面にはご主人と肩を並べてススキの原を散策する好子さんの姿も写し込まれている。カメラを三脚に据えて自分たちを撮影したのだという。
 「主人といっしょに写っているのはこのフィルムくらいしか無いんです。撮影に行くときにはいつも連れ出されました。カメラを回す時あれこれ注文がうるさいので、つい、いい加減に応じていました。自分でもビデオをやるようになって、あの時主人が何でそのような注文を出したのか、今になると良く分かるんです。どうしてあの時、素直に主人の手助けができなかったのか、とても悔やまれるんです」と佐藤さん。二年でそれだけ佐藤さんのビデオ技術が上達した証(あかし)である。

 「別れた時はそれは悲しかった。今はとても寂しい。でも、これらの機材といっしょだと、なぜか気持ちが和むんです。主人はどんな気持ちでビデオを作っていたんだろう。これらの機材はそれを教えてくれそうな気がする。機材は処分せずに自分もやってみよう、そう思った時、ビデオクラブの存在を知ったんです」。

 「TAMAビデオクラブ」には、国際的なビデオコンテストに2年連続上位入賞を果たした矢島健さんをはじめ、自治体やテレビ局が主催する各種のコンテストなどに常連で出品し、受賞しているメンバーたちがいる。みんな自分の生き方をしっかりと手中に収めた人たちだ。設楽厚子さんは、自身、府中市の視聴覚教育推進委員でもある。また、メンバーの中の四人は、視聴覚教育指導者として、市の生涯学習活動の一端を担っている。これは、自治体による生涯学習活動が、市民のそれとうまくリンクした事例であると思う。

 一方「TAMAビデオクラブ」は、三鷹市、日野市など周辺地域の他のビデオクラブとの交流も行っている。点としての存在だったものが、線へ、面へと、交流の範囲を広げている。毎月二回の例会は、広域から集まった仲間たちがかもし出す和やかな空気の中で、なんとみずみずしい光を放っていることだろうか。

 私の周りにはたくさんの熟年の仲間がいる。ビデオは自分を表現する絶好のメディアである。豊かな感性と創造力をベースとした知的な趣味である。知らず知らずのうちに幅広い人間性を養う遊びでもある。ビデオを趣味とする人に共通して言えることは、年代に関係なく、とてもはつらつとしていることだ。

 しかし、長い人生を平穏なままで過ごし通せる人は少ない。幸せを手にする人たちは、ある時期に、ある種の決断をもち、思いきって重い回転ドアを押し開けた人たちだ。

 「主人は写す専門でしたから、自分の出ている画面はあまり残されていないんです。もう少し気持の整理がついたら、残された8ミリ映画やビデオから、姿や声の残るカットを探し出して、一本の作品にまとめてみようと思っています。気持ちの整理には、まだ時間がかかると思いますけれど…」と佐藤さん。それは素晴らしいアイディア。きっと、いい作品になりますよ。私が保証します。それだけ心のこもった作品なんて、生涯に一本作れるかどうか分からないのですから。 

●以上の14話は、インターネットが生まれる前のお話です。
 これからはインターネットによって、新しいコミュニケーションが生まれることでしょう。

 これを持ちまして「キャラメル・エッセー」カテゴリーの記事は終了しました。
 長期にわたってご愛読、ありがとうございました。
 なお、他のカテゴリーもどうぞよろしくお願いいたします。


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